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【DDS】邪推の館【SMT】

『真・女神転生Ⅴ』発売から早くも1年たったらしいので、いまさらではあるが総評。ちなみにぼくはFC版『女神転生』からプレイしていて、今作は全ルート合わせて12周くらいプレイしている。『儀典』とか『NINE』も遊んでいる。悪魔が好きなので『ペルソナ』よりは『女神転生』を選ぶ、という感じの面倒臭いプレイヤー。

 今作は少しニッチなイメージのあるシリーズを変えていこうとするこころみが随所に見られて、それは個人的には評価したいと思っている。
 たとえばメインのマップを擬似的なオープンワールド風にしたのは、崩壊した東京という、シリーズに共通して描かれるメインの舞台を、これまでになく印象深く、虚無的にプレイヤーの前に提示してくれたと思う。
 もちろん、『真Ⅰ』以来の見下ろしもしくは俯瞰マップの上をカーソルがくるくる回転しながら移動するというのも、それはそれでデジタル的な無機質さを表現していたとは思うが、やはり高低差のある3Dマップを実際に走り回れるというのは、「ぼくは今、この荒廃した東京砂漠をさすらっているのだ……」という手応えを力強く感じさせてくれる。
 しかしその反面、それが生み出すマイナス要素もある。この広いマップは実際にはほぼ一本道のようなもので、決してオープンワールドではない。オープンワールド的に好きなところから攻略することはほぼ不可能で(サブクエストのクリア順くらいはある程度は好きにできるが)、しかもマップの構造のせいで何度も落下したり、行けそうで行けない場所があったり、悪名を馳せた魔王城のギミックなど、アクションが苦手な人は特にイライラさせられる部分が多かったことと思う。
 また、本来ならシリーズの特徴のひとつだったはずの3Dダンジョンもほとんどなくなってしまった。おそらくこれは、あの広大なフィールドでの冒険をメインにしたかった結果だろうが(はい邪推)、上述したアクション要素とともに、フィールド関連でのよくない点のひとつだと思う。せっかく東京タワーがあるのに中に入れないし、トウキョウ議事堂も中身はスカスカ。『Ⅲ』の議事堂を再現しろとはいわないが、やはり物足りなさを感じる。

このね、この左にあるの、東京タワーなんです。でも中に入れないんですよ! 残念!

 次いで、戦闘や悪魔合体関連。ここでは特に大きな不満はなかった。ブラッシュアップされ続けるプレスターンバトルは相変わらず楽しいし、今作から採用されたマガツヒスキルも面白い。スマイルチャージがなくなったのもよし。難点を挙げるとするなら、うっかり転生してしまった場合の、2周目以降の難易度の急激な低下はどうにかしてもらいたかった、という点くらいか?
 新規の悪魔たちは、いわゆる金子デザインではないわけだが、そこはあまり気にならない。ぼくらは『真Ⅳ』という地獄を覗いてきたからね。アナーヒターやデメテル、クレオパトラやメフィストといった3DS世代からの参戦組も綺麗に3D化されていて、今作の開発期間の大半は悪魔のモデリングに費やされていたのではないかとすら思ってしまう(また邪推)。
 ただ、一枚絵での表示とはいえ『真ⅣF』に登場した悪魔が400体近かったのに対し、今作では200体と少しというやや物足りない数。悪魔のモデルは『ペルソナ』でも流用できるわけだし(これも邪推)、ここはもうちょっとがんばって数を揃えてほしかったところ。
 とはいえ、個人的には今作の悪魔合体は歴代屈指の楽しい仕様で、自分好みの最強の仲魔を作りたいがために、ぼくもうっかり12周もしてしまったわけだが、何だかんだで好みのスキルを比較的自由につけられるというのはありがたかった。正直、300時間以上のプレイ時間のうち、大半は悪魔合体に費やされていたといっても過言ではない(見事な邪推)。

スキル変異なんかなくったっていいんですよ!

