ヴァイオレット・エヴァ―ガーデンと帰ってきた話

劇場版ヴァイオレット・エヴァ―ガーデンを見てきた話

京アニ放火事件、コロナウイルス感染拡大の影響で二度の延期を受けてようやく公開された劇場版ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン(以下V・E)。
自分は特にこの延期の影響を受けるでもなく、ひと月前に作品の存在と公開時期を知って、わざわざGEOでテレビ放映版と外伝の方の劇場版を借りて履修を終えた状態で、公開後に劇場へと足を運ぶに至った。

戦争で道具として使われてきた少女が平和になった世界で手紙の代筆業を通して、人々の思いを結ぶ文章を書きあげていくお話である。感情らしい感情をそれまで持ち合わせていなかったにも関わらず、仕事仲間や顧客のニーズに応じてゆっくりと感情を構築してく内容は、思わず一気見してしまう内容であった。知識と能力だけでごり押していた時期もあって、それはそれで面白かったが。
本作の根幹となるのは主人公の少女、ヴァイオレット・エヴァ―ガーデンが軍人時代の上司、ギルベルト少佐から最後に貰った言葉である「愛してる」の意味を理解する為に奮闘するところである。手紙の代筆業もそのために役に立つであろう、ということで戦争後に郵便事業を始めた身元引受人ののホッジンズ中佐に勧められたものであった。
道具として扱われ、命令しか受け付けることができず、機械のようなやり取りで会話するヴァイオレット。普段から感情を表に出さず、姿の美麗さもあって人形のように見える……が、油断すれば元軍人の名残を見せる行動に出るので、二重の意味で目が離せない。そんなヴァイオレットはホッジンズを始め、郵便局の同僚たちは暖かく見守られ、ギルベルトの兄ディートフリート大佐には嫌味を吐かれ、いろんなわだかまりを抱えた代筆の依頼人たちは大切なことを教わったり、またはヴァイオレットに教えたりした。その中でヴァイオレットは「愛してる」の意味を少しずつだが理解していく。
そんなテレビ放映版だが、ギルベルトの生死はわからぬまま、いつかまた会える日まで探し続ける、といったエンディングであった。

劇場版の内容は触れないが、V・Eの物語はここで終わり、もう続編もないであろう文句なしの完結編だったので満足感と達成感に包まれながら帰路についたわけだが、帰ってきた話は単に家に帰った話ではなく。
劇中でヴァイオレットが依頼人に”サムズアップ”を教えられるシーンがあった。劇場版の内容を通しては指切りの方が印象強いが、自分はこちらの方が印象に残るシーンであった。

サムズアップ(英: Thumbs up)とは、親指を立てるジェスチャー。 日本では一般に「Good」を意味する。 英語圏では肯定的な意味を持つが、中東、西アフリカ、南アメリカ(ブラジルを除く)では「侮蔑の表現」となる。
引用ーサムズアップ - Wikipedia

まぁ別に特別ややこしい意味は持っていない。ただ”良いね”っていうやり取りだけに使われるジェスチャー、無言でも最低限の意味は伝わる指の形である。このサムズアップ、自分は大昔に別の作品で触れていた。
仮面ライダークウガ、平成ライダー第一作目の意欲作である。

主人公の五代雄介(役:オダギリジョー)が劇中で広め、幾度となく行うこの指のポーズは、作品の中でも印象に残るものであった。ゴテゴテのCGを解除しながらサムズアップを決め、無邪気に笑う五代雄介の姿は今でも鮮明に思い出せるし、ほかにも色々思い出して涙腺が緩む。視聴後だとそういう残り方をする。具体的には、見終わった後やりたくなる。というかやってしまう。朗らかな笑顔で親指だけ立ててしまう。親しくない人からみたらなんの慰めかと思われるし、状況によっては悪いようにしか取られかねない。なんなら純粋に気持ち悪いだろ的な扱いになってしまう。

そんな用法容量を正しく守って扱いましょう的なサムズアップ、クウガリアルタイム視聴勢の自分も積極的にやっていたようだ。ようだというのは思い出や伝聞の話ではなく、実際にサムズアップ決めてる幼稚園児の頃の写真が実家に飾られていることからだ。
幼い頃から絵本やらアニメやら見て育ってきたが、”初めて見たもの”は当然記憶にない。親に聞いても覚えてなければ意味はない。では”初めて印象に残った作品”と聞かれたらおそらくクウガと答えるだろう。アンパンマンやらトーマスは好きではなかったし……。
今の自分がいるから後付的なものもあるかもしれないが、それでもクウガは印象的で、記憶によく残っている。そしてなんなら、リアルタイムで見れてたことを誇りに思ってすらいる自分がいる。

創作はこの世に溢れているので、自分が視聴できる作品はほんの一握りでしかない。できる限り見てみたい欲はあるけれど、それでも無理に頬張るもんでもないなという認識から、自分が触れる作品というのは一種の運命的なものがあると思っている。ロマンティックな言い方で鼻で笑ってしまうが、要は縁である。触れた作品には”出会うべくして出会った”という思いでその作品と触れていくのが自分のスタンスだ。
そのスタンスの中で出会った作品、ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン。劇中で上記のサムズアップを見たとき思ったのが「帰ってきた」であった。

26年の人生の中でまわりまわってまた、主人公がサムズアップする作品と出会った。いやサムズアップする作品なんてアホ程あるだろ。でもその中で自分が観ると決めた作品で出てきた。そんな深い意味は持ってない。自分の中には深く刺さった。
映画を見ながらぐるぐる考えていたけれど、実際ただの偶然なので答えらしい答えは出ない。なので最初に抱いた謎の感想である「帰ってきた」で結論づけて、この話はおしまいである。劇場版V・Eの中でも「帰ってきた」は特にテーマではないので、やはり自分が勝手に自分につけたタイトルなのだ。何かのターニングポイントとでも思っておくし、いつか「おかえり」を言ってくれる作品に出会えることを期待すればいいのかとか思う。要は食わず嫌いせずにお話を楽しもう、という結論である。
そして素直に「ただいま」を言える心の準備はしておこう。

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