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「西予市裏市長」になってやったこと+1

これまでの記事で、「歩こうわたしたちのLIFE 履こう学びのくつ」というテーマでやってきたパーティSHOESの全10回とちいさなSHOES全3回について書いてきました。
読んでくださったみなさん!ありがとうございました~🎉

最後にやったSHOES vol.10のとき、
深く深く考察するおもしろさを味わったわたしは、
2022年の田植えが終わった直後から、
呼びかけた仲間と月に1回テーマを決めて対話をしながら思考するという「思考する施行」をしてみていました。

そんな中、市内の幼稚園が保育園と合併して「認定こども園」になることを行政の理事者が急に決めてしまうことが起きたり、
地元小学校再編の検討委員会を見学する中で、会議の在り方に疑問を持ったり、
そのことが仲間の中でも大きな関心の一つだったので、
その仲間と共同企画として、
いつもは固定メンバーでやっている対話の会をオープンで企画しました。

思考する「社会」と「教育」

この案内を、小学校再編を検討している教育委員会の教育部長さんと、
高校魅力化を担当しているまちづくり推進課の課長さんへも、
ダメ元で訪ねていって出席のお願いをしていました。
そうしたらなんと教育部長さんが「職務としてではなく一般の市民として」出席させてほしいとご連絡いただき、来てくださいました。

年齢・性別・立場がちがうさまざまな人が参加してくれた会になり、
それぞれの個人的な経験や思いから、
社会という大きなものに向かっていく話をするという中でわたしが感じたのは、
多くの人が「自分の話をする・きいてもらう、という時間に飢えている」んじゃないかということでした。

ただただ、自分のきもちや思ったこと、できごと、それを話す、それをきいてもらう。

そういう時間をもたずに・もてずに来てしまうと、
社会のこと、しくみのこと、そういった大きなことについて考えたり話したりするところまでなかなかたどり着けない。
「できない」のではなくて「道のりが遠くなりすぎている」のだと実感しました。

みんなそれぞれ、毎日の暮らしの中で、
いろんなことを気づき、感じ、経験し、思いを抱いて生活しています。
でもそれをふり返ってみたり、考えたり、ましてやそれを誰かと話したり、表現したりするような時間は、きっとなかなかもてない。
でもそれは気づきやきもちが「ない」んじゃないんですよね。

気づきやきもちは確認しないと通りすぎてしまう。
確認する、そんな時間が「ない」だけ。
それは忙しすぎて「ない」んだろうか。

忙しすぎてないのもきっと事実なんだと思うけれど、
自分のことを話したりきいてもらったりする時間を
「そんなこと」と思っちゃって、
「そんなこと」よりもきっとほかのことを優先しているのだろうなあと、わたしは思いました。
みんな自分を後まわしにして、家族のことや仕事のことやほかのことをがんばっているのかなあと。

でもときどき、自分のこと・自分のきもちを大事にしてほしいなあ。

あなたの、個人的なことが、この社会の、課題なのだから。
あなたの、今日感じたことは、わたしにとっても、社会にとっても、きっと大事なことなんだと思うから。

あなたが誰かに大事にされる、自分のことも自分で大事にできる、そんな世の中にしたいよなあ。
そしたら誰かにやさしくできる自分になれちゃう気がするんだよなあ。

わたしはそんな世の中にしたい。

やっぱり対話をあきらめたくない。
そう強く思う会になりました。

このあと、小学校の再編計画案に対してのパブリックコメントを出しました。
「計画案」と、決まった「計画」のどこがどう変化したのか、またどこがどう変化していないのか、検証して今度記事を書きたいと思います。


これを読んでくださっている人で、
一緒に暮らしている人がいるかたはその一緒に暮らしている人の、職場の人の、友だちの、隣りにいる人の、あなたの近くにいる人の、話をきく時間をもってみてください。
あなたに余裕があるときで、ぜんぜんいいから。

そしてわたしでよかったら、わたしにもきかせてください。
あなたの気づいたこと、感じたこと、あなたの思うこと。

あなたの大切な時間の中で、いつも、わたしの言いたいことを読んでくれてありがとう。


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