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【SNK】サムフーズ【侍魂】

『サムスピ』における食べ物のお話。
 ご存じのように『サムスピ』は(ご存じだよな?)、おおむね天明から寛政年間にかけての物語である。
 少しだけ詳しく説明すると、『零サム』時点の1786年(天明6年)から始まり、『閃サム』時点の1790年(寛政2年)でひとつ区切りがつき、『蒼紅』のみ時代が少し下って1811年(文化8年)のこととなっている。まあ、だいたい18世紀末~19世紀初頭のお話と思えば間違いない。天明の大飢饉によって日本中が大打撃を受けていた頃のことである。
 それではこの時代、覇王丸や右京さんたちは何を食べていたのか? 食卓の風景はどんなものだったのか? という、アカデミックのようでアカデミックではなさそうなお話。

 まずは右京さんの本体ともいえるリンゴの話題。
 初代リリース当時からたびたび指摘されていたように、この時代、現代でいうところのリンゴ、すなわちセイヨウリンゴはまだ日本には入ってきていない。日本に初めてセイヨウリンゴが入ってきたのはもう少しあとの時代、幕末の頃のことで、明治維新後に欧米産のリンゴの苗木が大量に輸入され、東北や北海道を中心に広まっていったという。
 さて、それでは右京さんが懐から取り出して投げているアレは何なのか? まあ、スタッフがリンゴというならリンゴであろう。というか、あくまで当時の日本になかったのはセイヨウリンゴであって、日本にはもともとワリンゴというものがあった。リンゴ属に分類される植物は、北アメリカ、ヨーロッパ、アジアで誕生したといわれていて、日本にはアジア原産のリンゴが中国から伝来し、古くから栽培されていたのである(現在はほとんど生産されていないらしい)。
 なので、右京さんがリンゴを持ち歩いているのは何らおかしくない。それでもあえて「おかしいだろ!」とツッコミを入れるところを捜すのであれば、右京さんが投げるリンゴが真っ赤だという点くらいだろう。ワリンゴはたいてい黄色いからである。

赤い……まるで血のように赤い。

 続いては覇王丸が大好きな江戸のお酒事情。お酒というか、お酒そのものではなくその周辺。

このサイズ感だと、だいたい3合入りくらいかな?

 これは『令サム』の覇王丸のエンディングだが、ここで覇王丸が一杯やっているのは当時の居酒屋だろう。木製のテーブルと椅子が並んでいるシーンを時代劇などでしばしば目にするが、実際にはこのエンディングのように、ベンチ状の長椅子や畳の上に座った客に対し、盆や足高膳で酒食を提供するというのが当時の居酒屋のスタイルだった。
 そもそも居酒屋というものが出現したのは江戸も後期に入ってから、それこそ18世紀なかば頃のことで、それまでは酒屋で買ってきた酒を宅飲みするか、もしくは酒屋の店先で買ってすぐに飲む、いわゆる角打ちするしかなかった。
 ちなみにこのシーンで覇王丸が飲んでいるのは燗酒。右にいる客たちと覇王丸の前に置かれている、急須とポットを悪魔合体させたような背の高い赤い器は、酒をあたためる際に使用されるちろりと呼ばれる酒器である。たいていは銅でできていて、中に酒を満たして熱湯に浸し、簡単にいえば湯煎であたためるのである。現代の居酒屋では熱燗を頼むと徳利に入った状態で出てくることが多いと思うが、燗徳利が使われるようになったのは19世紀に入ってしばらくたってからのことらしく、この時代にはまだない。

 そして最後は火月の好物、イノシシ。
 古来より文明開化の頃まで、日本人は積極的に獣肉を食べてこなかったと考えられがちだが、実態は少し違う。牛馬を食べることを禁じた天武天皇の詔や、殺生を禁じる仏教の隆盛など原因はいくつかあるだろうが、それでも野鳥や野獣を捕らえて食べる文化は確実に存在していた。
 特に、イノシシ、カノシシ(=シカ)、アオシシ(=カモシカ)などといった獣は農作物に深刻な被害をもたらす害獣であり、天皇の詔でも食べることを禁じられていたわけではなかったため、よく狩られていたという。というか、当時の日本の山々には、少しばかり乱獲してもいなくならないくらいにたくさんの野生動物がいたらしい。実際、関東平野を開拓して江戸という都市が作られた頃は、そのへんにイノシシがうようよしていたという話で、江戸のみならず、京や大阪にもその肉をあつかう店があったという。
 もひとつちなみに蒼月の特技が牡丹狩り(イノシシ狩り)なのは、おそらく幼少期から火月のためにイノシシを狩ってきたからだろう。何だかんだで面倒見のいい兄貴である。

まあ、これが牡丹鍋かどうかは判りませんけどね。


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