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川はどこへ行った

川はどこへ行った

春の日の午後。近所の通りを歩く。やわらかで明るい日差しが、のどかにそこら中に降り注いでいる。住宅街の中を横切るように走る真っ直ぐの道路を東へ西へと車が行き交う。通りの向こうから自転車が走ってくる。通りを渡って、こちらへ向かって走ってきて、そして通り過ぎてゆく。終点の車庫に到着した路線バスを降りて、通りを歩き出す人々。その人たちとすれ違って、バス乗り場へと向かって歩いている人々。通りの向こう側へと信号を渡る人々と通りのこちら側をこちらへと向かって歩いてくる人々。横断歩道を渡って、狭い十字路を横切って、曲がり角を右折して、曲がり角を左折して。車庫の裏の高いブロック塀のすぐ脇の道には、近所のスーパーマーケットに買い物にゆくおばあさんが歩いている。賑やかな商店街では、学校帰りの女子高生が集団でだらだらと歩いている。カラオケ店の前では、子供たちが料金表を見上げている。
だが、ふと思うことがある。本当に生きている人間は、どこにいるのだろうかと。人間の居場所というのは、どこなのであろうか。ここはもう、人間のための場所ではないようにも感じられてしまうのだ。人間が生きる場所というのは、こんなにも人間味が希薄な場所であっただろうか。ここにいるのは、はたして本当に人間なのであろうか。生きた人間は、どこに行ってしまったのだろうか。誰かに問いかけてみたい気持ちになる。だが、いったい誰が生きた人間の行方を知っているのであろうか。そして、ここにいる人間たちに、それが分かるのだろうか。ここにいる人間たちは、あまりにも人間らしさが希薄であるように見える。まるで、生きた人間に対する興味などは、これっぽっちも持っていないように見える。
ここにいる人間(らしきもの)たちの大半は、もはや人間などではないのかも知れないと考えてみる。人間として生きている人間なんてもう、ほんの一握りのみで、それ以外は人間らしく生きているだけの人間もどきか何かなのではなかろうか。もしくは、もはや人間もどきとも呼べないような別の何かなのではなかろうか。そこにいる、人間らしきものたちは、基本的に、すっぽりと魂が抜かれてしまっているようにも見える。
はたして、それは誰かに抜かれてしまったのだろうか。何かの拍子に自ら引き抜いてしまったのだろうか。最初から魂が込められていなかったのであろうか。それとも、最初はもっていたのだが、どこかに置き忘れてきてしまったのだろうか。もしくは、自分の中にある魂というものの存在に気づかずに生きているのであろうか。自分の中の魂には気づいているが、それに触れることは、人間にとって害悪か罪悪であるかのように思っているのであろうか。最初から魂などというものとは無縁の、本当に空っぽなものたちであるのだろうか。
魂の抜けてしまった人間は、もはや人間とはいえないのではなかろうか。ただ、魂の抜けた人間もどきでも、人間のような顔をして変わらずに日々の生活を生きることはできる。だが、それはただの腑抜けた生き方でしかない。
魂が抜けているからなのか、腑抜けだからなのか、人間らしさが失われてしまった人間というのは、見ていても人間らしい温もりのようなものがまるで感じられない。実際に面と向かって話してみれば、そこに人間らしさを感じることや人間らしい温もりを感じ取ることもできるのだろうか。だがしかし、目の前を何も言わずに行き過ぎてゆく人々からは、そうした部分は全く感じ取れないのである。おそらくは、そんな風に思っている自分もまた、そこに居る人々からは、そのように見えているのであろう。何も言葉を交わさずに行き過ぎてゆくものたちにとっては、自分以外の誰もが魂が抜けた全く温かみの感じられない人間に見えているのであろう。人間が人間からとても遠いものとなってきている。それが現代という時代の特徴なのであろうか。これから、その隔たりはもっともっと大きくなり、どんどんと寒々しい時代となってゆくのであろう。

だが、いつの時代もそうだったのだろうか。百年前や二百年前も、ここには同じような景色が広がっていたのだろうか。今から百年ほど前のこのあたりは、自動車などほとんど走っていなかっただろう。それでも、街中へ買い物に行く人々などは、あちらへこちらへと赤茶けた土の道を行き来していたに違いない。室町時代に地域の中心部に城が築城され、江戸時代には城下町として栄えた市街地の北の外れあたりには、おそらく相当に昔から人間の往来のある東西南北にのびる道が、城の堀の役割も果たしていた川の周辺(江戸時代には江戸の街と物資をやり取りする水運も盛んであった)を中心に存在していたに違いない。そして、その近辺には稲作を行う田んぼが一面に広がり、その中をあぜ道が細々と張り巡らされていたのであろう。大きな農家の周辺には桑畑や竹林なども見られたであろう。青々と草が生い茂ったあぜ道の道端には、水田に水を引くための用水路が走っていたはずである。現在は自動車が行き交う幹線道路になっている道にも、かつてはそこに川が流れていたのではなかろうか。交差点の信号付近には、かつてそこに橋がかかっていたのではないかと推測させる痕跡を残している場所もある。横断歩道の手前の歩道の端に、かつては橋のたもとの部分であったのではないかと思わせる石の基礎が僅かに顔を出していたりするのである。だがしかし、引っ切りなしに排気ガスをまき散らしながら車が走り去る交差点を眺めながら、今はもうそこにない大きな石の橋や川の流れを思い浮かべることはそう容易いことではない。
かつては、このあたりの田園地帯の道に、行き交う自動車の騒々しいエンジン音などは一切響いていなかったであろう。草むらでは虫が鳴き、用水路や水田では蛙が鳴き、農家の庭先でニワトリが鳴き、頭上には鳥が飛び、耳を澄ませば家の軒先から犬や猫の鳴き声も聞こえてきたかも知れない。近くには日光街道へと繋がる御成街道が、今も水田の真ん中を通っている。おそらく江戸時代の初期から、この付近の道はいくつかの街道を中心にして川を渡る橋などを含めてしっかりと人や物を運ぶ道路として整備されていたのではなかろうか。だが、道はあってもほとんどが田んぼだらけで、人が住む民家はちらほらと数えるほどであったのかも知れない。神社や寺や農家の周りにポツポツと木立や竹林だけが見受けられる、のどかな田園風景の中のあぜ道を歩いている人間は、今ここにいるようなあまり温かみの感じられない人間であっただろうか。見るからに腑抜けのような人間であっただろうか。きっと、今この道を歩いている人間や自動車に乗って行き交っている人間とは全く違う種類の人間が、そこにはいたのではないかと気分的には思いたい。では、その頃にいたような人々は、一体どこに行ってしまったのだろうか。

