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どうしようもなさと牯嶺街少年殺人事件


『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件(英題:Brighter Summer Day)』という映画を観た。

1991年公開。台湾映画。監督はエドワード・ヤン。Amazon primeで観れる(2020.03.29現在)。


数年前、誰かがひどくおすすめしていて、日本でリマスター版の劇場公開があって存在を知るがタイミングを逃してしまった。やっと観ることができた。ただ、本編は約4時間と長い。長かったな。


中学生の少年少女と不良グループと大人が戦後の台湾社会で絡み合う。タイトル通り。

「社会が誰をどう動かし、人間がどう動いていくか(動いたか)」ということを、未成年が起こす殺人事件という特異な出来事に向かって描かれる。

実際にあった出来事をもとにしているらしい。


以下、ぼんやりしたままの感想。
ぼんやり書いてますがたまに本編に触れたりしているので気をつけて読んでください。


感想

序盤からひたすらどうしようもない空気が漂っていて、結末を迎えてもどうしようもない。


登場人物と少年らの派閥や家庭事情が複雑で、聞き慣れない名前と顔を一致させながら話を追うのは得意ではないので混乱した。

右頬にほくろのあるスポーツ刈りの主人公「小四(シャオスー)」、
彼と恋仲の色白な少女「小明(シャオミン)」、
小柄でプレスリーをハイトーンボイスで歌える小四の健気な親友「小猫王」。

視てるうちにひとまず3人の顔と名前は一致するようになった。小猫王どう読むんだっけ。

本編。

登場人物みんな、大人も子供も落ち着かなさが漂っていた。

戦後台湾という情勢が舞台になっている。内戦により中国共産党に敗れた中国国民党側の人々は、中国本土から台湾に移り住む。淡々と描かれるドキュメントのような雰囲気で日常に焦点を当てている。歴史に詳しい人はそのままでもわかるはずだけれど、その辺りのことを頭に入れてから観たほうがスムーズに理解できると思われる。

焦燥が大きいコミュニティから個人に染み込んでいく。

主人公シャオスーとその一家は中国本土から台湾に渡ってきた上海人である。「外省人」と呼ばれている。

対してシャオミンは元々台湾に暮らす人間である。父は居らず、家政婦として働く母と住み込みで暮らしていたが、具合を悪くして親戚の家に戻る。シャオミンは子供ながら一人頼りにされている。

それぞれの境遇の違いによって、見えない差がやがてどこかでじんわり効いてくる。


刺される少女と刺す少年、血まみれで倒れこむ少女、まだ立てるはずだと呼びかけ続ける少年。

少女を酷く恨んでいたわけでも、彼女を殺せば幸せになれると思ったわけでもなさそうだった。他人に失望したときの力はすごい。されたくない。

少年シャオスーは、少女シャオミンを失うつもりはなかったはずなのに無意識に刺してしまった。執拗に何度も。

青春や愛や家族、社会がテーマで、残酷だが総じて美しく描かれているというレビューがたくさんあった。
(映像も演出も格好いいシーンばかりだし惹かれるものが多い。)

それもわかるけど、まだ噛み砕けてなくて言語化しにくいなと思った。それゆえぼんやりした感想になる。


最後まで観てもどうにもならなさは埋められなかった。結末にいたるまでずっとどうしようもない。

少女14にして男を引き寄せる魔法を持っていた。そうすることで生きられる子。
シャオスーとシャオミンがグラウンドかどこかに座って2人で静かに話しているシーンがとてもいい。そのあとの展開もすごくよかった。


彼女の存在が全てをどうにかしてくれるはずという純粋な願いが込められたのがその少女だったように思う。否定するものではないと思うけど、なんというか仕方なく。生きるために。

この世のどうしようもなさを抱えた二人が会うことで少し輝いていられる。

子供それぞれに環境というものがあって、そんなもの子供にはますます変えられないものである。

みんなわかってるから変えるためにぶつかり合って変わろうとする。その渦中に少年シャオスーはいた。

変わらねばならないという価値観で生きていた。

手探りで懐中電灯を使いながら暗闇を探りながら生きている。暗闇と光が印象的に登場する。


少女はただ変わろうとする者の傍にいる。
けれど、シャオスーは異なり、とある事件のあと、周りが変わっていっても誰も私を変えられないのだという諦念みたいな強い意思が彼女にあることが後半で明確に示される。

彼らを自分に置き換える。
いや、置き換えてよかったのかな。

「変えられないしどうにもならないと言っている私自身」は、変えたい者に刺されるかもしれないし、

「他人が変わることを信じている私自身」は変えられない者を刺すかもしれない。

そうなってみないとわからない。どうしようもない。


子供も大人もどこかの環境や境遇を背負って生きてるなと思う。

それなりの居場所に収まっているだけなのかもしれない。希望は各自で持つ。でもなるようになっていくしかないな。という感想。




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