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恋愛の話#5 恋愛の世界観

 恋愛をすると、見える世界が変わってきます。ではその世界とはどのような世界なのかを考えてみましょう。私は「次元」という言葉が好きなので、それになぞりながら世界の広がり方を考えてみたいと思います。

 「一次元世界」は恋愛前の世界です。自分という存在がいて、自分の感情を感じてはいるものの、それが世界で相対的にどの位置にあって、良いものか、悪いものかもない、ただの点のような世界。一次元世界で生きている人は、いわゆる単純、単細胞、天然と言われるような人。もし恋を感じずに「性欲」のみを感じていたら、それは一次元世界の話ね。

 「二次元世界」ではそれを「恋」だと認めることで、一つの身体的な反応にも見方を変えれば二通りの捉え方があるのだと理解するような感覚ね。性欲=恋ということに気がついてしまうの。

 「三次元世界」では、その恋(性欲)にも波があることが分かる段階。「どうしようもなく好き」が長続きしないということに気がつくの。この世界では、相当な人格者でない限り、大抵の人が振り回されることになる。「恋」のいたずらに遊ばれてしまう段階ね。

 「四次元世界」では、その波を全体的に捉えられる段階。言葉で説明するのは難しいけれど「波があるのが恋愛だ」と悟るような感覚。様々な波の中で、振り回されずに視点が安定すると、波の様子が見えてくるようになる世界である。おそらくその安定には「愛」が必要なの。

 「五次元世界」は、愛の強弱が絡んでくるのではないだろうかと思うわ。私は“ほどほどの愛”でよいのではないかと思いますが、そのほどほど具合は人によるでしょう。自分が理解できる愛のレベルに身を置く。それには、愛には浅深、強弱があることを理解する必要がある。誰に対して、どのくらいの愛を提供するのか、それを自分の実力や性格、人格、相手との相性に合わせてコントロールできる世界。これは、相当高いレベルの話。四次元の地図が見れる神様は、おそらく五次元世界か、もっと上の次元の世界にいるのね。

 「六次元世界」は、私の脳みそでは語るのが難しいけれど、今までの流れでいくと、コントロールを相対化するということだから、愛の浅深、強弱を選べるようになるということでしょう。五次元世界では、身の程にあった愛を選ぶということになるでしょうが、六次元世界では、自由に、どんな人にも、何に対しても、強くて深い愛を提供できるということになるわね。

 「七次元世界」は、少し説明が私には難しいのだけれど、遠藤周作さんの描いた『沈黙』の世界観なのではないかと踏んでいるわ。神様は、本当はずっと黙って見ているだけなのよ。何が良くて何が悪いのか、たぶん、そんな些細なものを見ているわけではないのよ。私は神様ではないから分からないですがね。

 このような形で、恋愛は進むにつれて新しい世界に飛び込まなくてはならなくなるので、それは難しいもの。でも私みたいなものは恋に限らず、人生全体が三次元世界で振り回されているのよ。言うは易し、行うは難しね。





 以上で私の恋愛論はお終いですわ。読んでくださってありがとうございました。また、機会があれば、私の拙い文章を読んでくださいませ。

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