10年後の私へ 特別編

13歳
ひょんな流れでテニス部に入った。
本当はバトミントンやりたかったけど
人数が多くて
入るのを辞めた。

そして何か似ているテニス部にした。
そして1日で後悔した。
練習内容があまりにも過酷だった。
腹筋20回を3セットとその他もろもろ。

辞めようかと思ったけど
その厳しい筋トレを乗り切った後に飲む
キンキンに冷えた麦茶と
春の生暖かい風が
最高だった。

どうしても辞められなかった。

一つ山を越えると更に高い山があると言うのは
よく聞く話。

そう、私には第二段階の闘いが待っていた。
それは不安との闘いだった。

中学2年生になると試合に出させて貰えるようになった。試合は好きだった。勝つか負けるかは決められないが、練習したことを試合で出来た時、あの達成感は私に自信をくれた。

ただその達成感という扉の前には必ず大きな暗闇があった。そして、そこには不安そうな顔を浮かべた自分が立っていた。

その顔を見るといつも不安になった。不安になって練習した事を試すことから逃げた時もあった。

失敗することが怖かった。

これが二つ目の山だった。
私はこの山を登るために1日中テニスをした。とにかく身体にフォームを染みつかせて
不安があってもある程度は打てるようにしていたら大丈夫だと思った。だから、ただひたすらにスキルを磨いた。

けれど、上手くいかなかった。試合に出るのも嫌になった。怖かった。どうしようもないと思った。

でも、私は二つ目の山越えた。

何が起きたって?
奇跡が起きたわけではない。
ただいつもそこにあるものに築けたおかげで
私は山を越えた。

私がやっていたのは軟式テニス。
私にはペアがいた。いてくれた。
ペアに頼ることも話すこともせず
ただ1人で勝ち負けと闘い、不安と闘っていた。色々不安になっていたあの時、優しく支えてくれたのがペアだった。

私は自信がなく失敗が怖いと思った時は、ペアを信じてトライするようになった。そこに不安はあった。
けど、何だか1人じゃないという事実は私に力をくれ、ペアの存在が背中を押してくれた。

そして、私は三つ目の山を登り始めた。
それはテニスを高校で続けるかということだった。答えは決まっていた。

私は高校で軽音学部に入った。
音楽が純粋に好きだったから。
全く弾けないギターを新しく習った。
ギターもテニスも今でも大好きだ。

第三の山で何と闘ったかと言うと
それは目に見えない敵。

財産だった。

でもこれはお金ではなく
当時の私にとって財産とは
テニスに費やした時間、テニス部で得た良い結果、周りのテニス部の先生から褒められたことや周りの友達がテニス上手いと言ってくれたことだった。

私は本当に多くの時間をテニスに割いた。夢中だったから時間を費やしたことに後悔は全くなかった。だからこそ、それを手放すと言うのが何だか寂しかったんだと思う。
でも結局私は心が躍る方を選択した。
そしてその選択は今も間違ってなかったと心から言える。

スポーツが私にくれたものは
この三つの山だけではなく
最高の先生や仲間と出逢わせてくれた。

そして何より夢中になるということを教えくれた。

夢中を知ってしまった私は
夢中にやみつきになった。

そして三つの山は
今も自分の心の軸となって
現実を観る判断材料となり
私の生活に役立っている。

最後に
これを書きながら思ったこと

スポーツって最高やな

以上。

読んでくださりありがとうございました😊

#スポーツがくれたもの
#デジタルタイムカプセル

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