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泌尿器科

泌尿器科

 大方草太楼です。えぇ、大方草太楼というのは、いつも「大方そうだろうなぁ」と言うことばかり話をしているので、そういう風に呼ばれるようになってしまったというだけのことです。あたしは、自分の名前なんぞ、どうでも良いと思っていますから、どうぞご自由に「大体そうだろう」でも、「嘘つきホラ太郎」でも、呼んでくださいな。
 時はもう令和でございます。健康診断の通知があたしの耳に入ってきたんですな。これまで様々な健康診断を乗り越えてきましたけれども、時には低血圧、時には心拍異常、はて今回はどのような病の兆しがあたしを照らすのだろうかと、気を高ぶらせて待ち望んでおりました。
「尿潜血+2」
 ほう、また新しい身体情報ですな。こうも毎回身体に異常が見つかるというと、実を粉にして会社の犬となった中年の気分でございます。仕方なく、尿潜血+2について検索しましたよ。尿潜血は健康な人にも現れることがあり、再検査をすれば異常な無くなることがほとんどらしいですね。尿潜血というと、血が混じっているということだから、あれ、あの、せい、、精子が混じってるってことも、、あるの、、かななんて。健康診断の前にそんなエッチなこと考えたかかなぁ、なんて余計なことを考えてしまう。ただ、本当に病気の可能性もあるのだから、しっかりと検査に取り組もうと思います。
 というわけで、再検査を待たずして、しっかりと検査をしようと思い、泌尿器科に来てみました。実はあたしは病院が好きでして。だから、ちょちょいと検査して終しまいじゃなくて、しっかり検査してもらおうと意気込んで足を運びますよ。病院の好きなところは、一つ、不安が解消される、二つ、待ち時間に本が読める、三つ、お医者さん、看護師さんや医療事務の方の人間観察が楽しい、最後に嫌いなところは別に行ったところで治らないことあるところと、痛い可能性があること。実力のある医者は話した感じや患者の触り方で分かりますな。この前イボ痔が出血して肛門科に行ったときの医者は、ベテラン肛門治療者という雰囲気があって、臆面もなくケツの穴に指突っ込んで薬をグリグリ塗って痛かったけれど治してしまった。更にこれがあたしの○○にものが突っ込まれる初体験になってしまったのであります。
 泌尿器科と言うと陰部を扱うこともある場所だから、なんか、なんとなく、緊張感というか、変な気持ちというか、恥ずかしさが沸き起こる。まずは受付を済ませました。
「はじめてなのですが」
「今日はどうされました?」
「健康診断で尿潜血+2と言われまして」
「最後にトイレ行かれたの何時ですか?」
「え?あれ、いつ行ったっけな。朝は行きました。」
「8時くらいですかね」
「まあ、たぶん、はい。」
「後ほどお小水取っていただきたいのですが、出そうですか?」
(お小水?あ、おしっこのことか。お小水って言うんだ。上品だなぁ。)
「はい、大丈夫だと思います。」
「ではおかけになってお待ち下さい。」
 これがあたしと泌尿器科とのファーストコンタクト。まず、恥ずかしさのあまり、最後にトイレに行った時間を思い出す余裕がありませんでした。座りながらお小水は朝の10時に行ったことを思い出す。次に、お小水というワードに動揺してしまった。誰がお小水という言葉を考えたんでしょうかねぇ。
(100年前のことであります)
「院長、患者様の尿検査の時におしっこというのが恥ずかしいです」
「なんでだ」
「おしっこって、なんだか子どもっぽいと言いますか」
「じゃあ、小便でどうだ」
「それもなんだかストレート過ぎる気がするんです」
「んー、じゃあ、なんていえばいいんんだ。それ以外におしっこを表す言葉なんて無いぞ」
「考えましょう。そうですね、黄色い水はどうでしょうか。」
「それこそ、ストレートすぎやしないか?お小便。おを付けるのはどうだい。」
「それは少しお上品になりましたわね。お水、お小便、お小水なんてどうかしら」
「おお、いいじゃないか」
「早速張り紙出しておきますわ」
【当院では「おしっこ」のことを「お小水」と言います】
「おい、おしっこって堂々と書くんじゃない。品がない」
(現在に戻る)
 ということでもあったんでしょうかねぇ。病院も苦労しているんですね。というわけでございまして、お小水を取りにお手洗いに向かいましたよ。
「お小水は右上の棚の上に置いてください」と言われました。トイレのドアを開ける。綺麗な病院の普通のトイレだ。と思ったら、便器のやや右上の方に、棚と小窓がある。そこは、半透明のガラス戸のような仕様だ。なるほど、ここに置いて、終わったら事務の方がこの小窓を開けてお小水を取っていくわけだな。よし。
 あたしは尿検査が好きではない。小学校のときの尿検査では、朝一に、少しだけ出してから、ちょいと我慢をして、指定のプラスチック容器に入れ、残りの小便を出した後、スポイトで尿を吸い取り、自分の名前を書いた紙袋に入れて提出する。このような複雑なプロセスを経ないと尿を提出来ないのだ。自信のない少年だったあたしは、毎回非常に混乱していましたね。まず、朝の寝ぼけた頭で、尿検査のことを忘れる。二つ目に、いきなりプラスチック容器に入れてはいけない、ちょいと我慢しなければならない緊張感。三つ目に、プラスチック容器をあらかじめ広げておかなけれなばらない。四つ目に、尿が二門になる可能性がある(特に幼少期の朝イチのおちんちんは皮で埋もれているため)。また、尿が足りないかもしれない不安との戦い、生温かい尿をスポイトで吸い取る時の不快感、紙袋に名前などを書き忘れて、スポイトを入れた状態で名前を書くため、読み取れない字になる。スポイトの蓋の閉まりがあまい、などなど。
 あたしは以上のような多種多様な問題を、、手をおしっこでビチョビチョにしながら乗り越えるのが常でした。思春期に入れば、尿検査は普通にいつも忘れてましたねぇ。
 さて、大人になったあたしはそんな苦労はしない。さあ、紙コップ(病院は待遇が良いので簡易的プラスチック容器ではないことが多い)にあたしの尿を入れていく。
 でも、おとなになっても若干の「足りるかな」の不安はある。まあ、それは特に問題じゃない。
 おしっこがあたしの眼の前でストレートを描いていたその時、右側の半透明ガラス戸の奥で人の気配がした。手のようなものが見える。まずい!今開けないでくれ!こっちはまだお小水中だ!
 あたしは慌てふためいた。狙いが不安定になり、やや飛び散る尿に余計に慌てる。開けないでくれ!開けたら、あたしのおちんちんが丸見えだ!

