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黎の軌跡Ⅱクリア後感想②~罪の観測と可能世界~

 本稿は《英雄伝説 黎の軌跡Ⅱ -CRIMSON SiN-》について、自由にプレイ後の感想や考察を書いていった、その後編になります。特に世界観方面について好き勝手に書いています。黎の軌跡Ⅱを含めた軌跡シリーズのネタバレが全開ですので、そちら方面を気にされている方はご注意ください。

9.《もろびとこぞりて》

第Ⅲ部プレイ中の感想は「不穏すぎてこわいよー……」でした。

 まず、《煌都動乱》とか《北の港の狂想曲》とか、あるいは《災厄のプロトコル》とか《いとけなき焔~旅立ち~》とか、割と直球な章タイトルが多い黎シリーズの中で、一際気になったのが第Ⅲ部《もろびとこぞりて》でした。
 そもそもの言葉の意味を知らなかったので「おい、急になんだこの不穏なひらがなだけのタイトルは」と思ったものです。1週目はAルート→Cルート→B……という順に進んだのですが、Cルートのあたりで気になって「もろびとこぞりて」を検索しました。

 詳細に調べてないので責任は持たないのですが、日本での曲《もろびとこぞりて》の原曲はアメリカでは《たみみなよろこべ》と同じ曲に別の歌詞を乗せたもののようです。検索前に「諸人来ぞりて」→「みんなが来るの?」→「あ、みんなアシェンみたいになるの……?」と思いもしました。
 単にそれだけの意味の章タイトルなのかもしれませんが、「クリスマスソング」だとか「皆で祝おう」だとか、第Ⅲ部の展開に反して喜びの意味があり、改めて『感情の置き所がわからなかった夢のような第Ⅲ部』という印象を感じました(これに関しては後で語ります)。

 結局、第Ⅲ部で描かれた物語の大半は「夢のように」終わり、それぞれは体験ではなく経験となりました。最終的に元凶であるガーデンマスターを、全ての災厄の前に倒すことができ、喜ぶべきことで終わりました。
 けれどフェリに代表されるように、ゲネシスが引き起こした「罪の観測」は少なからず経験者に傷跡を残しました。みんなで集まってみんなでよろこべ……その結果が苦い記憶であることに、少しばかりの悪寒を覚えたのです。

10.終わりの聖女

 黎Ⅰの頃から正体を考察されていたニナ・フェンリィ。今回、黎Ⅱのラストで「七耀教会の隠密僧兵を率いる者」としての立場が確定されたわけです。
 そして……《終わりの聖女》という一つの呼び名も明らかになりました。

 最近の軌跡世界において《終わり》というと、幾つか当てはまるものもあります。

・エプスタイン博士の「世界が終わる」
・東の大地の不毛化によって「大陸そのものが崩壊している」
・巨いなる黄昏によって見えかけた「世界の終わり」

 それらと関連があるのか否かはわかりません。第一に考えたのは《最後の》聖女──例えば聖女という役割を担う最後の存在という意味なのですが、その予想が正しいかも謎です。
 アシュラッドたちを率いていることや不思議な「眼」を持つ描写、またコネクトで「自分がない」といっているところ。(あくまで予想ですが)最後を担うという役割。どこか。ワジ・ヘミスフィアやカトルと同じような担ぎ上げられた存在を思い浮かべてしまいます。
 また、空の軌跡の頃から「七耀教会で異能持ちといえば聖痕を持つ守護騎士」というのが恐らくプレイヤーの共通認識だったと思いますが、それらも黎の軌跡で翻されたことになります。

 情報が少なすぎて、まだまだ自分に考察できることは少ないのですが、まだ守護騎士も全員登場しきってない段階でニナという人物が現れた重要性なども、今後は考えていきたいところです。

11.宇宙軍とハミルトン博士

 宇宙軍については黎Ⅰのころからプレイヤーの知るところでありました。ハミルトン博士も東の大地に関わってくるので、今後も重要人物であり続けることは十中八九当然のことだったと思います。ただ、黎Ⅱの最後(≒黎Ⅲや今後の軌跡シリーズの要点に)その両者がクローズアップされたことは、筆者に予想外の衝撃を与えました。
 大陸の外に行こうとすれば外界に出れなくなること、ヴァリマールの行った大気圏の存在。そんな秘密を持つゼムリア世界の「可能性に迫る計画」を持つロイ・グラムハート大統領が進める宇宙軍。しかも、黎Ⅱの正規エンディング(グレンデル=ゾルガを倒した日)の翌日にそれが発表されるというのは、閃Ⅰ→Ⅱ、閃Ⅲ→Ⅳの急転直下であったり、碧の第2章──序盤から通商会議のクライマックスのような印象を受けるのです。

