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白氷の湖#2

 とても寂しい風景である。雪の中を一人で歩いているような。雪はあまりいい思い出がない。小さいころは長靴を履いてもなぜか雪が足のなかへ入って冷たかったし、中学生以降になると、防水加工の靴を履く習慣が身につかなかったため、いつも(雨でもそうなのだが)冷たい水分が足を浸した。足の指は凍傷と言っても言いような状態になり、そのまま部屋に入ってもその名残と戦い続けていた。

 大人になった今でも、玄関には雪を防ぐような靴が待機していることはなく、革靴やスニーカーのポテンシャルを信じてそれを履いて外に出るのである。しかし、雨や雪に勝てたことは一度も無い。

 寒さは(暑さもだが)とても苦手だ。寒いと身体が震えてしまう。街中で震えながら歩いていると、自分ほど震えている人がいないことが多々あり、ああ、自分は寒がりなのだなと毎年のように認識する。それかもっと、最強の防寒グッズを身につければよいのだろうが、それも、動いていると非常に暑くなってくることが多いので嫌いなのである。つまるところ、心の中で冬を嫌って、それで、寒さを感じるたびに、寒さと戦うのが、生まれてからの習慣になっている。好きな季節を聞かれれば毎回秋と答え、好きな曜日を聞かれれば日曜日と答えてきた惰性的な自分である。

 白に覆われると、凍るような気持ちになる。凍るというのは、例えば思考停止したり、冷や汗をかいたり、そのようなイメージがあるかもしれないが、実際の本気の寒さを経験すると、思考の挙動などどころではなく、なんとしてでもこの寒さの中を生き延びなければならないという身体の反応にばかり気が行くようになり、どちらかというと必死さの方が全面に出てくる。

 僕は昔、高校生くらいだっただろうか、初日の出を見てみたいと思い、大晦日にひとりで高尾山の頂上へ行ってみたことがある。初日の出を見るには、前日の夜からスタンバイをしておかなければならないというイメージがあったからだ。しかし、実際の日の出時刻は、朝やや早めに起きれば間に合ったし、さらには高尾山程度の高さでは、なんとなく明るくなって、その後にのっぺりと太陽が出てきたことを記憶している。そして、何よりも、大晦日の夜から朝にかけての寒さ、これは、命の危険を感じるほどの寒さだった。高尾山とは言え山頂だ。用意周到という言葉と無縁の人生を送る自分は、それなりの防寒グッズも持ち合わせておらず、とにかく力を入れて縮こまり、筋肉の熱を絶やさないように、朝を待った記憶がある。

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