 おちんちんが丸見えなのは、どうしてこうも恥ずかしいのだろうか。世の中には性器博物館のようなものや、性器を模した御神体、また性器丸出しの彫刻、直接的な絵などがあるではないか。だから、これは、神であり、芸術だ。何を恥ずかしがることがあろうか。
 性欲は生きるエネルギーである。このあたしの御神体は、これを見た人に生きるエネルギーを与える。だからこそ、御神体なのだ。なので、見られるということは、悪いことではない。むしろ、社会貢献だ。世界を元気にする、一つの救世革命なのだ。今、是非小窓を開けてくれ!

 しかし、小窓が空くことはありませんでしたな。うん、まあそりゃそうでしょう。ジャーって音してたし、今お小水中かなって、音で察しますわね、しかも1日に何件も何件も開けたり閉めたりしているわけだから、紙コップがもう置かれたのか、置かれていないのか、トイレを出たのか、出ていないのかなどは分かるはずですよ。多分、その気配を察するための半透明なのかもしれない。だから、あたしの考えが余計なのだ。ああ、また今日も余計なこと考えてしまった。余計なことを考えない日は1日もない。
 


 お小水を提出してトイレを出るとまた待合室で待つ。病院の待ち時間は最高だ。本が読める。本を読むというのは意外と時間が取れないものなのだ。だから、こういったつかの間の待ち時間は有効活用しなけれなばならない。しかもあたしは、自分で自分を苦しめるように、課題本を誰に言われるもなく設定して、読まなければならない本が山積みなのだ。ああ、なんて人生は短いんだ。神様はジュンク堂に行ったこと無いのだろうか。世の中にこんなに面白い本が有ることを知らないのだろうか。社会人になってから読書に目覚めた遅咲きのあたしは、本当に本を読む時間がない。中学の時に野球なんかしなければよかった。帰宅部か月に2回くらいしか活動日が無い読書部に入るべきだった。野球部に入って今役に立つことなんて、筋トレの仕方がちょっと分かる以外にはない。若者は、読書部に入るべきだ。