鉄血宰相に負けず劣らずすごい経歴を持っていらっしゃる。

 そして何よりも……急に全てを知っている黒幕のようなムーヴをしたハミルトン博士について。
 たぶん悪役とかではなく、世界の秘密や大統領側の事情をある程度知っているからの態度だとは思います。
 ディンゴ・ブラッドはゲネシスに取り込まれることで、世界の事情を知ることになったのだと思います。それ故に、最後の最後に同じく事情を知るらしいハミルトン博士に後を託した。
 ここで鳥肌が立ったのですが、ハミルトン博士もディンゴも同じ中東系で、しかも髪色も似ているっていうことなんですよね……。博士のほうは単に老齢により髪色の変化の可能性もありますけれど。
 カルバード共和国の東、中東はヴァリス市国やエルザイム公国、クルガの里にそれぞれの部族など、たくさんの伏線がある。こうなると、黎Ⅲにせよさらなる次回作にせよ、黎・黎Ⅱを超える激動が待っているのが今から楽しみです。

12.原型導力器がもたらす物語の抑揚

 さて……黎Ⅰとは違い、キャラクターの心境に対する考察の余地があまりなかった黎Ⅱ。そんな中で筆者が一番書きたかったのは、やはりゲネシスやストーリー全体の流れについてです。

「7」つではなく8つなのが気になるところです。

 かなりスピーディーにクリアしてきた筆者ですが、それでも自分以上に早くゲームクリアを果たした人たちがいました。その人々を見ると、マイナスの感想もそれなりに見受けられたように感じます。タイムリープの描写であるとか、ストーリーラインについてとかが主なものです。

 筆者の場合、黎Ⅱをクリアしての率直な感情は「面白かったぁ!」でした。しかし、マイナスな感想を言う人たちの言っていることを理解できるのも事実で、ならばそのギャップは、自分が面白かったと思う根拠はなんだ? ということも思いました。カルバード編や主要人物の物語の中核にあるゲネシスについて、全体の感想も含めて語っていきたいと思います。

 そもそもの話軌跡シリーズ全て(外伝を除く)をプレイしてきた筆者にとって、黎Ⅰ・Ⅱは異質な物語です。空~閃までは全てが巨いなる黄昏──世界大戦に収束していくまでの過程だったと思っています。
 特に閃シリーズについては盛り上がりどころ、感情の置き所が顕著でわかりやすいものでした。各章の流れが一定で、Ⅰ国内問題→Ⅱ内戦勃発→Ⅲ国外勢力との諍い→Ⅳ世界大戦目前と、起承転結がはっきりしている。

9作品、15年分の起承転結の「結」

 リベールで世界観を説明し、クロスベルで政治的な問題を取り上げ、帝国でいよいよ本題が上がる。個々の作品の流れも、個人的には好きなものでした。
 世界観を引き継ぎつつも、それまでの流れを一新した黎の物語。だからこそ自分としては、今後も生まれるであろう後の軌跡の作品の中のどこの部分なのか? という点において、それがわからず困惑した部分がありました。だから、閃以前の物語とは単純に比較できないと思っています。

13.原型導力器がもたらすタイムリープ──時間と認識について

 加えて黎Ⅱ単体としても、それぞれの章のどこが起承転結・序破急であるのかがリアルタイムには伝わりづらかったのではないか、というのが個人的にあります。それは、原型導力器ゲネシスによって生まれたものです。
 ゲネシスによって常に生じていたタイムリープ。何度も死に戻り、徐々にその記憶を鮮明に引き継ぐことによって、終わらない悪夢からの脱出を図る。それは単純な起承転結では語れない動きです。筆者も特に第Ⅲ部をプレイしていて、「自分が今何を見ているのか?」に確証を得られない──文字通り支離滅裂な夢のようなものだったと感じています。いや、言い訳とかじゃなくてマジで。

どこからが夢でどこからが現実なのか……?

