見出し画像

荒廃した土地と幹線道路#2

 小さい頃からを思い返せば、僕は怖がりなように思う。今でもお化け屋敷に入れば腰が抜けてしまうし、ホラー映画やパニック映画は(そもそも見ていないのだが)苦手である。
 最も自分が怖いものとして恐れていたのが「二階への階段」である。実家は二階建てで、二階に上がる階段に行くには真っ暗な玄関を経由しなければならなかった。たしか、10歳くらいまで、夜に一人で二階に行くことができなかった記憶がある。その頃から自分は一人で寝なければならなかったのだ。理由は、兄が中学生になったことを機に自分の部屋を割り当てられたことにより、僕は一人取り残されたのだ。その後12歳頃には自分一人で二階に上がれるようになっていたはずなのだが、その恐怖がなくなったのが具体的にいつだったかは詳しく覚えていない。ただ、その移行期には毎回勇気を振り絞って、勢いよく階段を駆け上がることで恐怖に対抗していたことは覚えている。
 そのような「暗闇の恐怖」に関してだけは、今はなぜか克服している。今なら真っ暗なお墓(心霊スポットと言われていない限りは)だとしても、深夜2時だろうが3時だろうが平然と歩くことができるし、真っ暗なトイレにも「暗いなあ、電気どこだ」などと思いながら用を足すだけである。たぶん、これを克服した理由としては、見通す力がついたからだろう。「また明るくなること」「また朝がくること」「暗闇が自分に危害を加えないこと」「特に何も起こらないこと」について、心身ともに十分に理解しているのだと思う。また、たぶん幽霊が出ても、僕はあまり怖くないような気がしている。もちろん見た目が怖いと言うことはあるが、幽霊というのは「因縁」をもっていると考えると、幽霊にも色々と事情があることを想像し、同情してしまう。こう考えると、見通す力や想像力には感謝している。
 ただ、恐怖の全てを克服できている訳ではない。例えば「突然の恐怖」。これについては、びっくりして肩が跳ね上がってしまう。これは、学んだところによると「残った原始反射」の影響かもしれない。僕は高校生くらいまで、人の手が身体に触れるどころか、触れそうになるだけで異常な嫌悪感を感じていた。今はそんなことはなくなったのだが、まだ原始反射(モロー反射の残存評価では残っていた)の影響で、「突然の恐怖」に関しては残っている。また「威圧感の恐怖」や「論理的に正しすぎることの恐怖」など、恐怖には様々なものがあり、色々と克服できていない。また今度、恐怖の全種類と対策について、考えてみたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?