「すみません、こちらでちょっとお話聞かせてください」
お、なんだなんだ、何かあったのか?美しいお姉様があたしを呼んだ。年齢は五十歳くらいに見える。処置室とやらに連れて行かれる。なんだろう。
「別になにかあったわけじゃないんだけど、ちょっと基本的なこと教えてね」
なるほど、話しを聞くだけか。職業やこれまでの病歴などを聞かれた。使っている薬を、皮膚の塗り薬と答えたら、
「なにで塗っているの?」とその看護師は言う。
なにでって、手以外になるのかな、手、いや、そんな当たり前の質問するか?それよりこの看護師すごいタメ口で馴れ馴れしいと言うか、甥っ子を可愛がるかのような、しかも、なんというか、子供扱いというか、小学生相手のような喋り方してくる。嫌いじゃないですねぇ。それより、なにでって、なんの病気で、なぜ塗っているのかってことか、
 この思考を2秒くらいで済ませ
「なぜ、ということですか?」と質問返しをした。なんだか、このやり取りいるか? という気もするが、一応確認ですな。
「うん」看護師は言う。
「かゆいので、塗っています。」
 看護師は笑う。そりゃそうだろ。それ以外に塗り薬塗る事あるか。いや、あるか、ニキビとか、火傷とか、乾燥肌とか、かゆいのはおかしいですかね。かゆいから、塗り薬を塗るって、当たり前のようだけど、実は他にも可能性はありますからね。
「子どもの頃からアトピーがあるので」
「ああ、それでってことね」
看護師は納得したようでしたよ。病名を言うと納得するのか。さすが看護師ですねぇ。あたしのような素人は、症状ばかり気にしてしまうが、看護師は包括的な病名を付け、それで思考するわけですな。なんで痒いのか。それはアトピーだから。病名が分かると、原因も分かる。一時的な病名もあれば、二次障害的な病名もあるのだろう。難しいことは分からないが素人のあたしにとっては痒いから薬を塗る、というのがやっぱりしっくりくるんですがね。

 看護師との確執があたしの頭の中で生まれたところで、その問診は終わりました。また、待合室だ。よっしゃ。また本読める。読書部希望の本領を発揮できますな。
 ということで、その後血液検査と診察を済ませましたよ。検査結果は次回腎臓の超音波検査を行い、その結果と一緒に来週伝えるとのことだ泌尿器科の検査も時間のかかるものなんですね。一週間病気の可能性を胸に抱えるのは、少し嫌なもんです。更には、次回の超音波検査は膀胱に尿をためた状態で検査をするため、お小水を我慢した状態で来院する必要があると言われました。医師、看護師、更には受付の事務員までもが念を押すように「お小水我慢通達」をしてきた。分かりましたと律儀に挨拶し、今日は泌尿器科を去ることにしました。



