私の気持ちは私のもの

タイトル通り!以上!という感じなのだが、最近ずっとこのことについて考えているので、なぜこう思うようになったのか経緯を書いておきたい。

最近Twitterをやっていて、「多分私のツイートを見たわけじゃないんだろうけど、または私のツイートを見たうえで思い至っただけで私に向かってそれを言いたかったわけじゃないんだろうけど、私が非難されてるような気がしちゃったな、私に刺さっちゃったな」という経験が最近すごく増えた。
たとえば、私が●●ファンをしているうえで〇〇だと思う、と話しているときに、おすすめタブに「●●のファンって△△みたいに言ってておかしいよね」というツイートが表示されて、私は△△とは言ってないんだけど●●ファンというところは自分に当てはまっているからしんどくなっちゃう、みたいなケース。
もしくは、実際△△だとは思っているけど、それはあまり表立って言うべきじゃないとわかっているから、他の人はそう言っていても自分は言わないようにしている場合で、「私は△△って言ってないのに、●●ファンってやっぱりまとめて言われちゃうんだな」と思うようなケース。
落ち着いて考えればスルーすればいいとわかるが、強めの言葉が使われているツイートだと冷静に見られないこともある。
特に後者のようなケースは、△△という気持ちを持つことそのものがいけないのか、と思ってしまい、少し息苦しいような感じがしてしまうことも多かった。

自分の感じ方そのものが否定されるのはつらい。自分がなぜそう思うのかやなぜ感じるのかについて、ある程度突き詰めて考えればそれらしい理由は出せるけど、他人を深く納得させることは基本的に難しいと思う。だからこそ「こんなふうに感じるなんて理解できない」とか「私はそうは思わない」とか「そんなこと考えるなんておかしい」とか言われると時々悲しくなったり腹が立ったりする。

でも、他人がどう思おうが、私には私の心があって、感情があって、考え方がある。それは私が持って生まれたものだったり、私のこれまでの経験によって培われたものだったりするから、そのこと自体が誰かに責められるのはおかしいと思うのだ。
私の気持ちは私のもので、そこに確かに存在するものであり、「正しい/間違ってる」とか「良い/悪い」とか他人にジャッジされるようなものではない。

自分がどう感じるかはあくまで自分の自由だ。ただし、自分が感じたことを他人に表現する際の表現の仕方や、そもそもそれを他人に伝えていいものかどうかはよく検討しないといけない。心の中に自分の気持ちを持っておくことと、それを外に出すことをきちんと切り分けておかないと、自分もつらいし他人もつらい。何かを言おうとするときにその都度言ってもいいものかどうか考えたり、表現の仕方を考えたりしていれば、無駄に傷つくことも他人を傷つけることもきっとないと思う。

私の気持ちは私のもの。あなたの気持ちもあなたのもの。だけどそれを外に出すどうか、外に出すときはいつどんな表現を用いるのか、それについては真摯に考えられる人でありたい。人間は社会的な生き物で、嫌うことや嫌われることはお互いにとってあまり得ではないから。