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ヒョロ爺と白猫






 灰色に光る毛並みをむっくんの一重まぶたが捉えてから、彼はその猫を「ネネコ」と呼ぶようになった。ボサボサ頭のむっくんはネネコの綺麗な毛並みを見てはいつも「ネネコはいいなあ」と呟いていた。友達のいないむっくんは川沿いのネネコに会いに行くことが学校終わりの習慣となっていた。給食で残った牛乳やパンなどをこっそりポケットに入れて、ネネコにあげると喜んでくれるのだ。何度かネネコのいる場所へ餌を持っていくと、一匹また一匹と数が増えていった。

「ネネコやい、ネネコはそんなに友達がいたんかい。」

「ニャーォ」

 ざっと20匹くらいはいた。

「そんなに連れて来られても、餌は増えねえぞ。困っちまった。」

「ニャォニャーォ」

 ネネコたちはとても賢く、餌を奪い合うなんて言うことはしなかった。小さい猫やメス猫に優先して餌をあげているように見えた。むっくんは一つ疑問に思うことがあった。

「なあ、ネネコ。ネネコたちはそんなにいっぱいいて、いつもどこで食べ物見つけてるんだ?」

 ネネコは川下の方へ歩き出した。それを追うようにして他の猫たちもぞろぞろと歩き出す。

「おう、なんだか猫だって言ってもこんだけの数がいたらおっかねえなあ。おい!ネネコ!何処行くんだ!」

 むっくんは置いていかれないようにネネコたちを追いかけた。ネネコは先頭を歩き、たまにむっくんの方を見て、付いてこれているかを確認しているようだった。他の猫たちもちらちらとむっくんを見上げ、なにやらこれから楽しい場所にでも案内するかのような表情をしているように見えた。

 5分程歩いたあと、ネネコたちはある家の敷地内に入っていった。そこはかさぶたのような屋根に保育園児が落書きをしたかのような汚い壁のボロ屋だった。

「おいなんだいここは、勝手に入っちゃまずいんじゃないかい?」

 ネネコたちはむっくんの忠告にお構いなしにボロ屋の庭へ飛び込んでいった。ネネコたちはボロ屋を囲うようにして、敷地内を駆け回る。

「おい、みんな何やってんだい!」

 そして、屋根から一匹の猫が飛び降りる。何かを咥えていた。

「シャーォ!!」

 ネズミだった。そして他の猫もネズミを狩っていた。また、小さい猫は庭で虫を捕まえていた。むっくんはそんな猫たちを見て興奮した気持ちで称賛した。

「ネネコ!すごいな!ネネコたちはここで餌見つけてたのか!いいところ見つけたなぁ!すげえな!」

 むっくんは、そのボロ屋に誰かいるのか気になった。

(だけど、なんだか、怖い家だなあ。誰もいなさそうなんだよな。人がいる気配がねえ。こんなとこに窓があるじゃねえか。あ、やっぱり鍵がかかってら。玄関も流石に鍵かかってるよなあ。かかってる。留守なのかな。でも、長い間誰も住んでないような家だ。不思議だなあ。)

 その日から、むっくんとネネコたちは、そのボロ屋の庭で追いかけっこをしたり、猫じゃらしで遊んで過ごした。


「むっくんや、最近はどこで何して遊んでいる?」

 姫婆はいつものように塩スープを作りながら質問した。

「最近はよお、川沿いにあるぼろぼろの家を見つけたんだけどよ、そこが誰も住んでなくて、その庭で遊んでるんだ。」

「はあ、もしかしてヒョロ爺のところか。」

「ヒョロ爺?誰だそれ。」

「そこはヒョロ爺の家だ。ヒョロ爺はむかーしからこの町に住んどる。まあ、ワシよりかは短いがな。地主のじいさんさ。今、病気で入院してる。だけど、煙草買いに来た人の話しによると、1ヶ月くらいで退院して戻ってくるとよ。ヒョロ爺は怒りん坊だから、勝手に遊んで怒られるなよ。手足が長くてでかくて怖えぞ。」

「なんでい、誰か住んでたのかい。畜生。せっかく見つけた遊び場だったのに。」


 ところが、来る日も来る日もヒョロ爺が姿を見せることがなかった。

(全然来ねえじゃねえか、ヒョロ爺。ひょっとして死んじまったんでないか。まあ、俺にとっては好都合だがな。)

 毎日その庭で猫たちと遊んでいるうちに、むっくんもネネコたちもヒョロ爺のことはとっくに忘れていた。しまいには、穴掘り合戦で庭に穴を掘ったり、木登り対決で庭に生えている木の枝を折ってしまったりと好き放題していた。


 ある日の午後、古新聞で作ったボールを使ってネネコたちと蹴り合いっこをしていたところ、

「お前ら!勝手に人の家で何をしておる!!」

 むっくんが顔を声のする方向へ向けると、そこには手足どころか髭も長い、血走った目をした鬼が立っているように見えた。子どものむっくんや猫たちからしたら、巨人が街を破壊市に来たかのような迫力があった。

 猫たちは反発し合う磁石のような素早さで解散した。逃げ遅れたむっくんはヒョロ爺に服を掴まれた。

「ここはワシの家じゃ。勝手に入るな。ワシがいない間、いつもここで遊んでいたのか?」

ヒョロ爺は庭に空いた穴や折れた木の枝を見ながら言った。むっくんは怖くて何も言えずにただ謝る気持ちで首を上下に振った。

「二度と来るじゃなーい!!!」






 ヒョロ爺は几帳面な性格だった。むっくんたちが追い出された翌日から、庭には猫たちも飛び越えられないような高くて頑丈な柵が新しく建てられ、入り口には南京錠で鍵がかけられた。更に「進入禁止 見つけたら警察に通報する」と書いた張り紙まであった。

