見出し画像

刑務所から出てきた男



 *

 煙草屋の陰に鳥の巣を思わせる髪をした無頼の雰囲気の男が立っていた。
 学校帰りのむっくんが丁度鉢合わせたのだが、その雰囲気を畏れて遠くから男を眺めていた。
(姫婆の煙草屋ったら、怖え奴ばっかり来やがる。勘弁してくれやい。姫婆の店だが俺の家でもあるんだい)
 姫婆が小窓から身体をこわばらせるような声を出す。
「おい、そこで何やってる。」
 男は返事をしない。
「そこに誰か立っているだろう。おい、むっくん!」
 姫婆はむっくんが帰ってきていることにも気がついていた。むっくんはその場を逃げるように立ち去る。姫婆は腰を上げる。
「ったく。しょうがねえなぁ。」
 玄関へ周り外へ出ると男は背を向けて西へ歩きはじめていた。男を、お天道様がらんらんを照りつけ、雲はろうろうと流れていた。
「おい、おめぇ、ジムか。久しぶりじゃねえか。刑務所出てきやがったか。」
「よくわかったなあ。さすがだよ。」
「おめぇ、いつ出てきやがった。」
「一週間前だ。一週間はボランティアのじじいとばばあの家に世話になって、今日から一人暮らしさ。」
「おお、そうか。おい、煙草買いに来たんじゃねえのか。」
「金なんかあるわけねえだろ。だいたい刑務所で煙草なんか辞めちまった。今回は長かったからな。3年だ。3年吸わなきゃ、吸わなくても大丈夫になるもんだな。刑務所は健康ランドだ。でもよ、煙草屋の前に来ると、つい吸いたくなったまうな。」
「おめぇは真面目すぎんだよ。まあ、吸わねえなら吸わねぇで良いけどよ、お一人暮らしって、こっからどうするんだい。」
「とりあえず生活保護なんだけどよ、仕事見つけなきゃいけね。職安通いだな。」
「良い仕事見つかるといいな。おい、煙草吸わなくてもいいから、菓子でも食ってけ。」
「へ、わりいなぁ。こんな犯罪者に優しくしねえでくれよ。」
「お前が優しくされるなんぞ、100年早いわい。99年生きてきてよ、刑務所の中の事ちっとも知らねえんだ。こんなんだけどよ、一回も捕まらなかったからよ。刑務所の話聞かせろやい。」
「姫婆らしいな。へ、わかったよ。」

 3年前、ジムは姫婆の煙草屋の常連だった。人を切るような目に、曲った鼻。服装はいつも拾ったごみ袋のように汚かった。髪の毛は相変わらずで、ジムは生まれてから生涯金の問題と戦っていた。両親は生活保護で団地暮らし。何歳かも知らなかった。ジムが15歳のときにぽっくり死んだ。それから金の稼ぎ方も知らないジムは色いろな仕事に手を出すがどこでも上手くいかず、借金の仕方を覚えた後は常に借金まみれ。しまいには自己破産もした。盗みは何度もした。刑務所に何度も入った。今回は、詐欺グループにも加担した。海外の顔も名前も知らない親分の手先となった。尋問と調査は3年間続いた。ジムは何も知らなかった。人助けだと聞いて、複数の口座を管理していた。時にかかってくる電話を受けて、入金の確認をした。真面目なジムにとってはうってつけの仕事だった。名前も知らないボスは適材適所の組織を編成していた。尋問は何も知らないので「俺は知らない」と言うだけだった。
 3年間の刑務所生活はジムにとってかなり快適だった。寒さには幼少期から成れているので、屋根があり、外気に触れないだけでジムにとっては御殿だった。そして何より食事にありつけるのが嬉しかった。人間として生きてきた、そのご褒美が与えられたと感じた。
 しかしその御殿での生活も3年で終了した。それはジムは望んでいなかった。このまま刑務所で死んでしまいたいと思っていた。だがそれは叶わなかった。もう、外の世界でやりたいことも出来ることも、何もない。外の世界は、地獄だと思っていた。ジムは40歳になっていた。

 姫婆とジムは玄関の土間に腰をおろした。
「それでおめぇ、刑務所はなんか面白いことなかったんか。」姫婆は台所から客にもらった煎餅やら饅頭やらをジムの前に出した。
「へ、そんな楽しいことなんでねえよ。ほんじゃ、いただくぜ。」ジムは饅頭をかじる。
「おい、おめえなんもおもしれぇ話しないまま帰れると思うなよ。」

 玄関のドアが開く。
「おう、よくもさっきは逃げやがったな。」姫婆は言う。
「こんなちび、どこで拾ったんだい、姫婆。」
「そんな野暮なこと聞くもんじゃないよ。むっくん、こいつはジムだ。犯罪者だ。気をつけろよ。おめえも饅頭食うか?」
 むっくんはうなずいて饅頭をかじった。
「こいつ、喋んねえのか?」ジムは不思議そうに聞く。
「なんだか、ワシには喋るんだけどよ、他の人は緊張するんだとよ。いっつも黙ってばっかりだから、むっつりむっくんって言われちまってる。」
「へ、むっつりむっくんか、おめぇも苦労してるんだな。分かるよ、俺も緊張しやすい立ちでな、よく、怖えって言われるんだけどよ、ただ、何言えばいいか分かんなくて神経研ぎ澄ましちまうだけなんだけどよ、まあ、そういう事あるよな。」
「ありがとう」むっくんはぼそりと言った。
「おう、感謝できるとは、偉いな。さすが姫婆に育てられるだけあるな。」
 3人は始めて会ったにも関わらず愉快に会話をして夕方を過ごした。お天道様はらんらんと照りつけ、雲はろうろうと流れていた。