ほんの二十年か三十年くらい前までは、このあたりもきれいに舗装されている道路のほうが珍しいくらいであった。今では舗装されていないのは、住宅街の中で取り残されている細い小道や路地などの私道くらいのものである。そして、それを見つけるのも、すでにかなり困難なことになりつつある。かつては大抵の道は、踏み固められた土の上にごろごろとした石ころを敷き詰めた砂利道で、時折(市によって?)補給される砂利の色によって道の雰囲気はがらりと変化した。青っぽい砂利が敷かれると道は歴史の教科書に載っていた青銅器のような色になり、赤紫の砂利が敷かれると一面が赤紫色に染まった。夏場は炎天下で砂利はカラカラに乾いて白っぽくなり、道が日光を反射して眩しく見えた。田んぼの真ん中を走る長い年月をかけて踏み固められた土がむき出しになっているあぜ道は、道端に青々と雑草が茂り、道についた二本の轍の間にあるたまに通る自動車にも踏まれることのない道の真ん中の部分にも夏場にはこんもりと草が生い茂っていた。あぜ道の脇の用水路には、蛙やどじょうや蛇、ザリガニなどの多くの生き物が生息していた。夏の夜には一面の田園地帯を棲み家としている蛙たちの大合唱が、異常な音量で高らかに途切れることなく鳴り響き続けていた。子供の頃は、真っ暗な窓の外を眺めながら、夏の夜は毎年ずっとこの蛙たちの声がうるさく響き続けるのかと思っていた。だが、今ではもうぱったりとあの迫力のある大音量は聞こえなくなってしまった。今も蛙の声は聞こえるが、そこにうるささはほとんどない。ほんの二十年か三十年くらいで、田んぼの数自体も劇的に減少した。いつまでも田んぼは田んぼのままだと思っていたが、実はそうではなかったようだ。劇的に減少し始めたのは、ここ十数年ぐらいの間のことであったかも知れない。田んぼは新しい住宅地や集合住宅に姿を変えて、蛙たちが夜通し気持ちよく鳴ける場所はなくなってきてしまった。聞こえなくなってしまうと、あの大音量がとても懐かしくなってくる。そして、田んぼだらけだった田舎の風景も、それほど嫌いではなかったということが、ようやく現実感をもってわかるようになる。
そういったあの頃の思い出を形成しているものたちは、ほとんど全て、この十数年の間に全て失われていってしまった。感覚的には、それは本当にアッという間であった。そこに凄まじいまでの生活環境の変化があったことを、何もかもが無くなってしまった後になってようやく気づく。その間に個々の変化は、個別に静かにあちこちで進行していたのである。少しずつ周辺の見慣れた景色を切り取りながら。あたり一面に広がっていた田んぼは、黒々とした土砂で埋め立てられ次々と宅地に造成されて、似通った建物が並ぶ集合住宅や分譲住宅に景色を変えてしまった。古い空き家は取り壊されて、しばらくその場所はガランとした空き地になっていたが、その後はそのまま駐車場になったり、新しい大きな四角い形をした近代的な造りの家がいつの間にか建っていたりする。今では田んぼは住宅地の狭間にちらほらと残っているのみである。まるで食欲おう盛な虫に食い荒らされたかのように農地は端から真ん中から住宅地に浸食されていってしまった。このままゆけば、あと数年後には、今残っている古くからの田園風景の生き残りも、呆気なく姿を消してしまうような気がしてならない。
デコボコで砂利や土や草だらけであった道は、きれいに舗装されて、平らなアスファルトの道に変わっている。何を作っているのか分からないひっそり細々と稼働していた工場や、まるで城門のような青いトタン張りの入口があったどこかの会社の社宅の長屋や、雑草が生い茂った空き地や朽ち果てたトラックの荷台でトランジスタなどの電子部品のゴミが拾えた廃墟や、子供に怒鳴り散らす怖い老人が住んでいたトタン葺きの古い二階建てアパートなどは、全て失われてしまった。今では何の跡形もない。もう誰も覚えている人がいないようなものも間違いなくあるだろう。みんな消えて無くなってしまったのだ。そして、記憶にも残ってはいない。誰も当時はずっと残しておきたいなんて微塵も思わなかったものばかりなのだろうが、全てがなくなってしまうと、とても懐かしく思えてきたりもする。そして、家の近くに流れていた小さな川も、今では暗渠化されていて、車線はないが自動車がすれ違って走れるほどの広さの道路の下に埋められている。

みんな消えてしまった。消えてしまう運命にあるものは、何もかも呆気なく消えてしまうのである。そして、消えて無くなってしまったものは、もう二度とは戻らない。全てのものは、いつかは消えてしまう運命にある。今、この道を歩いている人々のうちの大半は、ここにかつて川があったことを全く知らないだろう。今、この道を通っている車を運転している人は、ここにかつて川が流れていたことに気がつくだろうか。そして、この道路の下に今もひそかに川が流れているということを。
あの頃、川に面して建っている家の前には、それぞれに家への出入りに使うための小さな橋が約十メートルおきぐらいに架けられていた。それらの家の玄関は裏手の路地に面した場所にあり、そちらが正式な出入り口であった。だが、そうした南向きの家の前には庭があって、その庭先に二メートルほどの川を渡る小さな橋が日常的に使う出入り口として別に設えられていたのである。そんな光景が、この舗装された少し広めの道路が通っているその場所に、かつて現実に存在していたのである。もう何もかもが跡形もなく消えてしまっているし、誰もそんな頃のことを普段は思い出しもしないだろう。
ただし、あの地下に消えてしまった川のことをあらためて思い返してみると、失われてしまったものは、その当時の川と橋のある景色だけではないようにも思われてくる。そこに居た人の中には今ではもういなくなってしまった人もいる。すでに亡くなってしまっている人もいるし、転居してしまった人もいる。だが、それ以上に、この道を歩いている人間そのものが、その景色とともにガラリと様変わりしてしまったように感じるのである。
かなり昔の子供の頃のことになるが、川沿いの道を歩くときには、いつも決まって砂利道の小石を蹴って、そのどぶ川に何個も勢いよく片っ端から落としていったものである。小学生ぐらいになると放課後にバス通りのある上流のほうから発泡スチロールや木切れなどを船に見立てて流し、同級生や近所の子供たちと一緒になって川の流れに沿って移動しながら小石を投げて小舟を攻撃するという遊びを、全く飽きることなく日が暮れてあたりが暗くなるまで何回も何回も繰り返していた。川の存在は、常にとても身近なものとしてあった。自転車に乗り始めた頃には、川沿いの細い道を通るときにバランスを崩して何度も自転車ごと横倒しの状態で川に転落した。とても身近なものであったどぶ川には、川と道を隔てる柵もフェンスも何もなかったのである。当時は、それが普通で当たり前のことであった。その川は、水田に水を供給するための用水路のひとつとして人々が次々とそこに住み始めて住宅街を形成してゆく前から、ずっとその場所に流れていたのだろう(家の近くには、田植えの時期に用水路をせき止めたと思われる堰の跡が残っていた。両岸に水をせき止めるための木の板を差し入れたのであろうコの字型のくぼみのある粗いコンクリートの壁面にうっすらと「深町堰」という文字が見えていたのを今でも記憶している。かつては、この界隈を深町といったようである。もしかすると、近くにとても深い沼などがあったのかも知れない)。それゆえ、誰もそこに川があることに対して何ら異質なものを感じていなかったのではなかろうか。川は、人々の日々の生活のとても身近な場所を流れていた。その身近さとしっくりと土地に馴染んでいる存在感ゆえに、川と生活の場所を柵やフェンスで隔てるなどという発想は、誰にとっても全く思いもよらぬことであったのであかろう。
小さい子供だけに限った話ではなく少しでもバランスを崩せば、すぐさま川に落っこちてしまう大変な危険が、実際にそこにはあった。周辺の大人や子供たちの毎日の生活に密接した、とても身近なところに。だが、そうした危険と直面することを防ぎ事故を防止する柵やフェンスもなく、それはむき出しに大きく開放されたまま、チョロチョロチャパチャパと毎日かすかな水音を立てて流れ続けていたのである。だが、日常の生活の近くにあった危険は、別にどぶ川だけに限ったことではなかった。何を作っているのかよくわからない古い工場は、川底が変に明るい茶褐色に変色するような排水を敷地の裏からどぶ川に垂れ流していたし、ボロボロになったトラックの荷台に山積みにされたままの工業廃棄物が放置されている廃墟もブロック塀を乗り越えて探検をする子供たちの格好の遊び場となっていた(そこに忍び込んで荷台を漁っては道路や壁にイタズラ書きををするための壁材や天井材の欠片の中の石灰の固まりを探していた)。
また、怒りだすと猛烈に怖くなる手の指が一本ない昼間から酒を飲んでいる白髪の老人は、通称マンガじいさんと呼ばれていた(おそらく第二次世界大戦の復員兵であったのだろう。よく戦争のことを話していたように記憶している。戦地で指を失い過酷な体験をし戦後の日本に馴染めずアルコールに溺れる。今から考えるとまさに絵に描いたような戦争の犠牲者のひとりであった)。機嫌がいいと古ぼけたアパートの前に座って、コンクリートに白墨で様々な絵を描いては、集まった子供たちを楽しませていた。だが、子供たちが少しでも癪に触るようなことを言うと態度を豹変させて、失礼なことを言った子供たちを鬼の形相で走って追い回した。だが、そんなマンガじいさんの姿も中学生ぐらいになる頃には全く見かけなくなってしまった。そのうちに青いトタンで被われた二階建てのオンボロのアパートも取り壊されて、全くマンガじいさんのことなど思い出すこともなくなってしまった。その存在すら忘れ去ってしまったといってもよいだろう。あの頃の子供たちと対等にやり合っていた今ではすっかり忘れられてしまった危険な老人たちは、どこへ行ってしまったのだろうか。
まだ下水道がほとんど整備されておらず、生活排水や工業廃水が垂れ流されていたどぶ川の川底には、川の流れにゆらゆらと漂う灰色や黒色のヘドロがたっぷりと溜まっていた。自転車で川に落ちると、一瞬で服は真っ黒に汚れた。どぶ川は独特の川の水の匂いもしていたように思う。だが、今となっては、あの川がどのくらい汚れていたか、子供が遊び場にするにはどれくらい危険であったかを、あまりハッキリと思い出すことはできなくなってしまっている。細い用水路のヘドロの下に隠れた蛙を素手で捕まえていたその手で、家に帰っておやつのお菓子を食べたりしていたのだから、今から考えるとよく病気にならなかったなという気はする。しかしまあ、多くの生き物が棲息している場所であったので、考えようによってはそこそこきれいな水ではあったのかも知れない。今となっては、どぶ川の匂いなどの感覚を細部にいたるまではっきりと思い出せないことが、とてももどかしく悔しかったりもする。

