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恋愛の話#4 恋愛と身体

 恋愛についてを考える上で切り離せないのは「性欲」ね。「あぁ好きだぁ」と思ったり身体をすりあわせたりしているとお互いの性を象徴する部分が敏感に反応する。そしてお互いの身体の性の象徴が溶けたアイスと冷えたコーヒーのように混じり合う。子孫を残すための本能。魅力を感じる部分は人によって違うようね。直接的に股間の場合は多いだろうが、背中、耳、乳頭、首元、または接触の強弱や方法によっても異なるわね。また、行為中の顔付きでも反応が異なることもあるようね。かわいくて、好きになる。これは性欲。いい声を聞いて、惚れる。これも性欲。
 だがこれと恋を混同してしまうようでは品がないわね。では性欲と恋はどう違うのか。それを知るにはまず、性欲はすべて身体的な反応だということを理解する必要がありますね。性の象徴のぐちゅぐちゅも、胸のドキドキも、頭のクラクラも、すべて性欲による身体の反応です。
 だけど、これら身体の反応に感情というラベルをつけることによって暗号を解き、新世界の扉のロックを解除することができるの。「これが“恋”か・・・」「これが“好き”ってことなのか・・・」というように。
 性欲と恋は、同じものなの。それを性欲とするか、恋とするかなの。身体がどうしても反応してしまうので、それを恋と認めるなら、恋は始めざるを得ないの。制御の効かない暴走自動運転状態が始まってしまうのよ。「もう恋なんてしない」なんて「言えない」の。ある日突然、雷に打たれる可能性がある限りは避けられないの。雷に打たれて、あなたの乗っている列車のブレーキは壊れるの。向かう先は「なんだか汚い世界」。最初はいい景色だと思っていたのに、だんだん不快な風景に変わってくる。でも、そこで暴走列車は止まってくれない。飛び降りて強制途中下車をしてもいいわ。だけど、向かう先の「なんだか汚い世界」にも人が住んでいるのが現実よ。そこに住んでいる人たちを見るのも勉強になる。ずっと列車に乗り続けていくと、徐々に壊れて進まなくなってくる。仕舞いには人力運転でしか進まなくなる。足で一生懸命ギコギコこぐか手で頑張って押すかして列車を進めるしかなくなる。ここからは「愛」の出番なのかもしれない。向かった先での人生を美しいものにするのは自分次第なの。
 恋を望む人は、覚悟して楽しみにしておくとよいわ。

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