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老人の勘違い

老人の勘違い


 帽子がハジメと会ってから3ヶ月が経とうとしていた。帽子は70歳の老人であった。2つ年下の妻は、日々友達と喫茶店での談笑やら地域の活動やらで毎日のように外出をしていた。それに対して帽子は毎日家で本を読む程度のことしかしていなかった。これといった友達もできず、デイサービスとやらに通うほど生活に不自由をしているわけでもない。二人とも年金生活に入り、老後のこの時期をどのように過ごすかは、この二人に限らず多くの老人に取って課題であることだろう。
 帽子には1人の娘がいた。彼女は結婚をして今は別の場所に住んでいたが、定年退職をした帽子とその妻を目にかけていた。
「お父さん、誰か友達以いないの?会社で一緒だった人とか、今何してるの?ちょっと会うとか、そういうのないものなの?」
「そんなこと言ったって、俺の会社は飲み会だって殆どなかったし、仕事以外でなにか連絡することなんかなかったんだよ。」
「だったら、居酒屋でも行って友達作りなよ。」
「俺は1人で本を読んでるのが楽しいんだよ。そんなに気にするな。ありがとよ。」
「でも誰かとコミュニケーション取らないとボケが始まっちゃうわよ。なにか習い事でもしたら?ほら、カルチャーセンターとかあるじゃない。本が好きなら、それこそ文章講座なんてのも調べらたあるんじゃない?それか、句会なんてどうかしら。」
「この年齢から友達なんてできるもんかね。」
「それは 作ろうと思うか思わないかよ。それより、なにか学びたいこととかないの?あ、そういえばパソコンのこと勉強したいって昔言ってたじゃない。お父さんパソコンとか、本当に音痴よね。」
「そうだなあ、俺の仕事は結局そこまでパソコンを使うことがなかったからなあ。誰か友達を作るよりも、何かを勉強するほうが気楽でいいや。」
「暇な老人が通うパソコンスクールとか、駅の近くに行けば色々あったと思う。行ってみたら?」
「暇な老人とは酷い言い草だな。そうだなあ、行ってみるか。」
 帽子は娘の言葉に昔から弱いのであった。妻に似て、気が強く育ったものだ。帽子は職人気質のため、家では妻と娘の二人がほとんどの割合を占めて会話をしてるのが日常であった。

 そうして帽子は娘に言われるがままに駅前のパソコン教室を探しにでかけてみた。帽子は「ITカレッジ」という看板を見つけた。中はビルの二階のために見ることができなかった。帽子はパンフレットだけでももらおうと、その教室に行ってみることにした。
 エレベーターの扉が開くと、老人の姿はなく、中年か、若い人が十名程度机に座りパソコンを眺めてきた。
「こんにちわ。もしかして、パソコン教室と間違えて来られました?」
「え、ここはパソコン教室じゃないんですか?」
「ここは病気の方や 障害をお持ちの方が、就職するためにパソコンスキルを身につける場所なんです。なので、お父様の場合はご利用になれないんです。」
「あら、そうなんですねそれは失礼いたしました。」帽子は、そう挨拶して帰ろうとした。すると1人の青年が「せっかく来たんだし、別に忙しいわけでもないんだから、見学でもしていったら?」
 その青年がハジメだった。ハジメは一年前にうつ病に罹り、仕事を失ってしまったので、いまはここでスキルを身につけて、障害者枠で雇用されるのを望んでいるらしい。このような真面目な青年が病気で働けないとは、気の毒なものだと帽子は思った。
 それから、帽子はこの事業所にボランティアとして来るようになった。ボランティアと言っても、ハジメや他の利用者の話を聞くことくらいしかできることはなかったが。帽子は読書よりも、実際の人の話を聞くほうが断然面白いと、七〇歳にして初めて思ったのであった。病気や、障害を抱えて生きている人たちの苦労は、とても尊敬に値することを、帽子は感じるようになったのであった。

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