京阪のはしっこ文学紀行

文学とはなんぞや。
とかそういうことをのっけから書いてみるほどに文学のぶの字も知らないわたくしでございますが、なぜそもそもそういうことをのっけから書いてみたりしたかというと、先日、というかきのう、「最近長い文章書いてないしひさびさになんかしてみよっかなー、ひともすなるnoteとかやってみちゃおっかなー、むかしブログやってたりもしてたしなー、手はじめに前にちらっと書いた文アル(近現代の文学者がうまれかわったかなんかでイケメンになってなんかと戦っているゲームらしいのですがやったことはありませんすいませんしかしながらSNSのお知り合いの皆さんがやってらっしゃるので門前の小僧も習わぬ経の表紙くらいは知っている)好きの方向けの記事なんて載せてみちゃったりしちゃおっかなー」と軽いきもちでこちらを作成し軽いきもちで載せてみた記事がおもったよりこの一日で反響をいただいてしまい、そんでいやいやこれは、いやいやこれはもしかすると世の文アル好きのみなさまが今週末にでもへきごとうの墓(仮)(詳細は前回をご覧ください)をもとめてこぞって枚方の地に降り立ってしまうのでは……? やばない? いやいややばない? だってあそこマジなんにもないよ? なんにもないけどだからといって「なにもないが、ある」と開き直れるほどなんにもないわけではないくらいにはなんかいろいろあるけどだからといってみんなそんなわざわざ遠路はるばるやってきて近畿にありがちな山越え道のコンビニとか郵便局とかバイク屋とかガソリンスタンド見る? いや見てもええけどそれたぶんさほど楽しくはないやろあかんやろむしろそれで「わたしはへきごとうが眠るこの地(仮)でへきごとう(仮)とおなじ空気のなかにいる!」という喜びに浸れる方がいらしたとしたらおそらく時間差偕老同穴をもとめてあの墓地の新規顧客になる可能性もあるかもしれないのでそしたらあのような記事を書いたわたしもお寺に対して申し訳がたつけど、いやでもまあないやろそれはさすがにないやろ、という感じでつまり要するにわたしはあせっている。
だってなんかやばい。
いろいろとやばい。
おもに肩透かし感が。
もしあの記事を読まれた方が「へーそんなのあるんだー」とへきごとうの墓を求めてあのお寺に赴かれたとして、そもそもあそこにへきごとうの墓があるかどうかさえ謎ですし、みなさまがお寺の方に不審がられちゃったらほんと申し訳ないですし、いやほんとまったくもってあれこれ不明ですし、実際行った人間としては「墓地公園の手入れがいい」「すげえ広い」しか感想浮かばないくらいですし、そのうえほんとあのあたりほかに見るとこといってもまったくないのでなんかこう、なんかこう記事を書いた身としてはもしかしたらこれをきっかけにあのお寺に遠路はるばる来られるかもしれない熱心な文アルファンの方のためになにか……なにかほかにビューポイントを紹介しなければ……あとあの記事お寺のひとにばれたくない……ばらさないでもらうためにはなにか見返りを用意しなければならないのでは……という義務感のもと二回目の記事を書きにきた次第です。
前フリの長さは毎度のことです、今後ともどうぞよろしくお願いします。

ということで「かわひがしへきごとうの墓があるとネットのよくわからん記事をたよりにやってきたけど墓もなかった(たぶん)しほかに見るとこといってもなんもないですやんバスも本数すくないしこれから大阪なり京都なり出るには時間もかかるしそしたらあんまり観光できないしどうしたらいいの」となった方のために、へきごとうの墓(仮)から10キロ圏内にある(文アルに登場するらしい)作家のゆかりの地をご紹介します。括弧をつけたのはとりもなおさずわたしが文アルやってないからです。すべてSNS上のお知り合いからの伝聞で推察した知識でゴリ押ししていきます。