 そして……ゲネシスについて。
 ゲネシスによって引き起こされたタイムリープですが……「これって本当にタイムリープなの?」と思いました。いや、冗談抜きで。確かに「TIME LEAP」とは書いてありましたけど、それも本当? みたいな感じに思ってます。マジで。
 例えばその現象が起きる条件(誰が死んだとき? 誰が傷つけられたとき? 誰の感情が揺さぶられたとき? その効果範囲は?)というのは、ゲネシスそのものの謎がわからんので放っておきます。

 少し考えたんですが、そもそもこういった現象はタイムリープと「タイムスリップ」「タイムトラベル」が代表でしょうか。そもそも定義を筆者みたいに詳しく知らなかった人間もいるので全員が定義の通りに使ってるわけではないでしょう。ただ一応調べて見る限り、「リープは自分自身の意識だけが時空を移動し、過去や未来の自分の身体にその意識が乗り移る」、「トラベルは自分自身が意識・身体とも時空を移動する」らしい。
 でも、ヴァンたちについては意識のみが流れ込んでいる──タイムリープに近いとは思いますが、一つ環境的に絶対的に「意識だけ」では語れない部分があります。
 それは『いつの間にか集まっていたゲネシス』です。

 黎Ⅰをかけて7つ集め、そして黎Ⅱ断章で奪われたゲネシス。タイムリープをする事に集められているそれは、意識だけでなく「体を含めて、世界線ごと」移動しなければできないことです。そもそもの話、Z1のBルートと守護騎士のCルートは同一の時間で起きていることですから、同じ世界線の話ならどちらかは消えていないとおかしい。まあ、黎Ⅱの終章で「罪の観測」という答えは出ていますが。
 なら「もしも」というIF世界を渡ったのか? いや、それも納得しかねる。その場合ヴァンやアニエスが集めたゲネシスはそれぞれ違う世界の産物で、他の世界線ではもっと恐ろしいことになっているはずです。

 だとすれば、ゲネシスによってもたらされた悪夢は、劇中の人間が言っている通り文字通りのなかったことなのだと思います。単なる悪夢を、認識を見ただけ。実際に起こったことではない。
 例えば、エリュシオンが逆しまのバベルで最後に見せた未来予測のように。
 現実は、スウィンが侵食され8つのゲネシスが集まったあの時点から、プレイヤーヴァンたちも認識していない何かを経て、8つのゲネシスを取り戻した学藝祭の日になった……そこまでいくと飛躍しすぎな気もしますが、やっぱり「これって本当にただのタイムリープなの?」と思ってしまったのです。

このチャプターセレクトすら世界戦の変更なんじゃないかと思った時があありました。

 はっきり言って、プレイヤーが体験できる物語はタイムリープ描写あるとしてもほとんど1本道です。フローチャートがあっても選択の余地はなく、ネメス島の一部のイベントを除いても、必ず「死ぬこと」と「その記憶を持ち帰る」ことを強要されています。
 それこそ、選択の余地がないのは「悪夢を纏う」という選択肢や閃Ⅳのノーマルエンドでも共通して見られる現象です。
 なら、どうして1本道の軌跡シリーズに「一見して不必要にも感じるIFの世界線を体験させる枠組みを作ったのか?」が、後の軌跡シリーズの根幹に関わることではないかと勝手に考えています。

14.原型導力器がもたらす罪の観測

 色々好き勝手に語ってきましたが、やはりゲネシスの正体や、それを作ったエプスタイン博士の意図が不明な以上は、その解明は次回作以降の物語に委ねることになりますが……整理だけはしたいなと思っています。
 アニエスが黎Ⅰで手に入れた順番に第1~7、そして黎Ⅱの最後のものを第8のゲネシスと呼んでいきます。
 ※当然、的外れな可能性もあるので、あくまで一つの考察と思って下さい!

①ゲネシスが黎で起こしたこと

・1(青):ヴァンのグレンデル化、悪夢を纏う
・2(赤):アイーダの死鬼化
・3(紫):アーロンの大君化
・4(黄):踊りによる洗脳の強化、上位存在雷獣王ウルスラグナの顕現
・5(緑):超演算の強化、意識のデータ化
・6(白):カルナヴァルにおけるルール裁定権限
・7(黒紫?):汎魔化《パンデモニウム》の顕現
・8(赤黒?):罪の観測

②《3日間》でゲネシスが関連したこと

・1:最初から保持。
・2:Aルート。アシェンの見境ない復讐心
・3:Bルート。ユメの不安と手助け
・4:Dルート。フェリの迷いからの逃亡
・5:Eルート。コーディの間違った筋の革命
・6:Cルート。セリスの認識の変化
・7:ナーディアが奪取。
・8:オーギュストが保持。

③ゲネシスの「観測」とは?