台風が来たり大雨が降ると簡単にあふれてしまった川をはじめとして、身近な場所にごろごろ転がっていた得体の知れないものや危険なものは、次々と目の前の景色から音もなく消えていった。まるで、薄汚れた小汚いものを排除し、邪魔な目障りなものを切り捨ててゆく、何らかの大きな意志の力がそこにはたらいていたかのように。目に見えていた危険の種が取り除かれて、日常における安全が少しばかり安定して約束されるようになったことで、人間の生活はかつてよりもよりよいものとなったのであろうか。人間が安全に安心して暮らせることは決して悪いことではない。人類の歴史とは、安全で便利な暮らしを求めて、それを振り絞った知恵や技術によって実現してゆくことで発展し、ダイナミックに動いてきたともいえるであろうから。
あまりにも危険すぎるものは、人々の生活に支障を来す怖れが大いにある。ゆえに、できるだけすみやかに排除されるべきだと考えられるようになる。だが、そうした日々の暮らしの中に少しでも多くの安全を確保してゆく方向へと向かう動きは、合理や公理の正当性を獲得する方向性としっかりと結びつきやすいがために、一旦動き出してしまうと、なかなか(ちょうどよい頃合いで)止まる位置を見つけ出せなくなってしまう。その運動は、どこまでいっても完全な安全を確保し約束することはできないであろうから。そして、そうした止まることを知らぬ動きの中で、次々と人間の生活の周辺に無造作に転がっていた大小の危険の種が目に見えて減少してゆき、大昔から人間が日々の暮らしの中で常にもっていた(無意識的に意識していた)危険や危機へと備える感覚や危険や危機とともに生活する感覚といったものまでが(周囲の環境の変化によって少しずつ)希薄になっていってしまった面も、確実にあったのではなかろうか。
川沿いの狭い小道を自転車で走ろうとする子供には、もう二度とバランスを崩して自転車ごと川に落ちないように気をつけようとする、無意識のうちの注意の感覚が頭にも身体にも働くようになるだろう。それによって、小さいうちから自転車を巧みにブレずに操縦して乗りこなす技術が、身近に川がない環境で自転車に乗り始めるよりも、もしかすると早めに発達することになるのかも知れない。川が暗渠化された上の道路を歩いたり自転車で移動する際は、そうした感覚は全く必要とされない。せいぜい走ってくる自動車に轢かれないように気をつけるくらいだろう。それは、無意識のうちに川というものの危険性を感覚していなくてはならない生活環境での感覚の発達とは大きく異なるものとならざるを得なくなるはずである。
川がもたらす危険は常に頭のどこかに意識されている危険ではない。だが、それは常にずっとそこに静かに潜むように存在している危険を忘れないようにする感覚を人々の頭の中に植え付ける。走ってきて走り去ってゆく自動車がもたらす、それが目前に現れたときに目に見ること(意識すること)のできる危険とは根本的に違う危険が、そこにはある。それは、流れるどぶ川が立てるかすかな水音のように、近づけばいつでも微かに耳に聞こえてきて、川がそこにあることを無意識のうちに意識させるのと同じように、頭や身体で皮膚感覚的に(無意識下で)感覚されているものである。それこそが日々の生活の間近でむき出しに流れ続けていたどぶ川を見て感じることの出来ていた危険の形であり、ほぼ本能的な形式で養われ(続け)ていた自らの身を守るために安全へと身構える感覚であったのだ。
危険の芽を摘み取り安全な日常に暮らしている人間が、危機と隣り合わせに生きていた時代の人間と比較してダメになってしまったとか、何かしら劣っていると言いたいわけではない。だが、かつてここに川があった頃にいたような人々は、川が暗渠化されて地上の世界から消えてなくなってしまったように、この景色の中からいなくなってしまったように感じられるのである。もしかすると、あの頃の人間たちもまた川と一緒に暗渠化されてしまったのではなかろうか。かつてここにいたような人間は、どこか見えないところに隠されてしまっているのかも知れない。人間は人間であり、今も昔もそのことに変わりはない。それならば、あの頃の人間は今も変わらずにどこかにいるはずなのではなかろうか。ただし、今も変わらずにいるものの、薄汚れた小汚いものを排除し邪魔で目障りなものを切り捨ててゆくように、ここにある景色の中では見えなくされていて人目につかないところに除けられてしまっているのかも知れない。
しかしながら、人間そのものが、時代の変化の中で変わってしまうということもまた、全くないことではないのかも知れない。それだけ急激な時代の変化が、わたしたちの身の回りでは現実に巻き起こっている。人間そのものが変化してしまったのか、人間の人間らしさの部分が隠されてしまっているだけなのだろうか。日々の生活の身近なところにあった景色が急速に変化していったように、そこにいる人間を取り巻くものが変化していったことに対応してその内面の感覚も急速に変化していってしまうのであろうか。それとも、それらは排除され切り捨てられて、地下の目につかない場所に押し込められているだけなのだろうか。

