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【雨を告げる漂流団地】 夏が"あったような"気がするあなたへ。
時代が便利に、過ごしやすくなっていく一方で、僕たちはどこか昔懐かしいものにいつしか惹かれるようになっていないかな。
コインランドリーも、団地も、ルーズソックスも。
メタバースだの、NFTだのブロックチェーンだの。技術は目まぐるしく進化し、「〇〇が開発された!」「〇〇に成功!」といったニュースにいつしか感動を感じなくなった僕たち。
折りたたむ必要がなくなった携帯電話を持ち、金さえあればどこにでも行ける乗り物に囲まれ、数百円でご飯が食える。手のひらで映画が見れて、指先で世界中と繋がることができる。
「進化して、成功してあたりまえ」とすら思いはじめ、なんならそれらの恩恵を受けることを前提にした毎日を送っている。
なのに、なんでこう、つらいんだろう。
目の前壊れていくものより、次にできる予定のものに興味が移っていることに嫌気が差しているのは僕だけではないと思う。
文字通り、時代流されている僕たちは、その流れを受け入れつつも、思い出すのは時代の流れが定まらなかったあの頃。
ゆっくりで、ぬるくて、じめじめしていたあの頃の「漂流」
ただ、このクソ忙しい毎日の中で、不安だらけで意味わからんこの毎日の中で、息することすらままならない今の時代で、ゆっくりぷかぷかしていた、あの頃の「漂流」を思い出すことにすこし寛容になってみてもいい気がする。
それほどまで今の流れは早く、虚しく、なによりそれを見ることしかできない自分自身にも怖いのだ。
主人公たちも大きくなって、同じ激流に飲み込まれた時にこの漂流を思い出すだろう。
この物語は、登場した少年少女たちが大人になっていく中でできた思い出の塊なのではないかと思った。
漂流も花火もノッポも雨も、全部が定かではなくで、でも確かにそこにはあって。あったような気がして。あってほしくて。
コインランドリーも、団地も、ルーズソックスも、あの子も。
夏があったということがあやふやな今にぴったりな、そんな映画だった。
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