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生きているだけでえらい訳がない

生きてて偉いみたいな言葉があるが、そんなわけは無い。
例えば、何もしていない人間が働いている人間より偉い人間なわけがない。
だから生きているだけで偉いは最底辺の表現だと思っている。
褒める事がないから、人間誰しもできる事を褒めるのはどうかと思う。
そして、侮蔑であると受け取る人間がいる、その時点で偉いという表現は使われるべきではない。
短絡的な人間は全ての人間が偉いと評価していれば、安泰だと思っているのか、すぐ「偉い!」と言い始めるのだ。
何もしていない人間にとって生きているだけで偉いというのは重圧である。そもそも偉いという事がそんなに大切なのか?
偉くなくてもいいじゃないか、ただ普通にそうしているだけではダメなのか?
偉いと言われないと人間としてダメなのか。

偉い偉くないという生産性の有無よりは、そういう生き方でも良いという許容の方が必要では無いだろうか?
生きている皆が偉いというのは、ハードルを低くして無理矢理、褒めているような行動だから好ましくない。
そもそも、そう簡単に偉いという表現を使ったら、偉いという言葉が安くなる。本当に偉い人間が可哀想だ。本当に頑張っている人間の価値が下がるような気がする。
だから偉いという表現をする人間はどうか少し考えて欲しい。
全人類みんな同じ土俵に立っていられない。
だから全人類偉くないし、私も偉くない。
だけれども、それでいいと思える世界になればいいのにと思った。

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