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ゴッドマザー2

 神惰亭。神が惰らける処。旦那が営んだ居酒屋を、死後、妻の守谷香実子が引継いで二十年。数々のお客が足を運び、ここを居場所としてきた。女将はお客の話の聞き役として傑出していたが、中には女将の意見を聞きたくて訪れる者もある。そのときの独特な回答により、噂によると香実子は「ゴッドマザー」と呼ばれることもあるという。

 これは、神惰亭の学生アルバイト門和海が、女将とお客の話や、ゴッドマザーの考えをまとめて書き始めた日記である。

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 これは私がママのことをゴッドマザーと呼んで慕うお客さんとの会話を聞き、その中で私がこれはなるほどと思ったものをまとめています。私はママの居酒屋で働く一人のただの大学生です。なのでゴッドマザーの哲学を全て表現できているとは到底思えません。若輩者なもので、そこまでの理解力と表現力を備えていません。ですので、どうぞご容赦ください。






 ママのもとには女性の客も多く訪れる。神惰亭の客層は、どうも分析しがたい。ご年配の人が多いのかなと思ったら、若者も来るし、キャリアウーマンが多いなと思ったら、ギャルも来る。たまに赤ちゃんもいる。日本人だけだと思ったら、外国人もいる。ママ曰く、この店のターゲットは全員だという。前に制作費をかけすぎた映画プロデューサーが「日本人全員に見てもらわないと赤字」と本に書いていたのを読んでから、そのモットーをパクったのだと言う。

「でも神惰邸はいつもお客さんいるから、赤字にはならないですよね。」

「いや、赤字よ。私よくサボるから。ほら。」と言って見せられたのは、赤ボールペンで書かれた昨日の売り上げだった。

 今日来た女性のお客さんは、上品な方だった。なぜこのようなお金を持っていそうな人がここには集まるのか、不思議でしょうがない。お金のない人もよく来るのだが。この方は、アパレル関係の会社を経営しているそうである。

「ファッションっていうのはね、すぐに廃れてしまうの。だから、難しいのよ。だから、アパレルビジネスで重要なのはね、スタイルを確立することなのよ。スタイルって言うのは、まあ、ブランドみたいなものかしら。ブランドともまた違うわね、その、布の黄金律、見た目の黄金律を自分なりに発見するということね。日本語で言えば、様式。それが発見できれば、お客が買ってくれ続けるわ。美しさ、エレガンスは、お金で買えるのよ。私の服を買えばね。」

 その人は、歯切れのいいもの言いで、従業員に対してもこのような言葉を日々かけているのだろうと推察された。ママがファッションに関しての知識がどれだけあるのか分からない。このように返答してした。

「皮肉なものね。人は見た目が九割っていう言葉もありますものね。私は、あなたの見つけたスタイルは、似合います?」

「そうね。ママは、どういう服が好みなの?」

「私は、シンプルなものが好きよ。あんまりこだわりがないとも言うかもしれないけれど。」

「立派なこだわりよ。私のブランドは万人に似合うスタイルではないのだけど、ママは似合うと思うわ。」

「お店で着れる様なもの、ちょっと見繕ってくれないかしら。もし良かったら、ここで着させてもらうわ。」

「あら、ほんと。それなら何着かあげるわよ。そうね、、、」といって女性は部下と思われる人物に電話をかけ、その人たちが大量の服を持参して後日店にやってきた。ママの寸法を細かくはかり(ついでに私や他のお客さんも)、店は営業中にもかかわらず、つかの間の大試着会となった。ママの試着中には、なぜかお客さんの数人がカウンターでお酒や料理を作っていた。ママは店用に、私はフォーマルな式などで使える服をいただいた。

 実はアパレル関係者のお客さんはこの人に限らず来ており、ママは曜日ごとに服のブランドを変えている。どの会社の人が来ても、ママは不思議なことに必ずそのブランドを身につけている。その秘訣は「頭の先から足の先まで、人間は頑張れば15種類くらいのブランドは身につけられるわ。」とのことである。確かにママはいつも重ね着をしてた。





 よき家庭で育ち、順風満帆な人生を送っている若者のように見えた。彼はきれいな言葉を話し、育ちの良さを感じる雰囲気だった。

「子どもの頃は両親や大人の話をよく聞くべきだと思います。世間を知り始めたときには、年長者を敬い、同じように話を聞くべきです。これは当たり前のことですが、これに加えて言葉遣い、教えてもらったことを守ること、積極的に人と関わること、特に尊敬できるたくさんの先輩を見つけ、慕うこと。そうした生活を送りながら余力があるときに、娯楽は楽しむべきです。」