ただ生きるだけのことであれば、そんなことは人間でなくてもできるだろう。虫も鳥も蛙もどじょうも犬も猫も、それぞれに思いきり生きてはいる。だが、ただ人間らしきものとして生きているだけでは人間とはいえなくなってしまうのが人間というものの摩訶不思議なところである。人間は思いきり生きることをやめることで人間となり、長い年月をかけてより人間らしく振舞うための人間らしさを培ってきた。しかしながら、その人間らしさには、これまで地球上で思いのままに振る舞ってきた人間の思い上がりや勘違いといったものも多分に含まれているように思われるのである。もしくは、人間もどきによる思いきり見当違いな思い上がりであろうか。この地球上には、人間ほど生きることより死ぬことを気にかけて生きている生き物はいないのである。人間は、思いきり人間として生きようとして人間となったのではなかっただろうか。それとも人間の死という人間にとって最も危険で過酷な運命を目の前にしたことで、思いきり思い上がりや勘違いをするようになってしまったのであろうか。あの生に満ちていたころのことを、人間はもう一度思い返してみることができるであろうか。
今、生きていることをそこそこ実感できている人間とは、誰であろうか。12年12月の総選挙の結果を受けて自民党政権が打ち立てられて僅か三ヶ月ほどで何となく景気回復の兆しが感じられるようになってきたと喧伝する、アベノミクスの恩恵を一番最初に受けることになる職業や階層や圏域に生きる人々が、それにあたるのかも知れない。いわゆる、この社会の中で真っ当に生きていると(この社会によって)認められていて、本人もそれを自負できている(であろう)人々である。ただし、この(特殊な/特異な)社会以外においては、それが真っ当な生き方として認められるという保証はどこにもない。
そして、そうした階層よりも下の位置に生きるものたちは、すでに現行の社会において真っ当に生きている階層からは完全に見下されたところに生きるものとされており、もはや(真っ当な)人間ではないものに分類されている可能性は極めて高い。そんな人間ではないものたちは、毎日ひたすらに上のほうを見上げて、何か(有り難いもの)が降ってくるのを今か今かと待ち構えている。足を止めて、ただその場に突っ立って、空を見上げて両手を広げている。そんなものたちが、人間ではないと見なされている可能性は、かなり高い。要するに、いつ降って湧いてくるかわからない(いつか必ずあると誰かが言っていたはずの)トリクルダウン効果の恩恵にありつこうと待ち構え続けている、もはや人間と呼ぶのも憚られるような浅ましいものたちと見なされているということである。
では、そうした無慈悲な裁定は誰によってなされ誰がそれを認定しているのであろう。それは、特定の誰かによって色分けされ決定されているのものではない。社会のシステムが、そこにくっきりと現れ出てくるヒエラルキーの位階に沿ってあっちへこっちへと振り分けているだけなのである。そこでは、人間とは、人間らしい生活を過ごせる場所に(しがみついて)いられるものだけに該当する特定の種族(種)の名称ということになる。そこに生きる人間だけが、優先的に人間らしく生きる権利を手に入れることができる。生きる権利を手にできるということは、それに付随する物質的な豊かさも優先的に手に入れられることを意味する。
その人間らしい生活から無惨にもこぼれ落ち、その場所から溢れてしまっているものは、すでに(現実的には暗々裡に)人間としては認められてはいない。だが、どんなに人間とはかけ離れた扱いや認識をされていたとしても、人間は全ての人間が平等だと(盲目的なまでに前向きに)信じ込むことができでしまうのである。ほとんど宗教的といってもよい民主主義的な思考こそが全ての人間に本来的に備わっているものだと信じ込んでいるものも少なくはない。ただし、そこにあるのが誰かに明確に決定された徴付けではないからこそ、社会そのものが形成する位階による階層と格差は、非常にぼんやりと深く浸透して存在してしまうものでもあるのである。ぼんやりとしているが極めて確実に、それはそこに見えないバリアのように階層を分け隔てて立ちはだかり続けている。
ひとつの巨大なシステムへと成長した社会は、効率的に動いてゆくために階層と格差を必要とする。そして、その社会は効率的に動くために社会が全てのものの平等の上に成り立っていることを様々な民主的なイメージを狡猾に駆使することによって人々の頭の中に刷り込み、ひとつの大きな見せかけのまとまりへと(見せかけの全員を)包摂してゆく作業を貫徹するのである。そのイメージの矢に射抜かれることによって、人間たちも人間でないものも、どこまでも社会の平等(よりよき社会/そのすぐ先にあるここよりもっとよい社会)というものを信じ込むことができる(社会システムが推奨し掲げる偽りのアナウンスメントが、マス・メディアを通じて毒ガスのように拡散されてゆく)。
しかし、人間たちと人間ではないものが平等であるはずなどないのである。人間でないものが、すでに人間として人間らしく生きることが許されていないことは、少なくともはっきりと目に見えているはずではなかろうか。空に向けて広げた手の中には、いつまで経っても何も降ってはこないことを一番よく知っているのは、実はそこにいつまでも突っ立っている当の本人なのではなかろうか。
人間らしい生き方のできないものたちの場所からは、人間たちのいる場所をはっきりと見通すことはできない。だが、人間というものは、(本来的に)こうしたところとは全く違う場所にいる(はずのものである)ということだけは分かっている。その反対に、人間たちもまた、この人間らしい生き方のできないものたちの場所における、全く人間らしさから見離されている生き方について、その実像を見通すことも想像することもできないのであろう。それほどまでに、人間と人間もどきの間の距離は、(社会が投げかける大きな平等という観念の中に巧みに包み込まれていながらも)現実には大きく隔たってしまっているのである。

すっぽりと魂を抜かれてしまった、まやかしのものたちがひしめき合う中で生きる。もはや、誰にもそれがまやかしであるかまやかしでないかを見抜くことはできない。それを見抜こうとする目もまた、すでにまやかしの見方しかできなくなってきてしまっているから。まやかしの世界は、底なし沼のように深い。まやかしを見抜こうとすればするほどに、まやかしを疑えば疑うほどに、その深いまやかしの渦の奥底へと落ち込んでいってしまうことになる。
まやかしのものの生は限定されている。それはとても小さな領域の中でのみ本物らしく通用するものである。だからこそ、それはまやかしなのである。まやかしの目によって人間もどきを見る人間らしく生きられないものたちは、あまり周囲を見通せず、その本質を見抜くこともできないがために、そのまやかしの限定性の中でまやかしのものをやりとりすることで満足し、それが人間もどきたちには手の届かない人間らしい生き方であると簡単に錯覚してしまう。実際には、それは本当の人間らしさの足許にも及ばないものであるにも関わらず。だがしかし、それがまやかしのものであったとしても十二分に満足できてしまうほどに、人間(もどき)の人間らしさを感覚する容量は、とてもとても小さく貧しいものになってしまっているのである。
もはや人間の目はまやかしの見方しかできなくなっているので、あまり周囲を見通すこともできず、その本質を見抜くこともできない。まやかしの見方で把握することのできるまやかしの限定性の中で、まやかしのものをやりとりすることで満足し、それが人間らしい生き方であると簡単に錯覚してしまう。実際には、それは本当の人間らしさの足許にも及ばないものであるにも関わらず。だがしかし、それがまやかしのものであったとしても十二分に満足できてしまうほどに、人間の人間らしさを感覚する容量は、とてもとても小さく貧しいものになってしまっているのである。