 導力器の原型であるゲネシス。アニエスがちょくちょく個々のゲネシスの機能を語ったりしていますが、見比べてみても、現時点の筆者ではどのような法則性があるかも、またゲネシス同士がどういう関連をしているのかもわからないのですが。
 ただ、アニエスは(恐らく)ゲネシス全体を通して「ゲネシスは何らかの観測に使うもの」と言っていた。第8のゲネシスが「罪の観測」であるなら、他のゲネシスもまた何かの観測をしているのかもしれない。
 黎Ⅱでは第8によって人の罪が描かれ、観測とIF世界に悪い印象が生まれていますが、その他のゲネシスも、良いにせよ悪いにせよ、IF世界線を観測しているのだけなのではないか? それこそ、他の世界線は観測しただけで生じてすらいない。エリュシオンの演算と同じように。

 第1によってヴァンの魔王の別の姿が。第3によってアーロンが大君だったIFが。首都に降り注いだ汎魔という世界線も。
 無理やり言ってしまえば、単なる導力器の現象や導力魔法もまた「その現象が起きるか否か」で複数の現象を生み出し、使用者に片一方の世界線をリアルに「観測」させているわけです。
 そして、終末の予言。エプスタイン博士は8つのゲネシスを集め「違う世界線を観測し呼び起こさなければ、今の世界のままでは」世界が終わると伝えているのかもしれません。

④ゲネシス発動の契機

 黎Ⅰの序章よりずっと、ゲネシスはその機能を発揮しています。例えばアニエスが初めてゲネシスと共鳴した現象も外せません。仮にグレンデルの姿が『ゲネシスによって《アニエスの悪夢》を再現した』現象だとすれば、グレンデルで戦う黎Ⅰから黎Ⅱまでの物語そのものが、現実かどうかもわからなくなる(まあ、そこまで言っては物語が破綻する気もしますが)。
 あとはゲネシスが光る時について。大体、ヴァンやアニエスたちに次の行き先を示す(と解釈できる)時であったり、グリムキャッツみたいな関係者が集まるように見える時もあったり。
 また、第Ⅲ部に入ってから「ずっとゲネシスが光を放ち続けている」という事実は、その間ずっとゲネシスの観察が生じている=ずっとIF世界を見続けていることの証左なのでは、とも思います。となると逆に、全てのゲネシスが集まった後であるED後(=黎Ⅲ)は、ゲネシス自体の現象による物語は終わり、ゲネシスと関わる世界そのものの動乱が待っているのかもしれません。

⑤罪の観測、という現象について

 最後に一つ。罪の観測について。
 例えばフェリが迷いから逃げて猟兵の道を突き進む世界線、アシェンが悲しさとともにヴァンたちに怒りを向けた世界線……それぞれ「罪の観測をしている」と言われればなるほどと思います。
 罪を観測させ、その結末を見せる。その時、多かれ少なかれヴァンたちが死亡することによる描写があります。
 ただ、きっかけが「ヴァンの死」であればスウィンとアニエスのルートで巻き戻りは生じえない。「アニエスの死」であれば序章での巻き戻りは生じえない。ゲネシスと共鳴した「アニエスの悲しみや苦しみ」ならば、そもそも主要人物以外の死や悲劇によっても巻き戻りは生じるはず。
 これも個人的にはゲネシスの現象がタイムリープではないと考える理由の一つだったりします。一見ルールも法則性もない、ヴァンやアニエスたちだけに都合のいいタイムリープ現象。というより、むしろ都合の悪い現象だけを見せられている。だからこそヴァンやアニエスたちを追い殺す現象を見せているのかもしれません。


 タイムリープ、ハミルトン博士、もろびとこぞりてのストーリーライン。振り返れば、黎の軌跡Ⅱはいい意味でも悪い意味でも感情の置き所がわかりにくい作品でした。第一感情が「面白かった!」と感じたにも関わらず、惑わされ、同じ場所をぐるぐるとめぐり、そうしてなんとかして掴み取ったエンディング。

 ……すみません、そんなに考察しきれなかったです(笑) しかし後悔はしていない……! 
 主人公たちの心の揺れ動きも、物語の伏線も、まだまだ余地が有る黎の軌跡です。これからもゼムリアの物語は続く。
 主人公たちが何度も殺される光景を見てきた。最低最悪の楽園の所業も知るところとなった。もう無知ではなくなった。知恵を得て楽園から離れることになったプレイヤーと登場人物たちは、これから現実の世界線で罪を向き合うことになる。
 じっくり、腰を据えて、その軌跡を見届けていきたいと思います。

 駄文&長文でしたが、お付き合いいただきありがとうございました!

記事を最後までお読みいただきありがとうございます。 創作分析や経験談を問わず、何か誰かの糧とできるような「生きた物語」を話せればと思います。これからも、読んでいただけると嬉しいです。