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未練の話#8 あたしの未練



 「家族」「仕事」「人間関係」は、プライバシーにも関わるので控えることにしまして、「心」「身体」「趣味」の三つについて、あたしの未練の解消に挑戦することに致しましょう。
 まず「心」の未練について考えることと致しますね。
 今思いつくものとしては「甘え」と「限界」の区別が付かないと言うことがありますねえ。世間の人はこの線引きをどうしていますでしょうかね。これがあたしには難しい。考えたいと、ずっと思っていたんです。周囲に「甘え」だと思われていたので、甘えなのかなと思ったら「限界」だったということが、ありますねえ。ああ、辛い。
 また、あたしは甘えや限界を自覚することが難しいのです。感覚が鈍いのでしょうな。これはあたしの大きな心の問題というわけでございます。
 「甘え」とは何でしょうね。これは、二つの軸で考えられる気が致しますな。一つ目の軸は「迎合」でありますな。
 「みんなやっているのだから、やりなさい」と言われたり、決められたことに対して、皆さんはどうしているのでしょうかね。組織の人間であれば、これに迎合するしかないことがよくありますよ。例えば組織人であれば、まあ、当たり前とされている考え方であり、「社会人養成所」の学校でも、かなりこの思想が強調されますからね。これが迎合です。
 もう一つの軸「反抗」ですな。「みんながやっているのだから、やりなさい」と決められていることに対して、自分のやりたいところまでしかやらないと言う軸ですな。これは、組織とか、そういうものに縛られない強い人が持っている思想ですねぇ。この考え方があれば、あまり困ることはないですな。困ることがあっても、ぶち破ってしまうんでしょうなぁ。
 多くの器用な人は、「やりたいこと」と「やるべきこと」をこのような軸で考え、その間を上手く取るような方法で会社やら組織やらをやり過ごしているのでありましょうねぇ。
 これが、社会にある「甘え」の存在感であります。
 あたしはねぇ、死ぬまでにやりたいことが、五万八千百七十八個あるんですがねぇ、ギリギリ全部できると思っているんですな。一つ目が、太陽に行ってみる。太陽は地球と比べて熱いでしょう。たぶん、あすこでアイスを食べたらおいしいとおもうんですなあ。え? その前に焼け焦げてしまうって? それはいやだなあ。あとやりたいことが五万八千七十七個あるのに。それ以外にはですねぇ、透明人間になることですねぇ。透明人間ってすごいですよ。例えば、銭湯に行くでしょ。無料で入れるんですよ、これが。最高ですよね。え? 男なら普通は女湯に行くって? それはさすがに捕まってしまいますから辞めておきますよ。あ、そうだ、透明なんだった。あとはですねぇ、新しい動物を発見したいですねぇ。まだ誰も見つけていない動物をねぇ。そしたらその動物に、名前をつけるんですよ。何がいいかなあ。そうだなあ。ソーダナーっていうのはどうかしらねぇ。
「おい! ソーダナー!こっちこい!ソーダナー!」
「ヤーダナー」
って断られちゃったりなんかしてねぇ。ああ、あと五万八千百七十五個聞きます? やめときます? そうですか。
 「限界」とは何でしょうかね。これもこの二つの軸で考えるとよいような気がする。一つ目は、言わずもがな「死」ですな。もう一つは「自分の設定した限界ライン」というのもあるでしょう。
 同じように、多くの器用な人は上手い具合に自分の限界設定をして、甘えとも限界とも取られない範囲を上手に漂っているんですよ。これは、組織人としては理想的な生き方ですねぇ。
 また、別の考え方として、「組織人として今後も生きていくのか?」 という問題がありますね。