 その後のちょうど一週間後、あたしは再び泌尿器科を訪れました。あたしは尿を我慢することをすっかり忘れておりまして、昔から忘れっぽいんです。朝から己の欲望のままにお小水は解き放ってしまいました。それを泌尿器科のドアの前で思い出したのだ。「そうだ、おしっこを我慢しなければならないんだった。」少し早めに来たことを良いことに、一度引き返し、近くの自動販売機で水を買うことにしましたよ。運良くすぐ隣に自動販売機があったので、そこで天然水を買って。蓋を開け、半分ほど一気飲みをしまして。よし、これで準備完了だと言うわけで、泌尿器科の門を開けます。
 受付に参上。「本日超音波の検査がありますが、お小水は本日は行かれましたか?」「はい行きました。」「最後は何時に行きましたか?」「朝一の八時くらいですかね。」と適当に答え、本当は今日はもう3回位お小水を済ませてしまっていることを隠しました。
 「それでは、待合室でお待ち下さい。検査まで30分ほど時間がありますが、我慢できますか。」受付の人は言う。30分は、今飲んだ水がちょうど膀胱に貯まるくらいのいい時間だと思う。「はい、大丈夫です。」と答え、待合室に座る。いつものように本を読みながら待つことにしました。
 そのときだった。ついさっき飲んだ水がすでに膀胱に溜まっている気配がするのだ。
「まずい、これは朝からコーヒーを二杯ほど飲んでしまってカフェインの効果が効きすぎているのかもしれない!!」
 そうなのだ。あたしは、コーヒーを朝飲むことを欠かすことができない。しかも、余裕がある時は2杯目のコーヒーを飲んでしまうのだ。1日で4,5杯飲んでしまうと、若干気持ちが悪くなってしまうことがあるので、そこまでは控えているが、朝の2杯のコーヒーはあたしの日常の中ではよくあることだ。そして、この尿意は、いつもならトイレに立ち上がる尿意。あたしは、そこで自分の頻尿さを再認識しまして、いくら水をさっき飲んだからとはいえ、ここまで尿を我慢することが日常的にないんです。映画でもトイレに行きたくなれば我慢することはない。己の欲望のままに、いつも尿を解き放つのがあたしのルーティンなんですよ。
 ただ、今回ばかりは解き放ってはいけない。30分か、よく学生時代は授業中のおしっこを我慢していたが、おとなになってからそこまで尿意を我慢することはなくなった。だから、自分がどれだけ尿を我慢できるのか、いまいち分からなくなっている。30分の尿意を自分は我慢できるのだろうか。心配になりましたねぇ。
 尿意を紛らす方法を考えましたよ。それは音楽を聞くことです。あたしはイヤホンを耳に付けた。選曲は、うーんそうだな。ここはいっそ、とんでもなくテンションの上がる曲にしようと。すると、開いた音楽アプリの一番最初に、一昨日くらいに興味本位で聴いていたスターウォーズのテーマが出てきた。お、これはいいぞ、尿意を紛らし、宇宙とSFの世界に思いをはせよう。
「ちゃーちゃーちゃちゃちゃちゃーちゃーちゃちゃちゃちゃーちゃちゃちゃちゃちゃー」
スターウォーズのテーマが流れる。ん?ん?
「ばばーんばん、ばばーんばん・・・」
 なんだか、予測しづらいリズムだ。急に曲調が変わるし、体に刺激が走りすぎるような気がする。
 曲を変えよう、意外と単調なほうがいいのかな。まあ、分からないが、有名で好きなアーティストにしよう。最近は検索すれば、サブスクさえ入っていれば、好きな音楽が聞けるのがすごいですねぇ。ブルーハーツだけは昔の曲が聞けないのが惜しい。まあ、それはそれでかっこいいのだろうが、時代は進んでいる。
 サザンオールスターズの選択し、シャッフルボタンをお押す。
「あおいなーぎさをはーしーりー」
 あーだめだだめだ。サザンは水を連想してしまう。ここは思い切って、音楽じゃなくて、芸人のラジオでも聞こうか。話に集中しよう。
 ラジオアプリで芸人の話しを聞く。お、これはいい。尿意を感じづらい。よし、このまま30分っと。
 しかしどうだろうか、30分経ったころ、看護師さんはあたしに話しかる
「もう少しかかっちゃいそうなんだけど、我慢できますか。」
 おっと、困った。しかし、今のあたしには芸人のラジオという強い味方を得た。
「はい、大丈夫です。」
 またまた、看護師さんは待合室まで来るが、今度はあたし以外の患者を呼んでいく。ちょっとまってくれよ、ちょっと。現在の膀胱は風船が割れる直前の状態でしたよ。尿意は120%、学生時代の授業を思い出しますな。
 そのとき、ふと思い出した。この前見た探偵ナイトスクープ。ハライチ澤部の回だ。布団の中で思いっきりおもらしをしてみたいという依頼だ。そのとき、澤部は「あーあー漏れそう!漏れそう!いきまーす!!」と言って開放しようとしたのだが
「出ない!!!あれ!でない!!!!」と言っていた。人間は、尿をするべき場所としないべき場所を経験で体が覚えるということだ。その後、努力の結果おもらしできていたのだが、最初は出なかった。だから、あたしも大丈夫。待合室でおもらしすることは無いはずだ。澤部探偵の身体感覚を信じて、あたしも、絶対に検査まで我慢できると、思うことにしよう。
 その覚悟は長く続かなかっった。かれこれ受付から45分経過している。予約したのに、こんなに予定をオーバーするとは。尿意が膀胱をどんどん膨らませ、自分という枠組みを越え、膀胱に自分が包まれているような、それくらい膀胱が膨らんでいましたよ。
 看護師さんがまた待合室に来る。ついに呼ばれるかと思ったら、また、違う人を呼ぶ。思わず声をかけてしまう。「すみません、まだでしょうか、、、」
「次呼びます、次呼びますんで」
 くそー、もう、すでにラジオなんかを聴いている場合ではない。精神集中をするフェーズに入った。精神集中。自分の感覚を研ぎ済ませる。呼吸を整える。呼吸に集中する。自分の体内で、一番感覚が集中している場所は。膀胱。膀胱が膨らみすぎている。客観的に、できるだけ客観的に膀胱の膨らみを観察する。痛み、違和感、尿意。この尿意はいつか来る放出のタイミングがくれば無くなる。尿意は、筋肉を使うことを発見する。何処の筋肉かはいまいち分からないが、とにかく陰部の筋肉だ。陰部の筋トレと思うことにしよう。いかんかいかん、変なことを考えてしまった。
 人間が一番弱いタイミングを挙げるとするならば、トイレを我慢しているときだろう。自分にもしなんらかの理由で復讐しなければならない相手が出てきたときには、泌尿器科の待合室が狙い目だ。尿意を我慢しているときは、通常使用される集中力の80%が尿意に持っていかれる。残りの20%で思考されることなど子どもの四則計算レベルも不可能なのではないだろうか。尿意と便意はどちらが人間の判断力を鈍らせるのだろうか。現在あたしに訪れているのは尿意である。便意と比較するのは現状難しい。また今度便意でも実験してみましょう。そういえばこの前気がついたことがある。おならについてだ。おならが出そうになったときに、ぐっとお尻の穴に力を入れると、おならがでなくなる。そして、誰も居ないことを確認して、一気に空気を出そうとすると、「ぶ」という音が出る。しかし、おならが出そうだなと思った時に、あえて力を入れないでおくのだ。そうすると、、おそらく僅かな穴の隙間から徐々に空気が漏れていく。そして音は全く出ない。つまり我慢をしようとするから音が出てしまうのであって、空気の流れに自然に身を任せると、音は特に出ないんです。しかし、人前でおならが出そうになった時は、反射的に力を込めて止めてしまう。これができるのは、夜の布団の中くらいだ。