目に見えないものが、何かを動かしている。目に見えないものによって、何かが沸き立って動き出しているのを感じる。目に見えない実体のないものが、世の中の空気や時代の気分を動かしている。空気や気分もまた、目には見えない実体のないものである。だがしかし、それによって動かされている側としては、元々背後から後押しするものの実体は見えないものであることが大半であるから、それが目に見えるものであろうが目に見えないものであろうが、その実態が何かということに関しては大して真剣に答えや意味を見出そうとはしていなかったりする。それは、目に見えないものであるはずなのに、空気や気分の動きのようなものとなって、実際にそこにある何らかの力をもつものであるかのように作用し背後から後押しをして多くの人間を動かしてしまうのだ。そして、そんな何だかよくわからない空気や気分を形成する目には見えないものによる後押しであればこそ、そうしたまやかしのものによってでさえも大きな集団がいとも簡単に突き動かされていってしまうという状況も起きてくるのである。
ただ、目には見えない得体の知れないものが何らかの影響力を及ぼし、何らかの作用をもたらして、ここにあるものを実際に動かしているというのは、非常に不気味なことでもある。目には見えないものということは、実際にはそこには何もないのかも知れないのである。そこに何かがあると誰が確信をもって言い切れるであろうか。実際、そこには空気や気分を醸成する強大で強力な過信以外のものは何もないのかも知れない。何もないのに、どうして動くのか。それは人間の集団に浸透し凝結した何らかの(まやかしの)上昇や先進の運動をともなう錯覚・錯誤の指向/思考によって、ほとんどの人間は恒常的に動かされているからなのであろう。周囲に漂う空気や気分によって何らかの後押しをされているかのように感じて、外部からの何らかの力を得たような気分になり、そのことを信じ込むことによって自分から動き出してゆく。まるで夢遊病患者のように。
何らかの影響や作用を受けて動いていたはずなのに、そこにあると信じ込んでいたものには全く実体がなく、それを盲信することで突き動かされていただけなのだということが判明したとき、その途方もない空虚さを人間は受け入れることができるであろうか。それとも、なかなかそれを受け入れられずに目を瞑ったまま、ただただ流され続けるのであろうか。そのあたりの集団心理の現出の方向性によって、その先の全ては決まってくるのかも知れない。そこではそこにいたるまでに導き出された結果こそが判断の基準となってくるのであろう。とにかく、何らかのものによって少しでも動いたことをよしとするのか、実体のないものに踊らされていたことにひたすらに愕然としてしまうかだ。そして、全ては足許から大きく揺らぎ、大きな陥没や落ち込みが出現し、さらに山と谷の地形の険しさは増し標高差も大きくなるだろう。しかしながら、それがまやかしのものによる動きであっても、実際に少しずつでも動いているうちは、やはり冷静に判断することなどはできないものなのである。
そこにあると思われている、ある種の何らかの原動力のようなものに、おそらく実体といったものはない。目に見えないものが、どうして何かを動かすことができるのか、といった次元ではなく、目に見えないもののほうが、どうしてよりよく何かを動かすことができるのか、といったことにあらためて驚かされる。人間は、とても空気や気分に流されやすい。実体がないようなものに、あたかもそこに何らかの実体があるかのように意味付けや背景付けを行い、それがそこにあるのだとてっきり思い込む。そうした芸当がとても得意なのだ。それが目に見えているか、見えていないかは、関係ない。目に見えていないもののほうが、より完璧な実体をもつものとして勝手に肉付けや装飾を施してイメージしやすい面はあるのかも知れないが。自分の目で見て自分の耳で聞くことすらを忌み嫌う、極めて周囲の動向に流されやすい人間にとっては、そうした真しやかなイメージを鵜呑みにしてしまうことのほうが、自らの頭を使ってそのものの確実性を確かめるという手間がいっぺんに省けて非常に好都合であるのかも知れない。

平均株価が上昇しているというニュースを耳にしたのは、どれくらいぶりのことであっただろうか。ぐんぐんと上昇を続ける株価は、08年9月のリーマン・ショック以前の指数を遂に回復するまでになった。一体、何が起きているというのか。まだ、何も起きていないうちから、市場は敏感に反応していた。そんな勝手に発火して燃え上がっている市場の動きが大きなニュースとなって、瞬く間に巷を駆け巡っていった。そのニュースに心が浮き立つような思いをした人も少なくなかったに違いない。だが、それとは反対に、どこか遠い国のニュースのように感じた人も決して少なくはなかったのではなかろうか。だがしかし、当の株価そのものは、どこかにいる人々の浮き立つような思いに後押しされているのか、さらに空前の上昇傾向を継続している。
全ては衆議院選挙以前に次の自民党政権が成立することへの期待感から、ゆっくりと円安の動きが加速し始めていたころからすでに始まっていたのである。それまでは1ドルが75円台にまで達する超円高時代が常態化していたが、政権交代による金融緩和の足音が聞こえ出すとともに一気に円安へと転じてゆくことになる。そして、総選挙での自民党の大勝利と安倍内閣の成立から二ヶ月も経たぬうちに、1ドル95円台という水準にまで円安傾向が猛烈な勢いで突き進んでいった。円相場が大きく動き、それが株価に反映され、(外国人投資家たちの動きに煽られて)投資家たちが色めき立ち、マネーの売買という目に見えないものがやり取りされ、金融緩和に端を発する大きな経済の動きがさらに加速してゆくようになる。そんなものが加速したところで、相場や株取引とは縁遠い何も持たぬものたちにとっては、全く無関係な話でしかないだろう。それは、あちこちに動かせるものが溢れかえっている場所でのみ動きが慌ただしくなっていたというだけのことなのだ。
加速する円安傾向の恩恵を真っ先に受けたのが、日本が世界に誇る「ものづくり」の精神を象徴する輸出関連の産業に携わる世界的大企業であった。世界に製品を輸出する大企業は、相場の動きとともににわかに息を吹き返し始めた。円安のレートが進むだけで、何の企業努力をしなくとも/何も画期的な新製品を売り出さなくとも、ただ今まで通りのことをしているだけで、日に日に利益が増大してゆくことになるのである。これほどまでに大企業にとっておいしい話はないだろう。目に見えないものが動き、ただそれだけで何千億もの大金が懐に飛び込んでくるのだから。笑いが止まらなくもなるはずである。アベノミクス万歳を何度でも三唱し、このままずっと自民党政権が安定して続くことを切に願うようにもなるだろう。そんな血のめぐりが一気によくなった大企業からは、次々とボーナスや給与をアップするという景気のよい話が飛び出し始める。しかし、そんなことは、大企業に勤める勇ましき企業戦士以外のものたちにとっては全く関わりのない景気のいい話でしかない。そんな話題をニュースで見ても、大文字の「ものづくり」精神とは無縁の大多数のものたちは、どこか遠い外国での話のようにただ指をくわえてぼんやりと眺めていることしかできないのである。

目に見えないものが頭上の遥か高いところでやり取りされて、そこから溢れ出た余剰の部分を原動力として動いている(あやかしの)世界。円安と株高の動きに後押しされて好況そうな見かけを装いつつある経済によって支えられている社会。世の中の風向きはアベノミクス効果で何となくよい方向へと向かってゆきそうな予兆に満ちあふれている。目に見えない予兆が人々の気分を高揚させ、何だかよくわからないうちに何だかよくわからない高みへと押し上げる。人間の生産的な生活もあらゆる側面が目に見えないものの動きの中に取り込まれてしまっている。ただただ目に見えないものが、あちらかここちらへ、こちらからあちらへ、止まることなく動き続けるだけだ。
そうした人間の生活や社会や世の中の動きの中では、確かなものは、ほとんどなくなってゆくことになるのであろう。実感のあるものほど厄介なものとなり、そうした何となくいい感じな動きの中では少々重すぎて敬遠されてゆくことになる。全ては、実感がないからこそ円滑に効率的に動くのである。人間は、その重さゆえに、そんな世の中の一員であるという実感すらもてなくなってゆく。もしかしたら、自分は、この世の中の一員として数えられてはいないのではなかろうか。そこにある全ての動きから除外され排除されているのではなかろうか。なぜならば、ここでは、全てにおいてやることなすこと実感めいたものが伴ってはいないから。
日常の生活の中のどんな瞬間においても、全ての活動に対しての手応えといったものが希薄になっていってしまうのは、いかなる動きも目に見えないものに媒介されて牽引されて誘導されているからにほかならない。大きなものから小さなものまで、全ての動きは、どこかぼんやりとした全てを見通すことのできない領域の中での動きに合わせて動作している。
目に見えないものに圏外はない。それは、どこかの領域の中だけにあるものではないから。目には見えないものであるだけに、どんなに遠くにあるものでも、(遠いままに)近くに引き寄せてしまうことができる。実際には、これは、遥か彼方のものを近くに感じるだけのことである(見せかけの近さ)。だが、それはぼんやりと感じることしかできないものであるので、近さや遠さといった距離感覚はそこでは大した意味をもたなくなっている。(ぼんやりとした)あるかないか、(ぼんやりとした)感じられるか感じられないかが、そこでは全てとなる。目に見えないものであるから、誰にとっても非常に漠然としたまやかしのもののような感触しか伝わっては来ないのだ。そんな極めて漠として不安を与えるものであるはずの目に見えないものが、そこに感じられるという微かな感触をもたらしてくることで、大きな安心を約束する役割を果たしてしまったりするのである。