「自分のやりたいことに対して死ぬ思いで取り組みたい」と言う人もいるだろうし、「やりたいことも、やらなければいけないことも、ほどほどに、常に体力を十分に残した状態で生きていたい」と思う人もいる。「楽しいことだけをやっていたい」人もいるだろうし、「苦しみを抱えてこそ人生」と考える人もいるかもしれませんね。「人それぞれ」はとても響きがよいですね。
 では、なぜ人それぞれで良いのだとしたら、「甘えなのか限界なのか問題」が生じてしまうのだろうか。
 人それぞれは、一部の人間に許された特権の可能性はありますかねぇ。人それぞれを享受できる人は一部の能力の高い人間であり、それ以外の凡人は「社会的な圧力」も含めて、「ある程度」頑張らなきゃいけない空気に窒息しているのではないですかねぇ。あたしも、窒息しないように、上の方か下の方に行って「すーはーすーはー」と今のうちに!と思って息をするんですけれども、また空気の薄い社会に出て行かなければならない。
「ある程度頑張らなきゃいけない」って、どれくらいなんですかねぇ。基準を話し合いで決めるという雰囲気が、会社という組織にはないですよ。もちろん優秀な人物がいて、その人が上手く話し合いをテキパキとやっている場所もあるでしょうけれどもね。しかし、多くの会社は「これで長くやってきているから」と言うことで、まあ話し合いの態度なんてないですよ。面倒ですからねぇ。あたしに話し合いスキルがあったら良かったんですけれども、そんな風に何か改革の話し合いをするには、かなりの労力がかかることも分かりますし、そんなに自分の会社が変わろうが変わるまいが興味はありませんし、それならいっそのことちょくちょく怒られるポンコツキャラで、ずっとやっていくのが、一番良いのではないかと思ってしまいますねぇ。できの悪いのも、居心地が悪いですがねぇ。
 やっかいなのが「決まり事」に対して真剣な人なんですよ。決まり事に真剣だと息が詰まりますなぁ。「何で決まり事を守れないんだ!」と熱を放射しているんですよ。熱いったらありゃしない。ドライでも成り立つために決まり事があるのですからね、ウェットになるならもっと誠実に話し合いをしたいものですがねえ、残念ながらそんなことはウェッティーな人には頭が固いですから、まあ時間がかかってしょうがない。頭が固い人を変えることができれば、それこそ革命的ですよ。
「世の中そんなに甘くないよ。」
「そうなんですかい。じゃあ、どんな味なんですか?」
「馬鹿言うんじゃないよ。世の中で生きるのは難しいって訳なんだよ。」
「へえ。じゃあ、どこで生きるのは簡単なんでしょうかね。」
「何を言っているんだ。世の中以外でどこで生きるって言うんだ。」
「そうですねえ。空は世の中にですかね。鳥は生きるのが簡単でしょうか。」
「また、めんどくさいことを言うなあお前は。鳥だって餌を探して、子どもの世話をして、大変だろう。」
「へえ。鳥も大変なんですねぇ。ああ、人間で良かった。」
「お前は何にも分かってねえねぇ。そんなんでこれからどうやって生きていくんだい。」
「そりゃ、世の中で生きていきますよ。」
「だから、世の中そんなに甘くないからね。」
「じゃあ、どんな食感なんです?」
 あたしは自分で「あたしは甘えているのだろうか、それとも限界なのだろうか」って考えを勝手に深めているんですけれども、周囲には「甘えん坊のポンコツ」と思われながらやり過ごしていますねぇ。これは得策なのではないかと思っているんですが、共感は得られそうにありませんなぁ。だけど、一番大切なのは、やはり、自分がどう思うかってことだと思うんですがねぇ。

 次に「身体」の未練について考えますね。
 自分の身体の中で困っていることベスト3を挙げるとするならば、1位が皮膚、2位が耳鳴り、3位が柔軟性(肩腰股関節等の痛み)ですねぇ。
 皮膚に関しては、ずっと同じ状況を保っているんです。子どもの頃からアトピーでして、今でもたぶん、子どもの頃と比べればまだましなのだろうけれど、かゆい。とにかくかゆい。