 話が脱線してしまったが、今は尿意と戦っている。尿は自然に身を任せるわけにはいかない。パンパンに膨らんだ風船をイメージする。
 その時、「お待たせしました!」と馴れ馴れしい態度の看護師が焦りと陳謝の意を含んだ表情と声であたしの名前を呼んだ。
「ついに!」
 このときのあたしの気持ちは、高速道路の渋滞がやっと動き出したような、傘を忘れて雨宿りをしている時に雨がやんだときのような、つまらない授業が終わったときのような、やっと給食が食べられる喜びに包まれたような、そんな気持ちになりましたよ。
「我慢できなかった?」看護師は言う。いや、我慢が出来ているのだが限界なのだ。我慢の限界をキープしているのだ。
 検査のため、身体を横にして、なにか液体のようなものを塗られ、このとき腹を若干刺激され、危ないところだったが、なにか器具を付けられ仰向けのまま待つように言われる。
 ここでまた新しい発見をする。座っている状態よりも、仰向けのほうが圧倒的に尿意を我慢することがつらいのだ。仕方なく待っていたがその我慢は1分も持たず、身体を持ち上げて、座る体勢に戻す。
「もうちょっと、もうちょっと待ってね。」看護師は言う。
「やばい!」こんなことなら、水なんか焦って飲まなければ良かった。トイレに行っていないと嘘をついてそのまんま検査を受ければ良かった。くそお。くそお。と、座ったまま待つ。先ほど取り付けられた器具のようなものは全て取れた。
5分ほど、地獄の5分ほど待ったら、やっと医師がきた。
「はい、お待たせしましたー。」
最後の力を振り絞り、身体を仰向けにして、検査に挑む。
「検査終わってすぐ結果お伝えしてもよいですか?それともトイレ行きますか?」
「トイレ行きます!」
超音波のようなものを見ながら、あたしの膀胱がパンパンになって爆発を待っていることを察したようで、「じゃあ、終わったらソッコーでトイレ行きましょう。我慢していただいてありがとうございます。」と医師は言った。


