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白氷の湖#3

 どれだけ歩いてきただろう。いつから雪はやんでいただろう。私の足跡は次第に雪に埋もれ、どこをどうやって歩いてきたのかが分からなくなっている。右も左も前も横も、自分がその白い世界の中心にいるような感覚である。私は本当に前を、常に同じ方向を歩いているのだろうか。方向感覚を失ったとき、人間は一直線に前に進むことができるのだろうか。もし、私は円を描くように、ずっと同じところを歩いているとしたら、それは私の問題なのだろうか。それとも人間の特性なのだろうか。

 そのようなことを考えていると、前方に陸のようなものが僅かずつが見えてきた。

「陸だ!建物だ!誰か!」

 私は、今までの衰弱を忘れて思わず大きな声を出した。しかし、まだ陸までは数キロメートルの距離がある。自分の孤独に耐えきれずに、思わず声が出てしまった。

 もう少し歩けば、あの陸地にたどり着けば、誰かが私を助けてくれるはず。そう信じる以外に、私の足を動かすエネルギーはない。

 足下の氷の大地は、防寒のままならない私の指先をかみつぶしてしまうようだった。冷たい、なんていう表現では足らないほどの、痛み、苦しみ、足はすでに死んでいるような、それほどの感覚だった。

 ピキッ

 嫌な音がした。地面が割れるような音だ。この氷の大地は、今まで私が一人歩いている程度ではびくともしない雰囲気を出していたのだが、その音は、今までのその大地の安心感を裏返す音だった。

 次の瞬間、私の右足が踏んだ部分から、ピキッピキッと音を立てて、黒い線を蛇行するように描くようにして、割れめを先へ延ばしていった。その黒い割れ目の線は、次第に私の視力では見えないほどの距離まで伸びていった様だった。右足から伸びた、黒い線。これは私をあの陸地まで案内してくれているような気がした。その黒い線をたどっていけば、陸にたどり着ける。そのような気がした。私は自分の直感を信じて、その割れ目の上をわざわざ歩くことにした。

「これでもう迷わない」

 しかし自然は人間のことなど、端にも考えていなかった。私が、二歩目、三歩目と歩き、十歩目くらいだっただろうか、氷はその黒い線を一気にたどるようにして真っ二つに割れ、海をあらわにした。私は間一髪のところで氷に捕まり、浮いた氷の上に登った。

 私は、まだ一人だ。烈寒の海。陸は遠い。

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