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ルッキンバック・ヘヴン

記憶の中のザ・シェルター

ニューヨークのダウンタウン、ヒューバート通りとハドソン通りの角にあったシェルターは、あまりにもなにもかもがとてつもなかったこともあって初めて足を踏み入れたときからすべてに軽くぶっ飛ばされてそのまま戻ってこれなくなってしまった。まるで体育館のような天井の高いがらんとした空間の両側の壁沿いに、ぼこぼこぼこぼこと山のように巨大なスピーカーが置かれていた。中に入って奥に進んで目につくものといったら、ただそれだけ。音楽と照明以外にはほぼなにもない。無駄なものは徹底して省かれている。これこそが、ダンス・クラブというものなのだと痛烈に思い知らされた。湾岸地域の倉庫ビルを改築した芝浦のゴールドなどもかなり本格派なのではないかと思っていたりしたのだが、要するにいかにも東京的なキッチュ感覚の産物でしかなかったのだということがはっきりとわかってしまった。やはりそもそもの段階から格が違うのだと思わされたし、それがそのようにそこにあるということに言い知れぬほどの説得力がありすぎた。どこにも浮ついているようなところはなかったし、それは軽々に夜遊びだのクラブ活動だなんていえるものですらなかった。当時、入場には二十ドルほどを支払ったと思う。決して安くはない。マンハッタンでも一ドルで巨大なピザの一切れを食べることができたことを思えば、一晩で二十ドルあまりも使うのは非常に大きな出費であったはずだ。それでも人々は週末の夜にシェルターに足を運び、ティミー・レジスフォードのDJでヘトヘトになるまでダンスすることを選択していたのである。ダンスフロアにいる人々は、相当に真剣にただ身体だけでなく魂のレヴェルでまでをも踊らせてくれるよい音楽を欲していたし、DJブースのティミー・レジスフォードもダンスフロアのダンサーたちとの真剣勝負のような骨太で堅実なプレイでそれに応え、多くのものたちがその空間でリズムの奴隷となりはてていた。プレイしながらダンスフロアの様子を凝視するティミー・レジスフォードの空間を睨みつけるような目つきは、もはやただごとではなかった(ダンスフロアからDJブースを見上げてみても、鬼のような形相でこちらを凝視しているティミー・レジスフォードの顔面ぐらいしか見えない)。なけなしの二十ドルを払ってダンスフロアにやってきたダンサーたちを決して失望させるわけにはいかない(手ぶらで帰らせるわけにはいかない)。夜遊び感覚でクラブにきているのはまばらにいる欧州や日本からの年若い(へらへらした)観光客たちぐらいで、ほとんどの現地の常連の人々は音楽やダンスへの愛を確認し自らの人生を生きるためにその場にきているようであった。ただし、若いゲイ・ボーイズだけは恋愛のゲームに夢中でとても忙しそうにしていたが。お相手の臀部に背後から自分の股間を押し当てたり擦り付けたりと露骨に性愛に直結したダンスを楽しむ彼らの姿を目の当たりにして、生々しいほどの人間の臭みや蘞みを実感したり、基本的にはゲイ・クラブから発祥したダンス・ミュージックのカルチャーに、こちらがお邪魔させてもらっているのだということをあらためて痛感させられたりもした。
シェルターは、ただの週末のダンスのためのクラブというだけでなく、さまざまなことを感じさせられたり学んだりすることのできる貴重な場でもあった。そのダンスフロアにいること自体が、豊かな経験であり大きな学びにもなっていたのだが、ちょっとした瞬間にはっとさせられることも多々あった。そのひとつが、KCCの「ヘヴン」がプレイされていたときのできごとだ。KCCの「ヘヴン」は、ロンドンのダンス・ミュージョック専門レーベル、アズリから発表されていた楽曲で、US盤はクラブと連動して運営されていたインディ・レーベル、シェルターからリリースされていた。つまり、ある意味ではシェルターでのプレイのためにリリースされたシェルターのテーマ曲のような一曲であった(実質的なテーマ曲は、シェルター・レーベルからカタログ番号第一番でリリースされたゲイト=アーの「ザ・シェルター」である。プロデューサーは、ケリ“ケイオズ・6:23”チャンドラー)。そのときにティミー・レジスフォードがシェルターでプレイしていたのは、シェルターからリリースされた盤に新たに収録されていたケリ・チャンドラーによるリミックス・ヴァージョンのケイオズ・ミックス(奇妙なスペリングのミスがあり実際のレーベル面にはコーアズ・ミックスと印字されている)であった。シェルターのダンサーたちにとってはおなじみの定番曲であるのだろう、気がつくと周囲の人たちみんなが楽曲に合わせて一緒にメロディを歌っていた。要するに、シェルターのダンスフロアで「ヘヴン」の大合唱が起きていたのである。これはかなり感動的な瞬間であった。あれほどまでに歌声にあふれているダンスフロアで踊ることは、まさに初めての体験であったから。