 そしてついに検査が終わった。
「ありがとうございました!」
検査室の外では看護師があたしを待っていた。
「行きましょう!」
「はい!」
「てーんてれてんてんてーんてーん」
 あたしの頭の中ではザードの負けないでのイントロが流れていた。この尿意耐久マラソンもついにフィニッシュを迎える。トイレまでの距離、残り3m。
「ふとした瞬間に〜視線がぶつかる〜」
 ザードの曲は、高らかに脳内でリズムを刻む。トイレまでの距離、残り1m
しあわせの〜「じゃーー」
 おほほほほほほほほおーん
 限界のキープの後のお小水。誰にも邪魔されないお小水。幸せのお小水。世界が自分の味方でいる。身体が海へ近づいていく。心が空に昇っていく。宇宙が広く輝いている。
 お小水は、近年稀にみる長期的なお小水だった。体感にして、1時間。快感のその先へ言って帰ってきたような感覚。
 昔テレビで、ケンドーコバヤシが「一番快感をを得られる方法は、風呂場でシャワーを浴びながら、おしっこを出しながらビールを飲むこと」と言っていた。なるほど、それと今の自分のお小水は、どちらが気持ちがいいだろうか。
 ピンと張った弦。張れば張るほど、助走をつければつけるほど、その測定値は、威力は、結果は、大きく最高のものとなりますから。今回は意図せずこのような結果になったのだが、いや、これは意図しては出来ないだろう。検査を受けなければ帰れないという状況の中で、強制的にお小水の我慢を強いられたからこそ得られたものだ。自分の意志でこの結果を得ようとするのは、不可能である。
 良い結果を得るためには、つまり、自分だけでなく、良い結果が副次的に発生するような強制的な環境要因が必要だということですね。例えば、テストの合計点×マイナス1000円の罰金とか、そんな風な設定があれば、よいテストの結果が出る可能性は高くなるのだろうか。サメに追いかけられれば、クロールの世界記録を更新することが出来るのだろうか。
 そういうわけで、あたしのお小水がどれほどのものだったかと言うと「おほほほほほほほおーん」と口から漏れるような感じである。どうですか? 幸せが伝わってきましたか?
 体感一時間くらいの快適お小水を終え、トイレから出ると、先程の看護師がいた。「すっきりした?」と聴いてきた。
「ハイ!」元気よく、返事をした。どこか、その看護師の顔がザードのボーカルに見えた。



 検査の結果は、異常なまでに健康な数値だった。問題のなしの中のなし。健常値をど真ん中ストレートに捉え、逆転満塁ホームランだったようだ。なんだ、心配いらなかったのか。まあ、違和感を感じたことはなかったので、そうだとは思っていたが、病気は怖いものですなぁ。気づかぬうちに、足音を建てずに忍び寄ってくる。日頃の生活には病気の根源に思い当たることはたくさんありますからね。ひー。あぶねえあぶねえ。でも、検査で問題ないと言われると、「あ、今までの食生活で大丈夫なんだ。」と勘違いしてしまうので、あまりよくないな。今まで通り缶コーヒーガブガブ飲んでしまいますなぁ。
 

 ところでこんな文章を、とりとめのない文章を書いていても大丈夫なんでしょうか。昔、三島由紀夫の「不道徳教育論」という本を呼んで、「こんな人みたいにはならないでおこう」と思ったことがありましたけれども、今自分がその様に思われてはいないでしょうかねぇ。まあいいですよ、三島由紀夫も変な文章たまには書いてるんですからね。変なやつほど、魅力的だというのは、暴論ですよ。変な奴は嫌われるのが落ちですから。残念。
 すでに、話題変わっているし、途中も泌尿器科のことから話題ズレていましたが、ああ、とにかく健康でよかった。いつまでこの健康体がもつかなあ。皆様も、お体には十分にお気をつけてお過ごしなさってっください。

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