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神の話#10 神=バカ=自分



 神のこととバカバカと繰り返してきましたけれどもね、神とは、結局は自分なんですね。遠藤周作の言うとおり、人間の根底にある「場」ですね、人間に与えられた「自分」という「場」ですよ。人間なら誰もが「自分」という場を与えられているんです。人それぞれ、一人一人を人間たらしめているものが「場」であり、「自分」であり、「バカな神」であります。やはり「バカ」ですよ。愛すべきバカですよ。分かったような気になっている人は、かわいくないですなぁ。。昔の賢い人もたしか言っていましたよ。バカな方が良いってねぇ。「無知の知」という言葉で言われていましたかねぇ。
 神は世界を創ったのかもしれませんがね、実際には考えて創ったわけではないんです。なんかできちゃったんだと思いますよ。だってね、あたしたちだって、なんか生まれちゃったじゃないですな。神は自分の意志で世界を創ったわけではないですよ。あたしたちが自分の意志で生まれたのではないようにねぇ。神には世界をコントロールすることは難しいとおもいますよ。あたしたちが、現実をコントロールすることが難しいのと、全く同じですよ。
 つまりね、我々と神は、一心同体であり、協力して、良い世界を創っていく必要がありますなぁ。そのために重要なことはね、楽しく生きることですよ。幸せに生きることですよ。それができなかったとしてもね、難しかったとしてもね、それを目指すことですよ。また、「楽しく」とか「幸せ」という言葉にしっくりこなければ「納得いくように」とか「よりよく」などでもいいですし、「前向きに」とか「全力で」「ほどほどに」「死ぬ気で」「安定して」「穏やかに」「活動的に」「哲学的に」など、自分に合う人生の形を模索することが大事だと思いますねぇ。それが、神様が読む教科書になりますから。
 もしかしたら、あたしたちの生き方に対して、神はドライかもしれないですけれどもね。それが遠藤周作の『沈黙』が示す神の可能性もあります。あたしたちの人生は、全ての生命体の内の一つの事例に過ぎなくて、神は宇宙全体の我々の想像を遙かに超える多様な生命の統計を取っている可能性もあります。だから、人類なんてね、あんまり重要に思っていない可能性もありますよ。落語もね、聞いてはくれるだろうけれど、重要かどうかは神が判断することですから。ただ、バカはバカだとは思いますよ。そして、どうすればいいか、いつも悩み、迷っている、良心的なお方なんですな。
 そいでね、神=バカ=自分と考えることは、自分を大切に思い、そしてよく見ることでもありますね。自分に対して謙虚になることでもありますね。自分がバカであることを認めるのは、やや苦労しますよ。あたしは賢者のように、自分は何も知らない存在でであり、まだまだ学ばなければならない存在とは思えないのですよ。「おかげさまで」と言われれば喜んでしまうし、何か立派な賞をもらえば喜んでしまいますから。賢者はそれをあまり良くないと思ったそうですけれどね。あたしも含めてね、周りの人も驚くほどに心が小さく、弱く、プライドが高い人間ばかりですよ。でもね、それが人間であり、所詮バカな神よりも馬鹿げたしょぼい存在ですよ。あたしたちは。
 神はバカだが、バカだからすごいんですね。バカを自覚することは、とても徳の高いことなんですよ。神は、誰よりも謙虚で、誰よりも一生懸命に世界のことを考えています。そこに存在してくれているんです。
 あたしだって本当は神になんてなれていないのだ。自分をどれだけバカであるかを、まだ、エゴや自己愛が邪魔をして、心の底からは思えていないですからねぇ。どうすれば、神になれるのだろうか。結局のところ、神は神、人間は人間なのかもしれないですね。だんだんと、話がこんがらがってきた。あぁ。

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