サウイフモノニ ワタシハナリタイ(映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』感想)

子どものころ、わたしは今よりずっとひねくれていて、人間の善性なんぞ欠片も信頼していなくって、賞賛もされないのに他人のために駆けずりまわる奴なんざよっぽどの聖人(と書いて「ヘンタイ」と読む)か馬鹿だろうと思っていた。

年くっていろいろな人や出来事に出くわすにつれ、善良な人は確かにそこらじゅうに存在するということに、より正確には、すべての人の内に善性のグラデーションが存在するということに気づくようになったけれども。

日常生活でも、その人の善性が垣間見える瞬間はたしかにある。
切羽詰まった非日常の中であれば、さらにはっきり見えてくる。
そう、これは、ごく普通の人びとが、危機のなかで見せた善性のおはなし。

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舞台は1980年5月の韓国、光州。
民主化を求める市民の大規模デモに対して
軍による戒厳令がしかれ、報道もシャットアウト。
一切の情報は、国外はおろか首都ソウルにすら伝わっていなかった。

光州でなにかが起きているらしい——
噂を聞きつけて取材にきたドイツ人ジャーナリスト。
ソウル入りした彼は、光州までの足としてタクシーを確保する。
その運転手が本作の主人公、マンソプだ。

マンソプはシングルファーザーで、一人娘のことを何より気にかけている。
頻発する大学生による民主化デモは(渋滞の原因になるので)正直迷惑だと思っている、ノンポリの一般人だ。

破格の報酬につられて仕事を受けたものの、マンソプは光州行きの目的をきちんと把握していない。
英語もカタコトで、ジャーナリストとの意思疎通は困難。
すったもんだで光州入りしたものの、互いの好感度は最低ラインにまで落ち込んでしまう。

かみ合わないやりとりを続けながら、通訳を引き受けたデモ参加者の大学生や、地元光州のタクシー運転手を巻き込んで取材は続く。
やがてマンソプは、光州の住民たちやジャーナリストと少しずつ交流を深めていく。
しかしその最中、武力弾圧が激しさを増し、悲劇が起きる……

いったんは光州を離脱したマンソプ。
たどり着いたすぐ隣の地域では、マーケットがにぎわい、人々がのんびり行き交う平穏な日常が続いてる。
一方で、新聞などでは情報操作が行われ、光州の現状は「暴徒化した市民により警備にあたった軍に死傷者が出た」というフェイクニュース(これぞまさにフェイクニュース!)で片付けられている。

日だまりの日常と、土煙のなかの光州の残酷な対比。
この空恐ろしい温度差。

マーケットでみつけた(まるで平穏な日常の象徴のような)かわいらしい女児用の靴を前に、マンソプは懊悩する。

このままソウルに戻るか?
口をつぐんで娘のもとに帰る。
そうすれば、これまでと何も変わらない平穏な生活に戻れる。

しかし、自分は光州で何が起きているかを知ってしまった。
あの非日常の中で傷ついている人たちを見捨てるのか。

では、光州に引き返すか?
世界にこの状況を知らせて惨劇を止められるかもしれない。
だが、娘のもとに無事に戻れる保証はない。

いったいどうすれば……
逡巡ののちマンソプは、愛車のハンドルを切りアクセルを踏む。

彼の行動の結末は、本編をご覧ください。

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どうしようもない状況で痛みをともなう選択を迫られたとき、どう振る舞うか。

たとえどちらを選んだとしても、その場にいなかった者は、その選択を非難すべきではないと思う。
そのうえで、それでも彼は、彼らは選んだ。

黙っていれば、窮屈だが平穏な日常を謳歌できる。
それでも声をあげることを。

手を伸ばせば自分も死ぬかもしれない。
それでも目の前の傷ついた人を助けることを。

目を逸らして立ち去れば、自分の身の安全は保たれる。
それでも共に闘うことを。

その選択をこそ称えたい。

軍という強大な権力と対峙したとき、民間人にできることなどほとんどない。
それでも、正しいと信じたことのためにあがいた人たちがいて、現在の韓国がある。
ラストの映像は、確かにあの時代と今が繋がっていることを実感させる。

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金にウルサイわ落ち着きはないわ、俗っ気が強い市井のオッサンなのに、悪態つきながら愛車で走り回るマンソプを見ていると、 不意にある詩のフレーズが浮かんできた。

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東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
(宮澤賢治『雨ニモマケズ』より)
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誰にどう言われようとも、
何が正しいことか、何が自分にとって幸せなのかをよく知っている人。

おかしいと思ったことには声を上げ、
目の前で倒れた人には手を差し伸べられる人。

馬鹿をみるとわかっていても、
正しいと信じたことのために最後まであがく人。

ああ、あの5月の光州にたしかに彼らは存在した。

多くの人との出会いと別れを経験した今ならわかる。
いまどき流行らないかもしれないけれど、
そういうものにわたしもなりたい、と。


映画公式サイト:http://klockworx-asia.com/taxi-driver/
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