本当に、目に見えるものよりも目に見えないもののほうが、信頼できるのだろうか。目に見えないもののほうが、目に見えるものよりも、格段に面倒臭くなく扱いやすいという部分は確かにあるのだろう。目に見える現実にあるものとは、どうも信頼できないものであることのほうが多い。隣人など身近なところにいる人々でさえも、日常の生活の中で多少の接触はあったとしても完全に信頼しきれる存在であるとはいえないものである。大きな危機のときに自らのもつ大切なものを何か犠牲にしてまで救いの手を差し伸べてくれる隣人が、一体どれくらい居るであろうか。自分は社会の中で真っ先に見捨てられる存在であろうと思えてしまう人間は、決して少なくはないはずである。
それならば、目には見えないけれど、どちらかといえば信頼のできそうなものに気持ちが動いていってしまったとしても何ら不思議ではない。だが、それは目に見えないものであるだけに、本当に信頼に足るものであるかどうかなんて(どこまでいっても)見定めることはできないのである。さらには、それがどこにあるのかさえも、実際に把握することは適わない。目には見えないし、ぼんやりとしか感じられないのであるから。いつの間にかそれがすっかり変わってしまっていたとしても、全く気がつかないということもあるだろう。あまりにも盲目的なまでに信頼しきってしまっていただけに、かなり手遅れになってしまってから、その信頼(の根拠としていたもの)が完全に揺らぎきってしまっていることに気づくこともあるだろう。
まやかしものもがあやかしのものであることが判明したとき、人間はまやかしのものの後押しを受けて上り続けてきた坂道を、ただ勢いよく転げ落ちてゆくだけとなるのではなかろうか。それまで、見て見ぬ振りして登ってきた急な斜面を、ただただ勢いよく転げ落ちてゆく。また新しいまやかしのものが出現して、再び何となく勢いづけてくれる日が訪れるまで。

全てが音を立てて崩れ始めようとしているのではなかろうか。何もなかったところに打ち立てられたものは、いつかは無惨にも倒れる運命にある。そして、そこはまた何もないところに戻ってゆくのだろう。拡張され続ける活動を統括しきれなくなりつつある膨張しきった社会が崩壊し、ゆるやかな隣人たちの結びつきによってギリギリのバランスの上に成り立っていた世界が、脆くも瓦解する。いくつもの崩壊のシナリオが存在するであろうこともすでに明らかだ。こちらが持ち堪えられなくなるか、あちらが最後のコーナーを回るか、どちらが先に限界を迎えるかというだけのことなのである。いずれにしても、運命のときは、刻一刻と迫ってきている。

暗い人間の奥底や暗い土の中に暗渠化されてしまったものを掘り返すことはできるだろうか。元をただせば、誰がそれを埋めてしまったのであろうか。そして、誰がそれを完全に埋めてしまうことを易々と容認してしまったのか。社会が埋めたのか、世の中が埋めたのだろうか、時代が埋めさせたのか、経済が埋めたのか、政治が埋めたのか、安全な暮らしを希求する市民が埋めてしまったのか。結局のところは、人間が自らそれを望んで自らの(自分勝手で独りよがりな)裁断によって決定して(よかれと思って)埋めてしまったのである。
川を埋めてしまえば、そこに小さな子供が落ちて大事故が起きる危険性もなくなるし、夏場になると川の両岸に生い茂る草むらから発生する蚊などの虫も減るであろうし、ゴミが流れてきたり底にヘドロが溜まっているどぶ川の匂いや汚れもすっかり目のつかないところに覆い隠してしまえることになる。それに、その川の流れていたところにそこそこ幅の広い道路ができれば自動車での通行も可能になり、日々の買い物などの生活の中での移動が楽になるし、道路一本でさらに周辺が拓けて活気のある街になってゆくことが期待できるようにもなる(周囲が田んぼだらけの田舎臭い町の生活から人々は抜け出したいと思っていたのだろうか?)。
川が自分から暗渠化したいなどと意思することは決してないであろう。社会も時代も経済も、全てはそこに生きる人間たちが望んで欲望した方向へと突き動かされて変化してきている。一億総中流的な豊かさが広く浸透していた二十世紀後半という時代に、そこでの人々の暮らしのあるべき形として望まれていたのが、日々の生活の近くに流れていた川という(前時代的に匂いのする)自然を暗渠化してしまうことであったのである。田舎臭い田園風景やどぶ川の汚れた水や草むらや虫や蛙は、二十世紀後半の人間の豊かな生活においては、貧しく未開発であった時代の名残りとして極力排除されるべきものでしかなかったのだ。
人間が自分の都合で川を埋めてしまったのだから、人間の手で埋められた川を掘り返すことは可能であろう。だが、そのためには、ここまで目に見えないものに後押しされて動いてきてしまったものを、正反対に動かすための動きを引き出してゆくきっかけをまず掴んでおかなければならない。そんな全ての歯車を正反対に動き出させる莫大なエネルギーを必要とする動きを、今の時代に生きる人間に新たに始動させることが果たしてできるのであろうか。

並行して走る国道とバス通りの間を繋ぐ、ちょうどよい裏道や抜け道となっている、頻繁に車が行き交うあの道を、元の川沿いの小道に戻すことは可能であろうか。もし、そんなことをしたら、あの道は今までのように車では通れなくなり、周辺に住む住民の生活は格段に不便になってしまうであろう。後戻りすることを拒絶する人も少なからずいるだろう(新たにあの道沿いに建った家の住民は猛烈な反対運動を起こすかも知れない)。だが、はたして、それは後戻りなのだろうか。間違って変な方向に進んでしまったのならば、それを修正し微調整することは、決して悪いことでも後戻りでもないはずであるが。しかし、暗渠化は完全なる間違いというわけではないし、身近なところに川がある生活が絶対的な正解というわけでも決してない。あるかなしかの世界では微調整は何の意味も持ち得ない。
いや、ある種の修正を本当に必要としているのは、この社会そのものなのではなかろうか。正常に機能しなくなり、危険のタネとなる怖れのあるマズい部分をサッと暗渠化する応急処置だけを繰り返して、それだけで有耶無耶にして済ましてしまうのではなく、世の中や時代の動きから正反対に遡ってゆくような見直しを丹念に行ってゆくことによって、そこで本当の社会の癌となっている患部もはっきりと見えてくるはずなのである(目に見えるほどの癌とは、とても厄介な癌である)。
何でもかんでも暗渠化して面倒で厄介なものを見ないようにしてきたことは、人間にとって絶対に正しいと言い切れる諸問題の解決法であったのだろうか。そろそろ、あらためて(特に前世紀後半の人類の生き方の正と誤を)検証し直さなくてはならない時期に差し掛かってきているのかも知れない。そのためには、まず掘り返さなくてはならないものを、皆でもう一度見つけ出しておかなくてはならないだろう。暗渠化されてしまった川は、今はもう誰の目にも見えないけれど、きっとずっと変わらずにそこにあり、暗がりの中をひっそりと息をひそめるように流れ続けているはずなのだから。(13年)(14年改)(15年改)