 最後にストーリー、キャラクター関連。率直にいってしまうと、トレーラーなどで煽られた期待感からすればやや肩透かしの感は否めなかった。
 まず、なぜ主人公たちを縄印学園の生徒たちに設定したのか? 『真Ⅲ』の主人公たちも同じ高校の同級生ではあるが、あれは特段、学園ものを強調する描写はない(そもそも開始直後に東京受胎が始まるし)。一方の今作では、導入からしてがっつり学園モノ――と思わせておいて、学園での生活はほぼ描かれない。ダアト化した校内に乗り込み、さらわれた生徒たちを救出する中盤のイベントが終われば、もはや学園には用がなくなる、むしろイベントシーンのためだけにたびたび呼び出される学生寮のほうが重要とさえ思えてくる。
 こうなると、縄印学園という舞台や、主人公たちがそこの生徒だということを前面に押し出した意義があまり感じられないのだが、おそらく開発当初はもっとこのあたりに大きな意味を持たせていたのではないかと思う(ここでも邪推)。
 そもそもあの学園は、ツクヨミが意図的にナホビノ(=神々の知恵)の候補者ばかりを集めた施設だった可能性が高い。実際、自身が女神だったタオ以外の主要キャラは、全員がいずれかの神の知恵をつかさどる存在だった。序盤でモブ生徒が、なぜ太宰イチロウみたいな取り柄のない生徒がここにいるんだ? というような疑問を口にしていたが、それは彼がアブディエルの知恵として集められていたからにほかならない(とぼくは思う)。加えて、生徒たちがダアトにさらわれていったのも、悪魔たちがその中から神の知恵である人間を捜し出すためだった。いつわりの東京にはほかにも多くの人間たちがいたにもかかわらず、さらわれたのが学園の生徒だけだったことから見ても、やはりそういうことだったとしか思えない(まぎれもなく邪推)。
 ただ、何となくそうなのだろうなという邪推推測はできても、ゲーム内ではそれについてはいっさい語られなかった。なぜツクヨミはほかの文化圏の神々の知恵となる子供たちを見極めることができたのか。彼らを一か所に集めてどうしようとしていたのか。そうした疑問はまったく解消されていない。どうして物語中でそこを語らなかったのかは不明だが、ひょっとすると製作中に方針転換でもあったのかもしれない(さらなる邪推)。最初の発表から実際の発売までかなり時間がかかってしまったが、それでも製作が間に合わずに途中でさまざまな要素を切り捨て、変更し、今の形になったのではないか(かさねがさねの邪推)。
 主要キャラの描き方についても、全体的に薄味というか、もっと突っ込んで描写してもよかったように感じてしまう。
 たとえばユヅルは、判りやすい妹思いの優等生メガネとして登場するが、実はベテルの一員だということが判明して以降は、徐々に越水の腰巾着と化していく。自分もまたナホビノとして創世を目指せると知ると、わずかに主人公に対してライバル心のようなものを見せることもあったが、本当にほんのわずかで、どうにも主体性のようなものが感じられない。そして最終的には、妹ミヤズのことすら眼中になくなってしまう。ユヅルがそうした肉親の情より大義を選ぶ少年なのだとしたら、その葛藤をどこかで見せるなり、あるいは妹を切り捨てる冷徹さを見せるなり、もう少していねいな描き方をしてほしかったと思う。
 それは八雲にしても同様で、一応はジョカによって終盤で一気に語られはするものの、「確かに不幸だが、そこからこの思想にたどり着いてこんな行動に出るか?」と、やや首をかしげたくもなるし、その考えにジョカが共鳴して協力する理由もよく判らない。
 それとくらべれば、自分自身への無力感にさいなまれていて何をやっても駄目だったイチロウが、いくつもの挫折の果てに、自分があこがれたアブディエルの知恵なのだと知ったことで、自信に満ちあふれたまったくの別人へと変貌していくさまは面白かったし、その理由にも納得がいく。アブディエルの堕天シーンとも合わせて、このコンビは相対的にかなり優遇されていると思う。
 ただ、人間、悪魔を問わずにもっとも優遇されていたように感じるのは、ことによっては気づかずスルーしかねないサブシナリオながらも、ミヤズとのロマンス(?)が描かれていたコンスのような気がしてならない。檜山ボイスもよく合ってたし。おそらくスタッフ内にはエジプト好きが多いのだろう(好き勝手に邪推)。
 ぼくは『女神転生』シリーズを、人間ではなく悪魔を見るゲームだと思っているので、悪魔が主要キャラとして動いてくれるのは大好きな展開なのだが、だからといって人間キャラが放置されていていいとも思っていない。少なくとも人間たちを深く物語に加わらせ、かつそれを興味深く見せるという意味では、今作は前作におよばないと感じた。『真ⅣF』は『真Ⅳ』あってこその作品ではあるが、たとえそうだとしても、唯一神に対抗しようとするクリシュナらの暗躍、それとは別の視点に立ったダグザのもくろみ、さらにはそれらに翻弄されるナナシの物語が、多彩な登場人物たちとともにきちんと描かれていたからである。

 こうして考えてみると、やはり今作は、いい部分も数多くある反面、足りない部分、薄い部分も見受けられる。ただ、それでもトータルで見れば、ぼくはこの作品が大好きだし、あれこれ記憶が薄れた頃にまた遊ぶと思う。もちろん『真Ⅰ』や『真Ⅱ』もいいが、この作品は(アクション部分以外は)あれこれストレス源がなくなって遊びやすくなっており、それが何よりの長所といえるだろう。
 かつて、同じように登場キャラが少なくシナリオ的にもかなり淡白だった『真Ⅲ』が難易度もシナリオ面でも濃密にマニアクス化し、『真Ⅳ』がファイナル化して別の切り口を見せてくれたように、今作にもそうした変則的な外伝が出るのではないかと思わなくもなかったのだが、あの閉じた世界観では、主人公とアオガミのまったく別の冒険(=人修羅によるアマラ経絡の冒険)や、あの主人公とは別の主人公を立てての物語(=フリンに対するナナシの物語)というのもちょっと考えにくいので、たぶんないのだろうなとは思う(最後まで邪推)。

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