 女将は優しい表情でうなずきながら彼の話を聞き、その後にこのように言った。

「あなたはとても魅力的なご両親に育てられたのね。それに勝る幸運は、私はないと思うわ。大人にとって信頼してもらうことほど、喜ばしいことは無いわ。あなたみたいな人がいると、自分の人生は間違っていなかったと、大人も自信が付くわ。人を選んでしまいたいと頭をよぎることばかりですけれども、私もあなたを見習ってたくさんの人と関われるように努力したいわ。」

「でも、このお店はいろいろな人がいるじゃないですか。それはママが人を選ぶなんてことをしていない証拠だと思いますよ。」

「ありがとうね。そう言ってもらえるととてもうれしいわ。」

 若者は自分意見を聞いてもらえることがとてもうれしそうな様子だった。ママという年長者に躊躇なく自分の意見をぶつけるのは失礼に見えなくもないが、ママは余計なことを言わなかった。つまりママは人を選んでいる。私はそのように見え、ママは計算高いと思った。






 この日に来たのは、どうも気力のない女性だった。ほとんど一言も喋らずに帰って行った。ママがずっと喋っていた。


「お久しぶりね。まあ、どうぞ座って。久しぶりに会えて嬉しいわ。私はここのところは、そうね、あまり変わらずね。四月から新しくアルバイトのカズりんが入ったの。大学生。あまり変わらずだけど、変わらなさすぎて、これでいいのかって思ってしまうわ。変わらないと集中力が落ちると言うか、つい惰らけるというか。私、未亡人でしょ。死ぬまで未亡人でいいのかなって、あと五年で還暦でしょ。終活っていう言葉を、ちょっと思い浮かべるわ。一人で大丈夫かしら、誰かと、老後は、少しでも寄り添っていった方がいいのかしらとか、まあお客さんとか、今までここで働いていた子達が私の周りにはいるから、心配ないのかもしれないけれど、でも、なんだかんだ言って、遠くの親類より近くの他人といえど、やっぱり世間では下の世話までするのは親戚でしょ。友達や同僚やご近所さんは、どうも、それぞれの人とのちょうどいい距離感があってこそだと思うわ。卑屈かしら。身体はねえ、至って健康なのかしらね。そこまでどこかに異常を感じることは無いわ。一応健康診断は行っているし、私病院好きだから、ちょっとでも違和感があったらすぐに病院に行きますから。やっぱり病院で処方される薬が一番効きますわ。科学技術におんぶに抱っこで生きているわ。もっと自分の身体は自分でいたわった方がいいのかもしれないけれど、これだけ医療が発展した時代に生きているんだもの。軟弱に育てられたのは、自分のせいじゃないわ。ああ、でも最近は手荒れがひどいわね。皮膚科の先生に聞いたら、アレルギーだって。これまでそんなこと言われたことなかったんだけど、花粉かもしれないって。花粉症って今までなくても症状が出ることあるって言うでしょ。もう、嫌になっちゃうわ。それにしても、あなたが来てくれて嬉しいわ。ちゃんと食べてます?何か食べます?あ、そういえばケーキつくったの。食べてくれる?味は、これから改良したいから、感想教えてね。後でメールでもいいわ。ああ、もうちょっと元気になりたい。元気さえあれば何でも乗り越えられると思うの。年齢と日々のストレスはほんとにやっかい。お互い頑張りましょうね。」

 お客さんが帰った後、私はつい聞いてしまった。

「あの人はどのような方なのですか?」と。

「あの人は、私の友達。」

「どんな?」

「んー、私の悩みを分かってくれる人。ちょっと深めの悩みを分かってくれるの。」

「なるほど。普段、あの人は何をされているんですか。」

「あの人は、普段何してるんでしょうね。本を読んだり、してるんじゃないでしょうかね。あまり喋らないので、ちょっと私もよく分からないのですが。ごめんなさいね。」

「そうなんですね。」

 ママの友達の定義は、悩みを分かってくれる人、ということなのだろうか。私もママの友達になりたい。





 その人は若いビジネスマンを四人組のうちの一人だった。その中では、二番目に年長者らしく、一番の年長者を差し置いてたくさん喋っていた。会社にいる同僚の愚痴を言い、後輩二人は非常に気まずそうな表情をしているように見えた。

