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未練の話#1 未練とは何か

 大方草太楼です。えぇ、大方草太楼というのは、いつも「大方そうだろうなぁ」と言うことばかり話をしているので、そういう風に呼ばれるようになってしまったというだけのことです。あたしは、自分の名前なんぞ、どうでも良いと思っていますから、どうぞご自由に「大体嘘太郎」でも、「語利多画郎」でも、呼んでくださいな。
 夢について考えていると「未練」という言葉がよくに頭に浮かびますな。「夢にあの事が出てきたけれど、あたしはあの事(あの人)に何か未練があるのかもしれない」というような感じでございます。
 夢に出てくるのは大抵、昔のできごとの中でも頭の隅っこの方に隠れていたことですな。こちらが望むか望まないかは置いといて、おそらく前の日のできごとがきっかけとなって、脳や体が「こちらをどうぞ」と出してくるようなもんですな。それが、どうしたものか未練というものと、とても関係の深ぁいものになっている。
 例えば、前の日に同じ勤め先の人と二人で話をしているとき、少だけ空気が悪くなった瞬間があったとしますね。そしたらば、その日の夜、そこまで仲の良くない友達と買い物に行ったことの夢を見る。あれ、無意識のうちに二つの記憶が重ねられてしまうんですな。何か共通の問題があるってことで。「あんたは目の前の人の顔や言うことを気にしすぎだ」と、悪い考え方の癖を遠回しに夢が突きつけてくるんですな。今を生きる自分に、ぐいと迫ってくる。真ん中のど真ん中を貫いた、問題点を教えてくれるというものです。
 未練というのはなんで「みれん」と言われるかというと、昔、泡盛横町の麦秋太郎という男が、ある居酒屋のママである助公子に一目惚れ、それから秋太郎は毎晩そこへ通い詰めた。しかし、公子は秋太郎をはぐらかしてばかり。秋太郎は公子の思いを探るため、店ではなく、公子の私生活をのぞき見ることにした。ストーカーというやつですな。すると、公子には年老いた父がおり、ぼけて公子の世話なしでは、彼は生きることが大変なこととなってしまっている。公子は父のことを秋太郎やお客さんには隠していた。しかし、秋太郎は「ここで引いては男でない」と、公子へ申し出た。
「公子さんのお父上が大変なら、僕が手伝います。」
 すると公子は、「あれは旦那ですの。。。」と恥じらいながら言う。それから、秋太郎は、あのぼけた旦那がいつ亡くなるかと不謹慎なことばかり考えてしまうし、公子の側をはなれられないし、父と夫を間違えた恥ずかしさから、公子の目を見れん(未練)、とつぶやきながらジョッキに麦酒を注いだ様子から、期待が残っていながら、見ないふりをするようなことを未練と言うようになったというのが、今あたしが考えた嘘でございます。
 「未練を感じていること」そして「未練なんてものはないことにして、力ずくで蓋を閉めていること」なんかが、やっぱり闇となって目を覆うような感じで迫ってきます。これは辛いことですね。なので、未練というものは、できるだけ潰しておくように生きる方が良いというのが、あたしの考えであります。
 未練を分解して考えてみると「人間関係」「自分の行動」「できなかったこと」「思い通りにならなかったこと」が相互に関わり合って生まれるものと思いますな。それ以外にもあるかもしれませんが、ざっくりほとんどがこんな感じじゃないかと思うんです。。
 そして、なんでかしら「成功」や「よい人間関係」といった、問題のないことについては、あんまり夢に出てきやしない。やはり未練と夢とは関わりが深いんでしょう。
 心の真ん中に未練があると、たぶん、天気は明かりの付いていない便所のような曇りに見えるだろうし、自分の顔がキノコで福笑いをしたように見えるかもしれない。周りの人に対しては、読み途中のサスペンス小説のようにこのあと何を言うのかが常に気になるだろうし、パートナーに対しては、毒リンゴをこさえようとしている魔女や、酔っ払って外で裸になりおまわりさんに捕まり、おまわりさんと二人で家に帰ってくるような男に見えるかもしれない。だから、未練があるというのは、汚れたことに気づかずに眼鏡をかけ続けているようなんであります。眼鏡は何日かに一回は洗っておかねばなりませんな。。
 未練をどうにかするにはは、大きく二つやり方があるとあたしは考えています。また、この二つを上手く組み合わせることができたらいいですな。ただ、人はそんなに器用じゃありませんから、特にあたしなんかは二つ目をメインにして生きているんですが。
 えぇ、まず一つ目は「未練を消していく」ことですな。例えば「実はは謝りたかった」と思うなら、謝りに行く。「実ははこういう風にしたかった」と思うなら、そのようにするということである。これについては、それができりゃ苦しくねぇんです。特に、ちゃんとしている人はそのようにして生きてんです。でも、ちゃんとしていない人の方が多いですから、次の二つ目に頼りましょう。
 二つ目は「諦めることに集中する」ですな。これは、その通り、念じるように集中して諦めなくちゃならない。どうしてかってっと、謝りたくても謝れる程人間が強くないんだから。やりたくてもできないんだから。そういう人は「こんなことに未練を感じていても仕方がない」と諦めるしかないんじゃないんでしょうかねぇ。言っときますが諦めるのだって難しいですよ。だから集中する必要があるんです。集中を切らして「ちゃんとしよう」なんて思ったら、諦めるスピードが遅くなります。
 しかしですな、人生諦めなきゃいけないことばかりですよ。つまり、生きている内に「もはや全て諦めた」となるのも、高尚ですよ。頭をひねり続けて諦めるんですよ。あたしはそうするしか生きる道がないと思うんですが、いかがですかな。
 一つ目と二つ目は、組み合わせられるならそれでもいいんですが、あたしは一つ目はもうめんどくさくて、二つ目しかやっとらんです。それが、あたしの生き方になっちまいました。

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