RIVER

09年10月21日、AKB48はシングル“RIVER”をリリースした。これは、06年にデビューしたAKB48にとって14作目のシングルであり、この楽曲でAKB48は初のオリコン週間シングル・チャートの第1位を獲得している。秋葉原の専用劇場のステージから活動をスタートさせたAKB48が、メジャー・デビュー曲“会いたかった”でブレイクし、約三年の年月をかけて遂にヒット・チャートの頂点にまで登り詰めていった。そのサクセス・ストーリーの完結を達成したのが、このシングル“RIVER”であったのだ。この曲の大ヒットによって、初めてAKB48の全国区の人気に火がついたといってもよいだろう。国民的アイドル・グループとしてのAKB48の歩みは、この“RIVER”という一曲から始まり、翌年の10年10月27日にリリースされて初のミリオン・セラーを記録した“Beginner”によって揺るぎなき確固たるものとなっていったのである。
“RIVER”は、現在はAKB48グループの総監督を務める高橋みなみによる「AKB! 48!」というウォー・クライ調の威勢のよい掛け声で幕を開ける。そして、隊列を組むようなフォーメーションに整列したメンバーたちは、両足を肩幅よりも少し広く開いてグッと腰を落とし、手や腿を叩き足を踏み鳴らすニュージーランドのラグビー代表ティーム、オールブラックスが試合前に行うハカの踊り(マオリ族の戦士の出陣の踊り)を模したようなダンスを行う。そのハンド・クラッピングに誘われて打ち鳴らされるビートは、実にプリミティヴな戦士の士気を鼓舞するような響きをもつ。また、そこには民族的な荒々しさだけでなく微妙にハネるファンキーなビート感も混ぜ合わされており、95年にマイケル・ジャクソンが発表した“They Don't Care About Us”のMVにおいて高らかに鳴り響いていた、ブラジルのサンバをよりパーカッシヴにアレンジするオロドゥンのビートにも通じそうな古くて新しい要素をそこに聴き取ることもできる。
しかしながら、こうした土着的でアグレッシヴなビートも、秋葉原発のアイドル・グループであるAKB48によってパフォームされると、どこか懐かしのビリーズ・ブートキャンプに近いものに見えてしまうような部分もある。ちょっぴり体操的でほどよく体を動かすエクササイズ風なのだ。ただし、ビリー・フランクスによるビリーズ・ブートキャンプも米国陸軍の基礎体力トレーニングをダイエット運動に取り入れて発案されたという背景をもつものである。よって、それは実践的/実戦的な軍事訓練を通じて闘いの精神性を養う戦士のための運動/ダンスを基礎にもつものでもあるのだ。もし、それが腹の据わっていない腰の位置が高いへにゃへにゃとした体操のようなダンスであっても、それは手を叩き足を踏み鳴らすマオリ族のハカのダンスと奥深い根底の部分では基本的にはそう違いはないのである。
過酷な作戦に挑む隊員たちを言葉と実技で指導し鼓舞するビリー上官の役割を、この“RIVER”においては高橋みなみが担っている。冒頭の出陣の掛け声だけでなく、全員で声と動作を合わせてウォー・クライを行うためのビートなど、戦士の精神性や軍隊調の要素が多く見受けられる楽曲となっているという印象は、そのMVを見るとさらにそうしたイメージは強化されることになる。“RIVER”のMVは、自衛隊入間基地の格納倉庫の中で主に撮影されている。そして、実際に動く航空自衛隊のヘリコプターや装甲車などの映像が所々にインサートされるのである。また、MVの中には衣装を着て(ヘリコプターや装甲車の前で)歌い踊るだけでなく、迷彩服に身を包んだメンバーたちが戦場での実際の作戦としての暗く深い川を歩いて渡るシーンや航空自衛隊基地の中を颯爽と走るシーンなどが差し挟まれる。ここまでくると、もはやブートキャンプでエクササイズどころではなく、基地に配備された兵士・戦士そのものである。
そのサウンドの面においてもヴィジュアルの面においても“RIVER”という楽曲は、戦う集団としてのAKB48の姿を非常によく表象させた一曲だといえる。00年代後半からのアイドル・ブーム(アイドル戦国時代)を先頭に立って戦い、それを最後まで戦い抜く集団としての意気込みや気概が、そこにははっきりと見てとれる。そうした戦闘的なイメージを明確に形作って提示するために、実際に自衛隊までをも利用してしまうところが、また実にAKB48らしくもある。
まさに戦う集団であり現代日本における最もリアルな戦士の集団でもある自衛隊とタッグを組み足並みを揃えたアイドル・グループが、航空基地にお邪魔してかっこよく歌い踊る。これはアイドルの枠を越えたものを制作しようとする集団による企画としては、実に真っ当で正統派な選択であったといえるだろう。戦う集団に扮して迷彩服に身を包んだメンバーのイメージにリアリティを与えるには、自衛隊に協力をあおぎ本物のヘリコプターや装甲車の前に立たせることが、最も効果的で最善な策であっただろうから。
ただし、それは、この上なくわかりやすいがゆえに非常に短絡的な結びつきでもある。真剣に戦いに挑む集団のムードやイメージを取り入れる対象として、すでに組織としてそこにある自衛隊を選択することで、スタジオのセットやそれっぽいエキストラを使って表現するのとは、全く違ったリアリティや説得力を画面に盛り込むことができる。しかし、そこに見える組織がもつ武器や装備がリアルすぎることで、画面に必要以上の意味や付随物を付加させてしまうことにもなるだろう。
そして、その当時、国民的なアイドル・グループになりつつあったAKB48の「会いにいけるアイドル」という親しみやすさや距離の近さいった親近感を伴っていたイメージは、逆に国民に近づきたい意識を常にもつ自衛隊という組織に巧みに利用されることにもなる。“RIVER”のMVの映像には、ヒット曲のメロディとともに、実際の武器や実際に武装した人間が、とても身近なものとして写し出されているのである。
だがしかし、ものすごく平たくいってしまうと、この“RIVER”という曲は、曲調もヴィジュアル面のプロダクションも、89年にジャネット・ジャクソンがリリースし大ヒットした“Rhythm Nation”の、ちょうど二十年越しの焼き直しでしかない。この“Rhythm Nation”のMVの中で、ジャクソンは黒い軍服風の衣装を着て、揃いのユニフォーム姿で整列したダンサーたちと一糸乱れぬ完成度の高いダンス・パフォーマンスを披露している。そして、80年代前半にプリンスとともにミネアポリス・サウンドを作り上げたジミー・ジャムとテリー・ルイスからなるジャム&ルイスがプロデュースを手がけた、ハード・ロックやエレクトロニック・ダンスの要素を取り入れたハイブリッドなヘヴィ・ファンク・サウンドも、完全に時代の最先端をゆく素晴らしく高い高度でゆくものであった。“Rhythm Nation”とは、ジャネット・ジャクソンがひとりの女性として不平等と不公平と欺瞞に満ちた旧世界に敢然と戦いを挑む、力強いリズムとファンキーなビートで完全武装した出陣の歌であった。
“Rhythm Nation”のハイパーなニュー・ジャック・スウィングのグルーヴから躍動するシンコペーションをごっそりと抜き取って、べったりとしたJポップ仕様の稚拙で平板なダンス・サウンドで身勝手にリヴァイヴァルさせた楽曲が、AKB48の“RIVER”の本性なのだともいえる。そこに目新しさとして認識できそうなものは、特にない。しかしながら、ジャクソン兄妹の末っ子の黄金期を知らぬ、今の10代や20代のアイドル・ポップスを中心に聴いている若者たちにとっては、とても新鮮で衝撃とインパクトのある曲調やダンス、歌の内容であったのかも知れない。