まずはきょし。
まずはきょし。
大事なことなので二回言いました。
なにが大事かってこのゆかりには仮がつかない。
さっきから文中に「かわひがしへきごとうの墓」(仮)をつけるたび実はちょっと気が気じゃなかったいろいろな意味で。
わたしほんと文アルやってないんでおぼつかないんですけどゲームのへきごとうにはだいたいきょしがセットでついてくるらしいですね知らんけど。あと実はまだゲームのビジュアル的にどっちがどっちかわかってないけど。いやもしかしたらわたしがへきごとうとかきょしだとか思ってるキャラクターそもそも別のひとかもしらんけど。まあ高校の国語便覧でも虚子と碧梧桐だいたい近いとこに載ってたからもし万が一わたしの記憶が誤っていてゲームにきょしが出ていなくてもニアミスって感じで許してください。
さて、この「かわひがしへきごとうの墓」(仮)からバスと電車を乗り継いで、大阪府枚方市からおとなりの京都府八幡市にいきますと先年国宝に指定され、日本三大八幡宮とほまれも高き石清水八幡宮がございます。
そのお膝元にある「走井餅」。こちらは250年の歴史を誇る銘菓。きょしも食べたと名高く、なんならこの走井餅について句も残されています。
「真清水の走井もちを二つ食べ」(虚子)
おもち食べたんやな、ということがよくわかる句だと思います。
ところでこの走井餅、三条小鍛冶宗近がこの近くで刀を打ったといういわれにちなみ刀のかたちをしています。
文アルファンの方は大体とうらぶ(刀とか槍とか薙刀とかがイケメンになってなんか敵と戦うゲーム)もされてるイメージがあるのでとりあえずここはわりと真剣に推しとこうとおもいます、走井餅の由来もそうだしなんならお店のすぐそばにとうらぶに出てくる髭切・膝丸・小狐丸をつくったといわれる井戸などもあるのでほんとそっちのほうが市のHPにもあとなんかいろんなところにもはっきり書かれてるいわれだから、「史跡巡りが趣味の男性のその義理の息子さんが公開されていた『舅の文学碑探訪録』的HP」に載ってた「かわひがしへきごとうの墓」(仮)よりは……いいんじゃないかと……いやたぶんどなたかわからない舅さんと義理の息子さんもなにもまちがってはいらっしゃらないとおもうんだけど……なんかこう……観光的に……
ちなみに髭切・膝丸・小狐丸のご実家にはその名もずばり相槌神社という神社がありまして、1日と15日にはお守りや御朱印もあるということなので兄弟や小狐丸好きのかたはどうぞぜひ。
とうらぶはワタシチョットワカルので説明もなめらかですね。
でも今回は文アルについてプレゼンしなければならない義務感に駆られているのでとうらぶの話は次回以降に置いておいてまたおぼつかないところに飛びこんでいくよ。
というわけで次のおぼつかないポイントは吉井勇です。
吉井勇、ご存知ですか吉井勇。
文アルに出てるらしいんですけど正直なところわたしのSNSにはかげもかたちも出てこないので都市伝説じゃないかなって疑ってるよしいいさむ。
ときどきよしいゆうって呼んでしまう。
京都で学生生活を過ごした方にはおわかりいただけるだろうあるあるネタ、酔っ払った帰り道、鴨川べりを歩いていたらそのへんにある石碑の作者だいたい吉井勇。
生活に根ざした吉井勇。
というイメージしかないんですけどなんか有名なひとらしいですね吉井勇。
そろそろ国文学科の学位を返上したほうがいいんじゃないかという気になってくる知識レベルですがもうちょっとだけこのままでいさせてください。
で、その吉井勇はかつて八幡に住んでいました。
ほーらちゃんと文アル聖地を辿る旅になってきた。
石清水八幡宮からちょっと歩いたところに松花堂庭園と美術館があります。
松花堂昭乗といえば松花堂弁当でもお馴染み、江戸時代のお坊さん。本阿弥光悦らと並ぶ文化人。
松花堂庭園は残念ながら去年の台風による被害で現在一部封鎖されているのですが、お庭だけでもとてもすてきなところ。
この松花堂庭園、はいったところに吉井勇の歌碑と「八幡と吉井勇」という説明看板とあと文化人たちの集合写真が掲げられています。
志賀直哉と吉井勇夫妻と谷崎潤一郎夫妻と梅原龍三郎と湯川秀樹ととかけっこう大人数の集合写真なんですけどこのひとたちみんな八幡きたの? すごいな八幡。すごいな松花堂。そもそも松花堂そして石清水八幡宮の御力は素晴らしくじつはこのあたりありとあらゆる歴史ファンの方がなにかしら自分のときめきを高揚させるポイントがあるんじゃないかとおもえるくらい文化の力がすごい。あと武士。源氏とか信長とか豊臣とか徳川とか勝ち組っぽい武士がだいたい石清水八幡宮きてる。あとエジソン。エジソンが電球つくるのに八幡の竹つかったの知ってた? エジソンの碑が岩清水八幡宮にあるの知ってた? わたしいつかFGOにエジソンきたらもう八幡完璧だなっておもってるんですけどあとついでに告白しておくとFGOやったことないし世界の偉人がなんかと戦ってるんだなってイメージしかないですすいませんだいたいいつも適当なことを言っています。
で、それはさておきかように文化薫る松花堂のそばのお寺に吉井勇はかつて住んでいたということで、いまそのお寺の門のところには「歌人吉井先生寓居之地」という碑が建っています。
こちらのお寺ももみじで有名なのでぜひ秋に、いや夏にも青もみじがきれいです。
ちなみに松花堂の売店には吉井勇の著作も売ってます。
そして吉井勇ポイントとしてはずせないところ、ここ大事なのでさっきの看板から抜粋しとこうとおもう。
「勇の足跡は、その作詞になる『八幡音頭』として市民に愛唱され、踊り継がれており、男山団地内の地名に『男山吉井』として残されている」