 アトピーの標準治療は保湿とステロイド治療ですね。それはあたしが子どもの頃から変わっていませんね、それしかやることはないんです。
 あたしはサボりがちなので、強烈にかゆくなったら、思い出したようにいそいそと薬を塗り、おさまったらまた忘れがちになり、また強烈にかゆくなることを繰り返していますよ。全国のアトピーの人たちも、そんな感じだったらいいなぁと、影ながら思るわけであります。
 民間治療に興味がないわけではないんですよ。民間治療とは、100万人に一人くらいの確率でしか効果はないかもしれないし、民間治療にともなう生活にかける努力は計り知れないと思いますねぇ。
 しかし、人生をかけてでも、自分の皮膚が完全にかゆくなくなる日は、本気で欲しいですよ。一度でいいから、三年間くらいの時間と、三億円くらいのお金をもらって、脱薬の状態で「環境」「食事」「衣服」「生活スタイル」の全てを練ってみたいですね。これは「未練」ですよ。あたしは不器用なので、仕事をしながらでは一生たどり着けない境地であることは、分かっているのでね、いつか小説が売れまくって、3億円くらい稼げたら、やってみようと思いますよ。
 耳鳴りは、マッサージ師さんにおんぶに抱っこでね、自分の頭、身体と耳周辺の筋肉の関連性を構造的に理解したいという希望はあるのですが、筋肉にあんまり興味が持てなくてね、自分で努力をほぼしないで、マッサージに通って対処する日々ですね。ちなみに耳鼻科にも心療内科にも「原因はストレス」以上の解答をもらったことはないですね。
 柔軟性も、耳鳴りと同じ状況ですよ。まず股関節というのは、身体の中でも一番頑固なやつですな。たぶん、家賃に納得がいかなかったら、払いませんよ、こいつは。
「こんな狭い家なのに、この家賃は高すぎやしないかい」
「そんなこと言ったって、ここは駅も近いししょうがないじゃないか」
「俺は九十度も開かないんだ、だから、財布の口も開かねぇ」
「なに言ってやがんだい、だったらもっと遠くの場所に住めばいいじゃねえか」
「そう思ったんだがね、足がめんどくせえって言うからよ、ここに来てやってんだ」
「足はどうした、足は。足が直接話にこないかい」
「いやあ、それがね、腰が重いって」
 本当に、身体というものは言うことを聞かなくてしょうがないですな。特に頭と口ですよ。ぺちゃくちゃぺちゃくちゃうるせぇなあほんとに、ええ?
「おい頭よお、俺にも言いたいこと言わせてくれよ」
「ないだい、口がえらそうに。お前は俺の言いたいことを言えばいいんだよ。」
「頭が自分で言いたいこと言えばいいだろう」
「俺には口がねえ」
 なんて当たり前のことを言っておりますけれどもね、どうも身体というものは、助け合って生きているみたいですねぇ。まあ、喧嘩も多いですがねぇ。
 最後に、趣味の未練についてお話して終わりましょう。趣味の未練は、そりゃ大量にありますよ。と言うより、今はですね、自分自身に課している文章訓練の課題が山積みでして、読まなきゃいけない本は、数百冊あるんですよこれが。今死んだら、未練に押し潰されてしまいますね。死体を引き摺り出すのが大変だ。
 
 これから趣味が高じて芥川賞もとらなきゃいけないし、気取って「創作のためのロケ」とかも行かなければいけないのでね。あたしは、仕事している場合ではないんです。サラリーマンをやっている場合ではないんです。このままでは、どんどん未練が溜まってしまう。こりゃどうしたらいいもんかねえ。未練は溜まりすぎるとどうなるのだろう。楽しみなことが多いほど幸せな気がしますがねぇ、未練が多いと不幸な気もしますよ。
 未練を全て「練って」しまうのか、未練を残しておくのか、少し迷いますなあ。ああ、人生って難しい。

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