 姫婆の話によると、ヒョロ爺は結婚もしていなくて、一人で暮らしている。地主の誇りで土地も売らず、維持になって死ぬまであそこに住むそうだ。年寄りの一人暮らしはご近所さんからしたら心配の種で、退院して家に戻ってきてから特に、もし死んだら誰が見つけるのかという問題が井戸端会議の中心議題になりつつあった。

 ヒョロ爺は老後の楽しみをDVD鑑賞に当てていた。生涯公務員で税務課で重宝されたその几帳面な性格は、DVDでさえ年代順に棚へ綺麗に並べていた。

 ヒョロ爺は1960年代の映画の再生ボタンを押した時、天井で「カタカタカタカタ」と音がした。

(なんだい、ねずみか)

 それからヒョロ爺とネズミの戦いが始まったのだが、入院中に味をしめたネズミたちに軍配が上がったようだった。ヒョロ爺が一人で作る罠だけではネズミたちは増え続けた。

(けったいなやつらだ。これじゃ映画どころか、寝るときもうるせぇ。)


 その時、むっくんとネネコたちは、ヒョロ爺の家の前を通りかかり、南京錠が開けっぱなしなことに気がついた。猫たちはすかさず敷地内へ侵入した。

「おい!またヒョロ爺に怒られっぞ!」

 猫たちを追うようにして怖さを噛み殺しむっくんも入る。

 猫たちは以前と同じ様に、家を取り囲むようにして縦横無尽に走った。またネズミを狩るようだった。

 家の中から声がした。

「おい、なんだ!誰だ!勝手に入ってきたな!この野郎!」

ヒョロ爺は庭に飛び出した。手には箒を持っていた。あれで叩かれたら、ひとたまりもねえ。

 むっくんと猫たちは必死に逃げる。


 一匹の真白な毛の猫が、ガラスの破片を踏んで転んだ。ネズミを咥えていたのだが、それどころではない。ネズミを捨て、足を引き釣りながら、開いた柵のところまで進む。鬼が来る!巨人が来る!殺される!


「ガシャーーン!」


 ヒョロ爺によって扉が閉められた。

 柵の外でむっくんとネネコたちが心配そうに見ている。

 真白の猫は威嚇をするようにして、ヒョロ爺を見る。ヒョロ爺も猫を見ていた。

「お前、怪我をしたのか。」

 ヒョロ爺は家の中へ入り、布のようなものを持って戻ってきた。それを猫の足へ巻いた。

「昔、よくこの庭で怪我した鳥がいて応急処置してやってたんだ。だからっよ、じっとしてれ、大丈夫だから。」

 猫の足は止血され、包帯が巻かれた。

「にゃ〜」と言い、真白の猫はヒョロ爺の足へそのフサフサの頬を擦り寄せた。

「おお、なんだかわいいじゃねえか。それと、お前ネズミ捕まえてくれてありがとうな。へッ、困ってたんだ。ちょうど。」

「にゃ〜」

 柵の外でその猫とヒョロ爺の様子を、むっくんたちは見つめていた。



 それからと言うもの、進入禁止の張り紙は剥がされ、南京錠の鍵はいつでも空いていた。

 猫たちはヒョロ爺の家でネズミを捕まえ、むっくんも荒らさないことを条件に猫たちと庭で遊ぶことを許された。ヒョロ爺はその様子をいつも縁側に座って見ていた。

「おい!むっつり!あの白い猫は来ねえのか。」ヒョロ爺はむっくんに聞いた。

「知らない。」

「知らねえってなんだ。足は良くなったのか?」

 むっくんは首を振る。そういえば、あんなに白い猫、ネネコの周りにいたっけな。むっくんは心当たりがなかった。真白の猫はそれから一度もヒョロ爺の家にも、ネネコの周りにも姿を表さなかった。ヒョロ爺は悲しそうだった。


 ある日突然、ヒョロ爺の庭に真白の猫が姿を現した。その猫をヒョロ爺は縁側から見つけた。

「おい!久しぶりじゃねえか!足は大丈夫か?って、おい、お前、傷だらけじゃねえか。」

 真白の猫は、足どころか、体中にナイフで切り刻まれたような傷がたくさんあった。

「なんでい!だれかにやられたのか?」

「大丈夫ですよ。」真白の猫は言った。

「え?喋った?」

「大丈夫です。これは必要な傷なのです。」

 真白の猫は、ヒョロ爺に向かって言葉を喋っていた。

「おい、なんで喋れるんだい。必要な傷ってどういうことだい。」

「さあ、私と一緒に行きましょう。付いてきてください。」

 猫はヒョロ爺に背を向けて、白い靄の中へ歩き始めた。

「行くって、何処へ行くんだい!ちょっと待ってくれ!おい!」

 傷だらけの真白の猫とヒョロ爺は、白い光の中へ吸い込まれていった。


 学校が終り、むっくんがヒョロ爺の家に着くと、いつもヒョロ爺が座っている縁側で、毬のように丸まった小さい赤ちゃん猫が一匹、すやすやと眠っていた。

「おお、赤ちゃん猫が生まれたのかい。ヒョロ爺、赤ちゃん猫がいるよ!」

 ヒョロ爺はもう、その家にはいなかった。


 その猫はちょっとだけ手足が長かった。

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