「ね、ママ。あいつはさ、仕事しないで女のことばっかり考えてるんだよ。会社に勤めてるんだから、会社に利益をもたらしてから、自分の好きなことやれってんだよ。分かる?ママ。自分のことばかり考えてるやつと俺は一緒に仕事したくねえ。別に仕事ができなくてもいいんだよ。一生懸命やってれば。でも、手を抜いて仕事してるやつが許せねえんだよ。」

 ママは困った表情でその話を聞いているように見えた。「そうなのね。たいへんな同僚を持つと、色々と思うところが積もって、仕事どころじゃなくなってきますわよね。」

「そうなんですよ。俺があいつのせいで仕事に集中できないときあるんすよ。」

「私もね、小さいお店なのですけど、一人で仕事をしているわけではないんですの。一人でも、回らないことはないんですけれども、もう一人はなるべく雇うようにしていますの。今は和海ちゃんね。」

 ビジネスマンは私の方を見て、笑顔でお辞儀をした。仕事のできる営業マンの雰囲気があった。私も軽くお辞儀をした。

「あなた、どちらがいいと思います?もう一人雇うのと、私一人でやるの。」

「そうだなあ。ママは実際のところ一人で困ってることあるんですか?一人で。」

「ないわ。」

「じゃあ、別に一人でもいいんじゃないですか。」

「そう、じゃあ、やっぱり一人でやっていくことにしようかしら。」

「まあ、この子が成長してもらって、お店を任せられるようにするっていうのも一つの手だと思いますけど。」

 私が目の前にいるのに、私の話をしていることに、ビジネスマンは若干気まずそうな感じがしているようだった。

「いいのよ。別にこの店は私が死んだら、それで終わりだから。」

「そうなんですね。俺は、せっかく雇ったなら、いろんなこと教えてあげて、一人でも店回せるくらいにしてあげてもいいと思うんですけど。」

「そうね。おっしゃる通りね。和美ちゃん、どう思う?」

「私は、本当にいろいろなこと学ばせてもらってますよ。まだ、2ヶ月も経っていないですけれど。」

「それは良かったわ。でも、組織に誰が必要で、誰はいらないのかって、考えるの難しいわね。」

「そうなんですよ。」ビジネスマンは言った。そして先ほどの話を繰り返すように、例の同僚についての愚痴を続けた。

 後輩二人のうち一人は、気まずい表情から、少し饒舌な先輩を下に見るような目に変わっていた。一人の喋らない上司は、女将ににこやかな視線を送っていた。





 神惰邸では、反省会が行われることがある。その時間は反省会と呼ばれているが、反省をしたことはほとんどない。そもそもほぼ一人で三十年もやっているのだから、反省することもなあなあになっている。反省会という名前をつけて、反省をしない。だって、神様だって惰らける場所よ、ここは、というのが、ママの意見である。あえてそういう風に言うのが、洒落ているのだという。

「カドりん(気付けばこう呼ばれる様になっていた。)、最近は元気に生きてる?」

「え、どうしたんですか、何か、気になることありました?」

「いや、無いわ。ただの、会話のきっかけ。」

「元気ですよ。」

「そう。そういえば、最近新メニュー作ったのよ。ほうれん草のクリームパスタ。」

「へー、おいしそう。」

「この前行ったカフェで食べたらおいしかったから、パクったの。」

「パクったって(笑)。まねしたとか、参考にしたでいいじゃないですか。」

「パクったもいいじゃない。ぱくって食べた感じで、かわいいじゃない。ぱくぱく。」

 この時間のママは、けっこう馬鹿である。





 以上が、お店の様子やゴッドマザーから聞いたものをまとめたものです。しかし、ママの魅力はこれではおそらく、一割も伝えられていないんじゃないかと思うんです。なぜならママの本当のすごさは話を聴く力、そしてママの周りにできるなんとも説明しがたい空気(存在感があるわけでもないわけでもないような)だと思っているからです。この日記を読んで饒舌なゴッドマザーをイメージしてしまいましたら、それは間違いです。実際に会うとあまり喋らないママのいる赤提灯へ是非一度いらっしゃってください。

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