だが、どうしてあれほどまでに感動的な「ヘヴン」の大合唱となっていたのだろうか。ダンスフロアにいる全員が大声で歌っていたからなのだろうか。しかし、あれほどに巨大なスピーカー群から爆音で、その前に立つだけで全身に音圧を感じるほどにヘヴィなサウンドで鳴らされているというのに、ダンスフロア全体の大合唱状態というものを(その大音量の音の最中にいて)耳にすることははたして可能なのであろうか。プレイされている楽曲に合わせて一緒に歌う、近い場所にいる何人かのダンサーたちの歌声ははっきりと聴こえてくることがあるかもしれない。それでもダンスフロア全体の大合唱というのは、大抵はなんとなくかすかに楽曲の音の彼方から聴こえてくるようなものであり、そうそうはっきりと耳に届くことはないはずだ。しかし、「ヘヴン」の場合は、本当に大合唱であったのである。不思議なことに。あれはなんだったのだろうと、あれこれ考え続けた。すると、考えれば考えるほどに、あれはそうなるべくしてそうなっていたのだと思わざるをえなくなってくるのであった。つまるところ、ケリ・チャンドラーによるリミックスが、そうした事態を可能にしていた第一の要因だったのではなかろうか。シェルター盤のリミックス・ヴァージョンは、非常にシンプルな作りで、良くも悪くもすごくスカスカなのである。一般的にスカスカな作りであると音楽的にはちょっと物足りなさを感じてしまうということもあるのではなかろうか。あちこち隙間ばかりがあってぽっかりと深淵が覗けているような音楽を聴くと、ちょっと不安な気持ちになったり、それがまだ未完成の状態なのではないかと訝しく感じてしまう人も少なくはないだろう。だが、ここで問題となってくるのは、音(音響・音像)そのものに関してのことなのである。シェルターでは、このスカスカな音のつくりのケリ・チャンドラーによるリミックス・ヴァージョンが壁面に立ち並ぶ巨大なスピーカーから猛烈な音量でプレイされていた。ごつごつとした巨大岩石を打ち下ろすかのような四つ打ちのビートのシンプルな反復からなる強烈な重低音の波が、ダンスフロアの床面をぶるぶると震わせるように響き、ステップを踏むダンサーたちの足元から腰に絡みつくように下からの音圧の圧迫感をもって迫り上がってくる。そして、頭上にはまるで竹に斧でも入れているかのような鋭くぱきんぱきんに乾いたクラッピングの音がリズミカルに飛び交い、細やかなリズムのシンコペーションを刻むハイハットがちりちりとした破片の尾をひきながら降り注いでくる。控えめなトーンのキーボードによるジャズ・フレイヴァーをたたえたリフとふわふわとした上物のシンセの反復フレーズが、際立つ重低音と高音の背景に静かに流れ続け、所々にピアノによるバッキング伴奏がつくパートがあってシンプルな構成にメリハリをつけたり要所を締めたりしている。音の像としては下と上に大きく偏った配置となっているが、それゆえにぽっかりと空白地帯になっている真ん中の帯域で「まだきみは知らないだろう、本物の天国(楽園)を見せてあげたいんだよ」と繰り返し切々と歌われるヴォーカルが、ちょうどダンサーたちの耳の高さあたりではっきりと浮き立って聴こえるようになっているのである。そして、このサウンドの音構造によって、楽曲のヴォーカルとともにダンスフロアでダンサーたちが一緒に歌っている声もよく聴こえてしまうということになっているのではないか。ちょうどよい高さで、人間が発する声を遮るいずれの楽音もその周辺で鳴り響いていないために、このようなことが起きるのだろう。シェルターのサウンドシステムの特性を最大限に活かす下の低音と上の高音を大きく分離させて鳴らす音作りは、おそらくケリ・チャンドラーが狙ったものであったはずだ。だが、それがダンスフロアでダンサーたちが一緒になって歌う声がよく聴こえるようになるという副次的な効果をももたらすことになるところまで前もってリミキサーが計算し尽くしていたのかは定かではない。だが、あのシェルターのダンスフロアでダンサーたちが感情を込めて「ヘヴン」を大合唱するのを耳にしてしまったものにとっては、それがまさにえもいわれぬような感動をもたらす経験となっていまだに脳裏にこびりついてしまっている。あの瞬間に、シェルターはやっぱり違うなと骨身にしみて思い知った。それに「ヘヴン」の大合唱をダンスフロアで聴いたのも、後にも先にもあの第一期シェルターだけであった。ただ、こんなふうに文字だけで書いていたとしてもシェルターのものすごさはちっとも伝わらないであろうことがちょっぴりつらい。それでも、あのダンスフロアでの感動や高揚の何百万分の一の何かでもいいから書き残せておけたらよいかなとは思う。スカスカでいいのだ。目一杯に詰め込みすぎると逆に聴こえてこなくなるものがある。真の感動とは余白にこそ生ずるのだ。

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