見出し画像

をかしき序文



 生きていると、いつも「どのように生きればよいのだろう」という問題について考えている。この問題について考えるのは、それを考えざるをえない状況下にあり、それを考える必要性がどこかにあるということだと私は考えるようにしている。例えば私は、親族の葬式に行くべきかという問題について四六時中考えている。また仕事にはどのように向き合うべきかという問題について四六時中考えている。そのような悩みの中、様々な人生論を参考にしてみれば、「考えすぎないほうがよい」、「若いうちは経験を積んだほうがよい」など、全く参考にならず、むしろ誤った考え方に支配されかねないという憂慮がある。特に影響を受けやすい私のような人間には注意が必要なのである。私の人生には注意を促すためのきっかけになる何かが必要なのである。そこで思いついたのが今回の『をかしき論考』である。「をかし」というキーワードを使い、自分自身に注意を促すことが本書の目的である。
 「重要命題」に付随する文が「命題一」「命題二」・・・である。「命題一」「命題二」「命題三」では〈をかしき要素〉の性質を説明する。要素は構造に組み込まれるものである。「命題 四」「命題 五」では〈をかしき構造〉の性質を説明する。要素が構造に組み込まれることによって組織ができる。「命題 六」「命題 七」「命題 八」では〈をかしき組織〉の性質を説明する。「命題一」に付随する文が「命題一一」「命題一二」「命題一三」・・・であり、「命題一一」に付随する文が「命題一一一」「命題一一二」「命題一一三」「命題一一四」・・・である。
 『をかしき論考』は、私自身のモノの見方を調整する役割を持たせることが第一の目的である。正しいモノの見方ができれば、論理的に人生の価値を積み上げることができると仮定している。わたしは「命題一」「命題二」「命題三」を読んでいる間は特に良し悪しの判断を控え、言葉の綾や自らの主観に注意して読むことしている。良し悪しの判断が早まるほど人間は「をかし」を認識できない可能性があり、良し悪しの判断は、全てを読んだ後でも、全てを理解した後でも、全てを考察した後でも、決して遅くはないと考えている。
 一つひとつの文に合理的整合性があるかどうかを証明する力はわたしにはない。一つひとつの文に関しては“ある意味ではそうかもしれない”“そういう言い方もできるかもしれない”“そういう側面もあるかもしれない”と思いながら読むことにしている。書いてあったことと真逆とも思えることが他の場所に書いてあることを発見する。しかし重要なことは、読み終わった後に「をかしの概念」が心の中でどのように形成されるのかということである。本書は哲学書ではなく、文学作品または個人的な自己啓発書である。しかし全体を通して、客観的に「をかしの概念」が浮かび上がる文を心がけている。
 真理は言葉によって語ることはできないと考えられている。例えば「世界は存在する」という言葉について、それが真理か間違いかの判断基準は言葉の中にはない。しかし語っている内容が真理であると判断できる場合がある。それは語っている人間が真理を知っている――少なくとも真理を語ろうとする態度がある――場合である。このことを踏まえ、わたしは真理を語る態度をもってこれからの文章を作りたいと思っている。
 いずれにせよ、どのように読むかは読者の自由である。
 最後に「をかし」という言葉についても解説しておく。をかしは日本の古語であり、現代では「可笑しい」という漢字があてがわれている言葉だが、本来は「愛おしい」「笑える」「秀逸」、もっと大まかに言えば「素敵」「素晴らしい」など、人間の肯定的な側面を包括的に表現した一語なのである。わたしはこの「をかし」に魅力を感じ、今日も「をかし」き日々を心がけている。

ここから先は

0字

応援

¥15,000 / 月
このメンバーシップの詳細

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?