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怒りの話#1 怒りに敏感

 大方草太楼です。えぇ、大方草太楼というのは、いつも「大方そうだろうなぁ」と言うことばかり話をしているので、そういう風に呼ばれるようになってしまったというだけのことです。あたしは、自分の名前なんぞ、どうでも良いと思っていますから、どうぞご自由に「だいたいそうだろう」でも、「うそつきほらたろう」でも、呼んでくださいな。

 あたしはね、怒りに敏感なんです。これはどういうことかってぇと、例えばね、怒られるかどうかが、心配なんです。なるべく怒られたくねぇんです。自分と相手が、合っているのか、間違っているのかは、どうでもいいんです。それよりも、相手の感情が大きく動いて、それが怒りとなって自分に向けられることが、とても苦手なんですなぁ。

 でもね、これは自分に向けられるのに限ってですからね。そりゃあたしは、人が怒られているのを見るのは、子どもの頃は好きでしたなぁ。あいつ、怒られてやんの、と言って、あたしはね、友達の足を折っちまう存在でしたよ。ただね、自分も同じことをしているのに、自分は怒られないなんていうこともありますな。こういう時は気まずい。あたしはね、どういう風に状況をやり過ごすかなんて事ばかり考えて、自首することはないですな。あたしはね、見て見ぬふりが得意なんです。そいで、バレたときはね、倍怒られますよ。「何で言わなかった」なんて言われて、そりゃ「バレなきゃいいと思った」っていうのが本音なんですけれども、「へぇ、なんでしょう」なんてとぼけたりしてね、相手にはお見通しなのですが、「早く終われ早く終われ」と心の中で念仏を唱えるようにして、時間を待つことがあたしのやり方でございます。だからね、正直者にはね、あたしは尊敬の気持ちを持っているんです。

 怒りの矛先というのは、どういう人に向けられやすいかというとですね、やっぱり怒っても大丈夫そうな人でしょうな。だから、子どもにばかり怒ってしまうんでしょうな。子どもは大人の怒りのはけ口になっている可能性がありますよ。怖い人にはね、例えば極道の親分がご飯粒を残したからと言って「あんた! ご飯は全部食べなさい!」と言える人は、世界に数人でしょうな。あたしは死ぬまでそんなことは致しません。だからね、怒るというのは、クッション的な役割の人が損なんですよ。どこかに「怒りカフェ」とか言って、自分が発散したい怒りを思う存分発散できる施設があったら良いのですがねぇ。そいでそこで、その怒りの様子を映像に撮って、ビデオコレクションを作りましょう。「部下への怒り」「息子への怒り」「妻への怒り」「友達への怒り」などシリーズ化して売りましょう。

「ああ! この人の怒りの気持ち分かるわぁ! 私の旦那も同じよぉ!」など言ってストレスを発散することに致しましょう。

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