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2024-01-26

 Twitter(X)や2ch(5ch)といった短文でのやり取りが基本であるSNSでインターネット生活を過ごしてきてしまったせいで、自分の考えをまとめてから出すということができなくなってしまった。
 いや、「できなくなった」というのは本当だろうか?どちらかというと、元々なかった能力がそのまま育つ機会を失ってしまったというのが正解なのかもしれない。
 上の文章のように、私が流れのままに出した思考や表現に対して、頭の中の批評家のようななにかがアレコレと文句をつけてくる。強すぎる理性というやつなのだろうか。そういえば以前受けたMBTI診断ではINTP-T(論理学者)という性格タイプだった。
 特徴をまとめたサイトに書いてあった「頭では色々と考えるが人付き合いやコミュニケーションは苦手」というのはとても当てはまるが、私は果たして「論理的」なのだろうか?論理的なら、様々な知識、証拠、推察などをもとに人を説得できるような何らかのロジックを組み立てられるのではないかと思う。対して私はどうかといえば、バイト仲間への作業の引き継ぎ内容すらすぐにまとめられない。
 脱線しすぎて、この文を書きはじめたときに言いたかったことに繋げられる筋道も思いつかない。というか、考えるのが面倒くさい。思考すらおっくうな論理学者とは果たして論理学者なのか?取り柄がないということなのでは?
 とにかく、強すぎる理性が私の適当な思考を攻撃してくるので、やりにくい。
 インターネットでは人同士の対立や、「煙を先に立ててから集まった人間の熱量で本当に火を起こしてやろう」とでも思っていそうな頭の悪いニュースや投稿をたくさん見ることができる。それらを目にすると「全人類がせめて私くらいには良心を持っていればいいのに」という考えが浮かぶ。
 しかし、その思考が文章として脳裏に淡く見えただけでも私の理性はやっきになって「そんなのありえない」とか「自分のことをどれだけ過大評価しているんだ」とか「しかしこういう多様性こそが今までの人類史を築いてきたのであって……」とか、一人の脳みそのくせに、よってたかって私を攻撃してくる。そして私の脳のくだらない思いつきを司る部分は「うるさいな、わかってるよ」とスネるのである。どんなに価値のない発想でもいったんは理性が賛否両方の立場に立って裁判を始め、裁判長が判決を下す前に被告人の私は面倒になって退廷する。こんな人間が一貫した思考を組み立てられるわけない。しかも、もし結論が出たとしても行動に移すわけでもない。すべてが無意味なのだ。ゲームのナンバリングに後付けで加わるが原作に矛盾が出ないように登場人物が全員死ぬタイプの過去編、「エピソード0」みたいなものだ。
 ……うまいことまとめられなかったので終わる。


 ちくしょう!だいなしにしやがった!お前はいつもそうだ。
 この文章はお前の人生そのものだ。お前はいつも失敗ばかりだ。
 お前はいろんなことに手を付けるが、ひとつだってやり遂げられない。
 誰もお前を愛さない。

 「誰もってことはないでしょうよ」 あぁまた理性が……。

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