踊り継がれる吉井勇の足跡……

八幡音頭あんまり覚えてないけど八幡ええとこ一度はおいでみたいな……なんかそんなんじゃなかったかな……勇……
そんで男山って言ったらわたし何十年まえかのテニス漫画『LOVE』の全国大会編で京都代表だった男山泉がまんま男山の地名をつかったネーミングだったことしかおぼえていないんですけどあのラブちゃんをてんてこまいさせた京都弁のいかついおにいちゃんと吉井勇が同枠なんか……いやちがうけど……ちがうけどもはやわたしのなかでは同枠……という複雑さが胸に去来した看板の字句でありました。わたしは吉井勇に謝れ。ちなみにとはいうものの「男山吉井」まで訪ねてみるつもりはなかったんですけどたまたま松花堂美術館に行った帰りあのへんうろうろしてたら「うっそバス停に吉井って書いてある、うっそここ? ここ吉井? 吉井勇の吉井?」って感じにうっかり行き当たってしまったので鴨川といい八幡といいほんと吉井勇は京都のひとの生活に根ざしているのだなあとしみじみ思ったものです。なおバス停「男山吉井」、「かわひがしへきごとうの墓」(仮)付近とバスの本数どっこいどっこい。あとあのへんの道端、竹林がわりとぐいぐいきているのでさすが八幡の竹は世界一……(エジソン的に)ってなります。
ところでここまで書いておいて最後に懺悔しますがわたしは文アルに出てくる吉井勇の性格も設定もなんなら顔さえさっぱり知らないのでこれはほんとただのリアル吉井勇紀行です。みなさんどうぞお好きに文アル吉井フィルターをおかけください。かかるのかな。大丈夫かな。
あと今回はふれませんでしたが八幡といえばさきほどの集合写真からも察せられるとおり谷崎潤一郎にもゆかりがありまして、石清水八幡や松花堂からはちょっと離れてるけどかの名作「蘆刈」の碑もあったりします。しかし「蘆刈」、京阪神の民的には「午後に思いたって岡本から水無瀬神宮にいってしかもそこから橋本に行く」ってけっこう無理めじゃない? しかもいまより電車のスピード遅いはずなのに? って思っちゃっていまいちストーリーが頭に入ってこないという懺悔もついでにしておいて今回はお開きとすることといたします。
「かわひがしへきごとうの墓」(仮)にご興味をもたれた方、お出かけの際にはぜひ「吉井勇ゆかりの地」(真)にも足をお運びいただけましたら先日かのような記事を載せた身としてはなんとはなし罪悪感が晴れるものでございます。
と言いつつファンの方があのお寺に行かれて「かわひがしへきごとうの墓」(真)が発見され、枚方の地の観光資源になったらそれはそれですてきだとおもわないでもないのですがまあそれはさておき。
かような長文をご覧くださり、ありがとうございました!
末尾となりましたが、文アルファンの方におかれましてはかわひがしへきごとうの墓(仮)をお訪ねになってもなにとぞこのnoteの存在は秘しておいてください。よろしくお願い申し上げます。

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