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神の話#5 神の視点、文学との関係



 以上のことを踏まえた上で、あたしの立場は述べたとおり「神はバカ」です。我ながら、これは日本的でもあり、かつ西洋的でもある面白い見解なのではないかと考えています。なぜならね、神に「バカ」という評価を与えることで、人間的な神との関わりを想起するからですね。神も人情世界の仲間入りでぃ、神は可愛がっている弟分みたいなもんですな。
 弟分ですからね、喧嘩することもありますよ。昔ねぇ、一緒に住んでたんですよ、お互い金がなかったですからね。そいで、ある日、どっちが今月の家賃を払うのかって喧嘩になったんですよ。いったんは、あたしが金が無ねぇから、神に頼んでんですよ。今月は頼むぅってねぇ。あいつ、いいって言ったくせによ。直前になって、やっぱり無理だって言いやがるで、じゃあどうしろって言うんだって、喧嘩になりましたねぇ。そもそもお前が真面目に働かねぇのが悪いだろう! とかね、お前が払えもしねぇのに良いって言うから、頑張んなかったんだろうがい! とかねぇ、お互いどうしようもねぇですよ。そしたらねぇ、神の野郎「こんな家出て行く!」って言い出して、「勝手にしろい!」って突き放してやった。あたしはそのままね、寝ることにしましてね、次の日起きたら、神の野郎、リビングで寝てやがる。おい、出て行くっていったじゃねぇえかって言ったらよ、「出て行くにも金がねぇ」って。適当にも程があるよぉ、本当に。結局ね、神は金が貯まるまでいましたがね、貯まった頃には、喧嘩の事なんか忘れてよ、単純な野郎だろう、神なんてなぁ。
 神はいんだけども、何も分かっていないんですよ。そして、あたしがどうして無神論よりも有神論を支持するのかと言うと、あたしは(趣味だけど)物語を作成する立場だからであります。あたしの視点は(バカな)神の視点と同じということです。つまり、あたしは何も分かっていない。登場人物や、その作品世界に色々と教えてもらわないと、作品が描けないんです。
 (バカな)神ー我々 (バカな)作家ー登場人物
という関係ですね。そう考えると、つまり作品世界というのは、作家の内面にあるものだけでで構築されたものではなく、作家の創った世界で、何が起こるのか、ある意味現実世界と同じように、予測不可能な状況が起こり、現実世界と同等の分析しがいのある世界ができあがるのではないかと考えているのです。
 もちろん、文学の読み方には様々あって良いと思いますよ。好みの問題もありますでしょうしね。いくつか文学の読み方を紹介してみましょう。
 まず作家論ですね。作家論は「いくつかの作品から作家の内面を分析する」方法論です。これは、あたしはあまり好きではない。どうしてかってぇと、別にあたしたちは、神の意志で行動し、生きているわけではなく、自らの意志で行動し、生きている(と信じたい)からであります(最近は構造主義という考え方もあり、そうとも言えない可能性もあるらしいですがねぇ。少なくとも我々を動かしているのは、神ではないですよ。)。これと照らし合わせると、いわゆる「行間の隅々」までは作家は描けないことと、神が我々の行動や感情の機微まではあずかり知らないことが、似ているなぁ、と思うんですよ。つまり、作家など何も分かっていないんです、バカな神と一緒なんですよ。
 次に作品論ですね。これは「主題を見い出す」方法論です。「この作品は何を描いているのか」という簡潔な問いを立てます。作品論は(後で書くテクスト論と違って)作家がどのような主題を描こうと思ったのかも踏まえるので、あたしはこの読み方が好きですよ。作家はバカですけれども、何かを描こうとしてもよいですからね。それが読者の受け取り方と一緒でも異なってもどちらでもいいんです。もちろん作家の意図が主題を考える上での参考になることは大いにありますよ。
 次に構造分析。これは、物語の構造を読み解く方法です。「はじめ」「なか」「おわり」や、「起」「承」「転」「結」などが代表的な例ですね。どこの、どの章や段落が、どのような枠組みになるのか、そして互いにどのような影響を与え合っているのかなど、を考えていくんです。例えば「この序章があることによって、最後から三番目の章の主人公の行動の理由が分かる」とった具合だろう。この方法論は、作品を描く上ではとても参考になる読み方ですね。ただあたしはは「結局何を描いているのか」が重要と思うので、構造分析だけでなく、作品論まで踏み込みたいと思っているわけです。
 最後はテクスト論。これはあまり好きではないですね。完全に作家と文章を切り離す考え方。つまり、言語そのものの効果や、文章そのものの効果などを分析するやり方ですね。言語学に近いのかもしれないです。この考え方だと、神と我々を考えたときに、神の存在を無視する考え方になってしまいますなぁ。飛躍した考えかもしれないですが、素人なので許していただきたい。分析の方法は、正直よく知りません。
 昔、言語学の論文『助詞「を」について』というものを見たことがありますけれども、あたしにはそれの面白さが分からなかった。極めれば面白いのかもしれないですが、あたしとしてはあまり興味がない。
 以上の四つが、あたしの知っている文学の読み方ですが、他にもあるのかもしれないです。
 でもあんまりねぇ、本ばかり読むのもねぇ、いかがなものかと思いますよ。頭おかしくなりますから。本に書いてある事って、別にしょうもないことですからね、それに真剣になるのもねぇ、アホらしいですよ。あたしは本くらいしか友達がいねぇんで、頭おかしくなっても大丈夫だから読み続けますがね、突然友達ができてしまったら困りますなぁ。あたしの話に付いてこれる人は、いないですよ。もう、社交性に関しては手遅れでござますからな、おとなしくあたしの文章を読んでくれるだけの人がね、あたしにとっては大事ですから。普通の、健常に社会生活を送っている人はね、あたしとはどうも気が合いませんな。
「本をたくさん読んで、頭ぁおかしくなってから出直してこい!」とでも、言っときますよ。
 別にね、文学は自由に読んでいいんです。でもねぇ、あたしはやっぱり「作品論」的に読まないと文学世界の面白さを最大限に受け取れないのではないかと考えてしまいますね。バカな神も仲間入りさせてくれよ、と思うのであります。

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