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神の話#6 宗教と神



 『#5』で大体あたしの神に対する独特な考え方の主張は終わりなのですな、だからねぇ、もうこの『#6』は読まなくてもいいかもしれませんな。あたしは説明するのが、天才でしてねぇ、あたしの文章をほんの数行読めば、言いたいことが伝わるはずでございますけれどもね、あなた方がこれ以上あたしの文章を読みたいと思うのであれば、仕方がないから書きましょう。あたしはねぇ、自分の文章が一番おもしろいと思っているんですよ。でも世の中にはね、いちゃもんをつけるのが好きな人がいますからね、注意が必要ですね。いちゃもんを読むのは嫌いですねぇ。文章の上手いグランプリを開催するならね、困りますなぁ、選ばれちゃって目立っちゃって。え? あぁ、あたしはね、うぬ惚れるのも天才なんですよ。
 話を戻しまして、もう少し神について深掘りできるところを話してみましょうね。
 まず、宗教と神の関係ですね。
 ハンナ・アレントがキリスト教などの宗教のことを「啓示的宗教」と言っていました。啓示的とは、教えがある、ということだと思います。宗教って教えがあるから宗教なのでは? と思うところもあるが、ハンナ・アレント的には違う宗教も知っているのでありましょう。
 啓示的宗教の教えの元は「神」である。どのような難しい問題について考えたとしても、西洋の論理的思考の頂点とでも言えるような天才科学者、天才哲学者、宗教学者がどれだけ考えても出なかった答えについては、「神がそうされているのだ」「神がそうおっしゃっているということなのだ」というような結論になるんだと思います。それが「教え」になるので、教えは正しいのですね。さらには、人間の能力を超えた存在と言うことになるので、神は「畏れ」の対象にもなります。神に逆らうことは、よくないことなんですねぇ。
 仏教はどうなんでしょう。仏教に実は神が存在していると言って良いんじゃないかと思っています。調べたところによると、大乗仏教のみですね。仏陀は神の存在に言及していないのではないと感じます。仏陀が言及しているのは、おそらく「人間を苦しみから解放する方法(もしくはそれに関係すること)」のみである。
 では、大乗仏教の神とはなんでしょうか。これは「大日如来」ですね。大日如来とはすなわち「自然そのもの」で、これを神と言うか、神と言わないかを問題とするのは控えておくが、なんとなく神と言っても良い気が致しますな。
 自然そのものとは、例えば風。風は大日如来なんですよ。どういうことかと言うと、風を司っており、かつ、風そのものと言うことですね。だから、自分の中の大日如来=自然を確認することができれば、それはもう、大日如来であり自然であるということなんです。自分さえ自然の存在の一部であり、自然そのものなんです。それで、大日如来にこだわった空海は「現世で幸せになれる」「現世で悟ることができる」と言った、つまり、我々は大日如来=自然の恩恵をいつでも受けることができる。つまり、神にもなれる?(違うかもしれないが)というような感じなんじゃないでしょうかねぇ。
 ただあたしの描く神はバカなので、キリスト教や仏教とは少々違うような感じも致しますねぇ。他の宗教については、よく知らないんでね、また知る機会があったら分析をしてみたいと思います。

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