嫌だと思ったら嫌だと言える人になろう!
ようこそ嬉しの森へ♪
先日、託児をしていたイベントでのワークの中で、「嫌です。やめてください。」を言う練習をしたと参加者の方から聴いて私は驚いてしまいました。
え?嫌だと思った時に、多くの人は嫌だと言わないの?
まじかぁ〜。
あぁ、だから私は担任の先生に嫌われ、通知表に親が涙するようなことが書かれ、そして私は冷たくされていたんだわ!と、気がつきました。
私は学生時代、やりたくない作業はなーなーで、時が過ぎれば強制終了になるから辛抱だ。と作品や楽器の演奏も中途半端だったし、お勉強もできないもんはできん!わからんものはわからん!と白紙で出したりしていたので、やりたくないことを無理にやるという感覚が子ども時代から欠如していたのだと気がつきました。中学3年生の担任には「あなたのような生徒を引き受けてくれる学校はありません!」と3者面談で言われ、母親は号泣し、夏休みに家庭教師がつけられる始末。結果、家庭教師の先生(父親の麻雀友達の娘さん)の教え方が私にとてもあっていて、数学と英語を得意だと勘違いしてしまうほど成績が伸び、無事に地元の高校に進学できたのでした。
私の経験から、学校に行くのが苦痛ならば、無理していくことなんかない。
学校は、学校が好きな人だけ行けばいい!という考えになり、我が子たちが学校生活に挫折してもノープロブレムな訳です。
中学3年生の長男は、学校生活や友人関係で人間不信となり、引きこもり中ですが、笑顔でいてくれればそれだけでOK。
中学2年の長女は、支援級と中間教室と学級と利用し、好きな時間に行き、給食食べて部活(美術部)に参加して帰宅する日々。中学1年生の夏休み明けから登校しないことを決め、大好きなイラストを描きまくり、めちゃめちゃ上手でみんなびっくりするほどの腕前となり。
小学5年生の次女も中間教室と学級を利用し、好きな教科だけ受け、宿題もないし、好きな時間に行って給食食べて好きな時間に帰宅する生活を送っています。
嫌なことを自分を殺してまでやる必要はないと私は思っています。嫌なら嫌ですとはっきり言えばいいだけ。それで怒られたら、その人とは距離をおけばいい。
ただそれだけだと私は思っています。
もしも、ちゃんとやらなきゃダメだよ!とイラつきを感じるとしたら、それはイラつきを感じている人もやりたくないことをやっているということだと私は理解しています。
だからやらなければいいじゃん!と、私は思ってしまうのですが、大人になるまでの間に植え付けられた誰かの価値観が、なかなかそうはさせてくれないというのが一般的なようです。
なければならない価値観が魂を傷つけてしまっていることに気がつき、できない自分を人に見せてはならないという思い込みが、この社会を殺伐とさせていることを知ると、楽になれる人が増えると私は思い、そうなるようにと願っています。苦しみをなくしハッピーな世界をみんなでつくりたい!
それが嬉しの森の願いです。
嬉しの森住人 おばたくみこ
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