分岐点かもしれない



先日、十年以上共に暮らす恋人から出た一言に度肝を抜かれてしまった。

「子供欲しいな」
「結婚して子供作ろうか!」

率直な感想としては「お前は今更何を言ってるんだ?」である。
私は子供を欲しいと思ったことがない。
そもそも私が「いつか子供が欲しい」なんて本気で考えている女だったら、結婚を急かすなり二十代のうちに別れて他を探すなりしていたと思う。

もちろん今までその手の話が全く出なかったわけではない。欲しがられるたびに「私は自分のことでいっぱいいっぱいだし、これからも多分変わらないし、そもそも人間を育てる自信がない」と答えてきた。
向こうも向こうで友人宅の子供を見て「ワーかわいい 僕もほしい」ぐらいのテンションで言ってくるのだ。犬をねだる子供と同じようなものなので、数日放っておけば興味は他に移っていた。

私が子供を欲しがっていないことは伝えていたはずだが「そうは言っても本気で産みたくないってことはないだろう」と思われていたのかもしれない。


十年前なら勢いでいけたかもしれない。しかし無駄に歳を重ねた今では勢いに任せることもできない。
馬鹿のくせして頭でっかちなので、産んだ後のことを考えると「案ずるより産むが易し」なんて思えないのだ。

今の日本で子供を産むなんてかわいそうだとか、出生は悪だとか、反出生主義万歳だとか、そんな考えはさらさらない。自然に欲しいと思えて環境が整っている他人に対してはお好きにどうぞとしか思わない。

特に子供が嫌いなわけでもない。その辺をポテポテ歩いている幼児を見ては「マーかわいらしいこと」「子供のダウンジャケット姿ってめちゃくちゃ可愛いな…袖みじけぇ〜」と鶴瓶のように目尻を下げている。
ただ産まれたての赤子だけは失礼ながらちょっとグロいと思う。人でなし扱い待ったなしなので絶対に表で言うことはないが、産まれたての人間は手足が生えた内臓にしか見えないのでLINEで無差別に送るのはもう少し育ってからにしてほしい。


甘ったれた考えなのは重々承知しているが、正直言って私は他人の人生まで責任を負いたくない。だから子供を産みたいと思えないのだ。
腹から出たらいくら世話をしようが別の個体であり他人だ。どんな個体が出てきたとて愛情を注げるかと聞かれたら自信はない。
子供を産んで一人前だなんてよく聞くが、自分が人間的に成長するために人一人産み出そうとは思わない。
産まなきゃ一人前になれないとしたら私は一生半人前でいいし、特に問題がないのに産まないなんて大人として失格だなんて言われたら「じゃあ別にちゃんとした大人と認められなくてもいいですピッピロプー」と選挙権を放棄しても構わない。
子供がいないと寂しいよだとか、老後面倒見てくれる人がいないと不安じゃないかとか、あれこれ言われることもある。そんなことを言われてしまうと「アンタ老後の面倒見させるために人間こさえたの?」と、背筋がゾワゾワしてしまう。



「親を安心させたい」
「彼が欲しいと言ったから」
「みんなそうしてるし普通のことだから」


なんて理由で私は産めないし、他人のために産みたくない。
私は本当に責任感がないので他人を理由に産んだ場合、育児に行き詰まった時「別に私はいらなかったのに」と最低最悪なことを言いかねない。
自分一人なら勝手に後悔でも自己嫌悪でもなんでもすればいいが、子供がいたら別だ。製造元にいらないと思われる子供が気の毒すぎるではないか。

理屈をこねるより先に「産みたい!後のことは知らん!欲しい!」と思えるなら良かった。
生物の目的はやはり子孫を残すことだと思うので、産む産まない関係なく「産みたい」という欲求を持つこと自体、おそらく生き物として正しいあり方なのだ。

今のところ、そしてこれから先も何かを成し遂げることはない人間だが、そこから脱却するために母親という属性というか肩書きを得て己の存在意義を見出そうとも思えないのだ。


万が一この先私が子供を産むとしたら、誰かのためではなく自分の、自分だけのために産む。エゴで何が悪い欲しいんだからしょうがないだろと開き直りながらではないと産めない。
子供は親のために生きなくていいが、親は子が親を必要とするうちは子供のために生きねばならないと思う。開き直るときはその覚悟を決めて開き直るつもりだ。

いつか本気で欲しいと思った時にはもう遅かったとしても、開き直れない今産んで後悔するより産まずに一人で後悔する方が私の中ではマシだと判断している。
産んで「アッやっぱり無理でした」と言ったところで腹に戻ってはくれないし、無理と言われた子供の人生は続いていく。できるだけそんな残酷なことはしたくないのだ。

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