自分の描いた絵を好かれるとはどういうことか

SNSでイラストレーターの人たちの言動を覗いていて、自分の描いた絵が不特定多数の人から好まれたことを自分自身の他者からの評価ととらえている人が多いのかなーと思いました。

そのあたりのことについて自分の見方をここに述べてみます。何か参考や何らかの発見につながれば幸いです。

絵とは何か

絵とは何か。いきなり大きな話題が来ましたね。抽象画やもっとメッセージ性の高い「読み取ってもらいたいもの」を表現したメッセージとしての平面創作物のことも含みますが、ここでは、いわゆるコミックアートの部類に話を絞って書いていきます。

そこで、インターネットで公開されている無数のコミックアートやファンアートとしての「絵」とは何のことかというと、「(架空・あるいは現実の)どこかの情景の一部分を切り取った静的な平面創作物」ということになります。静的というのは、動的という言葉と対になっており、動かないということです。動くものは映像やアニメーションと言った別の名前がついています。つまり、存在するものの一部を視覚的に表現して表したものということですね。コミックの世界は実在していないではないか?ということについては、確かに実在はしていないのですが、おそらくその絵を描いた人の脳裏にはその世界は存在していて、その情景を切り取って「今こういう風に頭の中のカメラでは見えているよ」という風に表現しているものなのではありませんか。つまり身体の外の物体としては存在していないけれど、脳神経の中で結ばれた世界像としては存在している。そういう意味で「存在している場所の一部分を切り取って視覚的に示した静的な平面創作物」ではないでしょうか。

視聴者は絵の何を見ているか

視聴者は目の前に示された「絵」から何を見て、何を読み取っているでしょうか。おそらく、そこに描かれた図像の意味を読み取ろうとしているんじゃないでしょうか。

中には色彩や塗りのテクニック、ライトの演出の加減など、そういった技法的なところに興味を持つ人もいるでしょう。しかし、多くの人は「何が描かれているか」つまり、「その絵の内容はどういう情景なのか」というところに興味が向くのが一般的ではないでしょうか。


「その絵を好きになる」とはどういうことか

一般的な具象画において、目の前に示された絵を好きになる、ということは、「そこに表現された図像の意味に好感を抱いた」ということなのではないかと自分は捉えています。

たとえば、ある人物がスキージャンプを楽しそうに飛ぶ絵がありました。「格好いいな」「自分もこういう風にアクロバティックに決められたら楽しそうだな、憧れる」「最高の表情をしているな」「絶景を背に羨ましい」「臨場感があって今にもこちらに出てきそうだ、エキサイティングだ」等々、人によって、そして同じ人にとっても鑑賞したときによって、いろんな感想があるでしょう。その好感を抱いた、視覚的に心地よいと思った経験が、視聴者にとっての「好き」につながるわけです。

同じ絵について、スキージャンプを元々快く思っていない人が見たらどう思うでしょうか。「絵柄は好みだけれどスキージャンプ自体が嫌いなので絵自体は好きになれない」「スキーで自分が事故ったときのトラウマがフラッシュバックする」等々、まったく別の感想があがるかもしれません。それが、別の人にとっての「好きではない」という感想につながります。

いずれにせよ、評価しているのは描写の技術そのものというよりは、「中身」になるのではないでしょうか。


コミックのファンアートを好きになってもらうことは、何を好きになってもらっているのか

視聴者から見た絵の好き嫌いというのは、絵を描いた人という人物への好き嫌いの反映ではありません。絵を描いた側の人自身が脳裏に浮かべた一枚の情景へ好感を抱いたか否か、つまり、同じものを好きだと思ったかどうか、であります。したがって、絵が他者から好かれたということは、あくまでその人と好みの一部が被った同好の士だね、という以上の評価でも以下の評価でもありません。

ある人が多くの人が好きなコミックのファンアートを描いて、その図像が多くの人から好意的に受け入れられたとしたら、それはそのファンアートの示した情景を見て喜んだという人が大勢いたというだけであって、「絵を描いた人が脳裏に浮かべた情景を好きだった人が一杯いた」という以上でも以下でもない話です。視聴者が好意的に感じたのはコミックのファンアートの中身であって、それは一部は絵を描いた人が考えたものではあるものの、元となるコミック自体は別の所に元々あった世界なのですね。

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