 ジム歩いていた。単発の仕事を見つけ、生活保護を抜けることになったのだが、その仕事も長続きしなかった。また金がなくなった。家も住み続けられねぇ。仕事も、もうこれ以上したくない。ジムは人生を終わらせることを考えていた。
 森の奥を歩いていた。ここが何処だか、よく分からなかった。あてもなく歩いてきた。風が左右の木々を唸らせる。覆いかぶさるどよめきに、ジムは自分の人生を重ね合わせた。ナイフの様に尖った岩肌の下には大蛇の川が流れる。今にも飲み込まれそうだ。お天道様はらんらんと照りつけ、雲はろうろうと流れていた。
 子供の頃、父さんよく言ってたな。「俺は悪くない」って。それはどうだかな。「お前が悪い」ってずっと思ってたし、あんな父親はクズ野郎だと思ってたが、今となっては俺の方がクズじゃねえか。そんなことも考えちまうな。
 川まで降りてくる。音はすごいが、これは流されるにしては水の量は少ねえや。結構上流まで来たんだな。お天道様はらんらんと照りつけ、雲はろうろうと流れていた。
 俺だって、父親のことを何も言えねえ。結婚もしてねえし、相手を見つけただけ、父親はすげえじゃねえか。母さんも同じくらいクズだと思ってたがな。誰かのために生きていただけ、立派だよ。もちろん俺だって、誰かのために生きたいと思ってたけどよ。誰も、俺のおかげで生かされることはなかったな。まあ、しょうがねえやい。ここまで来たら、もう、終りだ。お天道様はらんらんと照りけ、雲はろうろうと流れていた。
 

 ジムは更に奥へ進んでいく。すると、誰を待っているわけでもなく、ただそこへ佇む一つの寺を見つける。
「こんなところに寺かい。誰も来やしないだろうな。」
 寺の周辺は開けていた。森の中なのに空が広く見えた。お天道様はらんらんと照りつけ、雲はろうろうと流れていた。
 仏閣のところまで来ると、賽銭箱がある。ジムを邪念が襲う。
「この賽銭箱ん中、どんだけの金が入ってんのかな。あんまり入っているイメージは無いがな、たまに札入れる金持ちもいる。もし大金入ってたら、またやり直せるかもしれねえ。この金で競馬か競輪で当てるって方法もある。どうせ捨ての命だ。」
 寺は静まり返っていた。仏閣の扉の隙間をよく見ると、小さな仏像が目を光らせていた。左右にもこれまた小さな石仏が並んでいた。
「いけねえ、流石に寺で盗みは。何考えてんだ。頭狂ってんじゃねえのか。それは、今に始まったことじゃねぇか。」

 ジムは扉を除き、仏像を見る。仏像の前に人が倒れている。ジムは扉を開け、中へ入る。男は坊主頭だった。
「おい、大丈夫か。どうしたんだ。」
 坊主は息絶え絶えの様子だった生きてはいるらしかった。外は、お天道様はらんらんと照りつけ、雲はろうろうと流れていた。

 それから、ジムはその坊主の横へ座り込んだ。電話も持っていなかった。坊主がこのまま死ぬのも分かった。ジムは自然に任せ、手を出さなかった。夜になり、虫が泣いた。朝に鳴り、鳥が歌った。ジムと坊主の僅かな呼吸の音が、仏閣の中にとどまった。お天道様はらんらんと照りつけ、雲はろうろうと流れていた。
 この開けた土地に、大昔のお坊さんが寺を立てた。この坊主がそれを引き継いた。この土地は開け、お天道様がらんらんと照りつけ、雲はろうろうと流れていた。大昔の坊さんも、この坊さん、ここになにか、聖なるものでも感じたのだろうか。ジムはそういうことはよく分からなかった。目の前で命が消えようとしていた。坊主は一言も喋らなかった。誰も助けに来なかった。仏様も座ったまま動かなかった。そのままにしておけとでも言うように。また夜が来て、朝になった。お天道様はらんらんと照りつけ、雲はろうろうと流れていた。
 お坊さんは息を引き取ったようだった。ジムは立ち上がり、外に出た。仏閣の周辺を歩き回り、スコップを見つけた。寺の隅の樹の下に穴を掘った。仏閣に戻り、坊主の袈裟を脱がせた。そばにあった布で死体を包み、樹の下の穴に埋めた。お天道様はらんらんと照りつけ、雲はろうろうと流れていた。
 ジムはそれまで坊主が来ていた袈裟を着た。それまで坊主が使っていたであろう風呂場を見つけ、そこで頭を剃った。仏像の前で手を合わせた。棚に所蔵されていたいくつかの経典に目を通した。一言も読めなかった。お天道様はらんらんと照りつけ、雲はろうろうと流れていた。



 山登りが趣味の常連が、姫婆へ最近行った山の報告をしていた。
「この前、行った山なんだけどよ、川沿いをずっと歩いていくと、小さい寺があってよ。地図見たら載ってねえんだ。でも、そこに一応住職は居てよ、なんか掃除したり、森で山菜採って食ったりしてんだ。」
 むっくんは姫婆の隣に座り、その常連の話しを聴いていた。姫婆はうっとうしがりながら、片耳で話しを聴いているようだった。
「せっかくだから、この寺なんていう寺なんだ、どういう仏様祀ってんだって聴いたよ、何も知らないって言うんだ。それで、次の誰かを待ってるってんだ。でも、まだその時は来なさそうだって。変な寺だろ。」
「ああ、世の中は広い、そんな不思議なところもあるだろ。」姫婆はぶっきらぼうに答えた。
 むっくんも聞き飽きて、外へ出た。
 お天道様はらんらんと照りつけ、雲はろうろうと流れていた。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?