“RIVER”という楽曲において川とは、前へと真っ直ぐに進むものの行く手を阻むものであり、そこにある真っ直ぐな道の前に横たわるものである(「行く手阻む River! River! River!/横たわるRiver!」)。そして、それを渡るために泳ぎ、闇の中で乗り越えてゆくべきものである(「前へ前へ!/まっすぐ進め!/川を渡れ!! Ho! Ho! Ho! Ho!」「闇の中を/ひたすら泳げ!/振り返るな! Ho! Ho! Ho! Ho!」)。
それを乗り越えて川の向こう岸にまで到達することができれば、未来に手が届く(「手伸ばせばそこに/未来はあるよ/届かないものとあきらめないで!」)。ここから/そこから、さらに先へと進むことができる。だが、流れる川を前にして、そこで怯むことなく一歩を踏み出して、それを渡り切らなければ、決して未来に手は届かないし、そこから先の未来もないのである。
行く手を阻む川を前にして、どのような行動をとるか。そこで、未来へと真っ直ぐに進んでゆくことへの決意の固さや気持ちの強さ、諦めない心が試されることになる(「運命のRiver! River! River!/試されるRiver!」)。どこまでも前へと進んでゆこうとするものにとって、川と対峙することは運命であり宿命であるのかもしれない。
そして、川とは、心の中にある精神的な試練のメタファーでもある(「君の心にも川が流れる/つらい試練の川だ」)。それを乗り越えることで、運命を遮る障害を内面において超克することになる。どんな川にも向こう岸は必ずあって、川を渡り切ることで夢が叶う日に少しでも近づくことができるのである。
運命の川に対して決意を固めたのであれば、あとは自分の力を信じて、自分の強さを信じて、ただひたすらに前へ前へと進むだけである(「そうだ向こう岸はある/もっと自分を信じろよ」)。この試練を乗り越えるために、ここまでの過酷な道のりを進んできたのだから。決して諦めない心が、川に試されている(「あきらめるなよ/そこに岸はあるんだ/いつか辿り着けるだろう」)。迷いを捨て去り、躊躇わず根性を剥き出しにして渡り切れ(「迷いは捨てるんだ!/根性を見せろよ!/ためらうな!/今すぐ一歩踏み出せよ!/Believe yourself!」)。

真っ直ぐ前に進もうとするものの目の前に、いきなり川は横から流れてきて、行く手に立ち塞がり邪魔をする。つまり、それは動き流れ続ける障壁である。そして、それは振り返られないものでもある。あまりにも邪魔なものであるがゆえに、それを通過してしまったら、もはやそれには振り返る価値も残されてはいない。
AKB48は“RIVER”において、夢にしがみつくことの大切さを歌っている(「弱音吐くなよ/夢にしがみつくんだ/願い叶う日が来るまで」)。がむしゃらに、決して諦めず、前へと進むことが、人間としての強さと真っ直ぐさの証明となる。夢を掴み、願いを叶えることが、前進する道の先にある全てである。それゆえに、真っ直ぐ前に進むこができないものは、全てを途中で諦めてしまった、弱音を吐いたものとされてしまう。試練を乗り越えることのできなかった弱いものたちは、もはや対岸に渡ったものたちから振り返られることはない。それは、ばっさりと切り捨てられて然るべき存在であり、強く真っ直ぐなものたちの前進する生き方から見れば邪魔でいらないものでしかない。
なぜ、そんなにも前へ前へと進まなくてはならないのだろうか。真っ直ぐ進む道が、迷いや躊躇をもよおさせるような大河に突き当たったら、安全に渡れそうな頑丈な橋や簡単に歩いて渡れるぐらいの浅瀬を探して、少し迂回してみることも必要なのではなかろうか。真っ直ぐ進むだけが正解ではない。それは、そんなにも直線的な最短距離で進んで、誰よりも早く結果を出さなくてはならないようなレースなのだろうか。それならばトライアスロンの選手のように何があっても前に真っ直ぐ進めるように、前もって走りや泳ぎの訓練をして鍛え上げておくなど、しっかりとした準備をしておかなくてはならないだろう。
前へ真っ直ぐに進むこととは、そんなにも重大な努力と覚悟を要することなのであろうか。なぜ、そんなにも過酷すぎる道のりを、根性を振り絞ってまで歩んでゆかなくてはならないのか。真っ直ぐに前に進まないことは/そのための努力や覚悟をしないものは、そんなにも弱いこと/弱いものであるのだろうか。弱音を吐くことは、そんなにもダメなことなのだろうか。かっこよく前に進むものたちに、いらないものと思われることが、それほどまでに恐怖なのだろうか。
なぜAKB48は、そこまでして真っ直ぐに前に進もうとするのか。なぜAKB48は、人々が真っ直ぐに前に進むことを促すのか。それが、かっこいい生き方だからか。一切脇目もふらずに決して振り返らないことが、自分の人生への必死さや取り組みの真剣さを表していて、とてもかっこいいということなのだろうか。そうした、心の中に芯を強くもってどこまでも真っ直ぐに突き進む(AKB48的な)生き方を、今の若者たちに推奨したいのであろうか。
かつて、24時間働く企業戦士となることが美徳とされる時代があった。AKB48が歌うかっこいい生き方は、それにとても近いもののようにも感じられる。これは、実に昭和な真っ直ぐさやかっこいいの感覚であるようにも思われる。AKB48は、そんな昭和の人生観やライフスタイルを取り戻そうとしているのだろうか。あの頃の、まだ少しは無邪気に未来に対して希望がもてた時代の空気を、強引に時代を越えて今に蘇らせようとしているのだろうか。
しかし、それも少しばかり翻って考えてみれば、AKB48のような人気のあるアイドル・グループが、大真面目に真っ直ぐに前へと進み、何としてでも明るい未来を掴もうと声高に歌わなくてはならないほどに、今の時代が希望が全くもてなくなっているということであるのかも知れない。実は、どんなに強固に覚悟と決心を決めて真っ直ぐに進もうとしても、もはや真っ直ぐに進めるものばかりではないことを、AKB48も含めて誰もがもうすでに(薄々)知ってしまっているのである。そんな、かっこいい生き方ができるものばかりではないのだ。
みんながそうしようとしたとしても、なかなかそう簡単にはできない真っ直ぐに前に進む生き方だからこそAKB48は、それを一種の(理想譚的な)ファンタジーの世界の出来事であるかのように歌うのであろうか。多くの打ち拉がれた弱くダメなものたちの、かつての夢や憧れやなりたかった自分を、その歌で代弁してみせているのだろうか。

道を横切って流れる川は、直進するものにとって、その進行を妨げる、邪魔なものでしかない。そしてまた、夢に向かって川を渡ってゆこうとする勇気と根性のあるものを無惨にも激流で溺れさせる仇敵でもある。目指す陽の昇る場所に向かって、希望の道を真っ直ぐに歩んでゆくためには、そこに立ち塞がる川を制圧し、横たわる川を排除してしまうしかない(「目指すは陽が昇る場所/希望の道を歩け!」)。行く手を阻むものは排除する。そして、その手際のよさを見せつけることにおいて、人類の知恵と技術が最大限に発揮されることとなる。危険や困難を克服するために、人間は真っ直ぐにそこに的確な対処をすることを試み、そのためにどこまでも知恵と技術のレヴェルを高めてゆくのである。
そこに危険な川があるのならば、橋を架けて、安全に往来できるように道を整備し、さらには人々の往来が多くなった地域の治水を万全なものとし土地の開発を押し進めてゆくために川を暗渠化して、そこに広い平らな土地を作り出してしまう。広く平らに拡張された希望の道は、より多くの希望を人々にもたらす人類の栄光の輝きへと真っ直ぐに繋がる大通りとなる。暗渠化されてしまった川の上の新しい地面を踏みつけながら、人々はそこを真っ直ぐにどこまでも歩いてゆく(「ずっとずっとずっと歩き続けろ/決めた道を!」)。自らの心の中に流れる巨大な試練の川にも直面しないままに。「君の心にも川が流れる/汗と涙の川だ!」。川はどこへ行った。(14年)(15年改)

追記

徴兵制度のある韓国では、Kポップのガールズ・アイドル・グループは慰問で基地へと赴き、若い兵士の余暇の娯楽のためのミニ・ライヴなどを盛り込んだイヴェントに参加する活動をしばしば行っている。こうした際に、アイドル・グループのメンバーが迷彩服に身を包んで壇上から挨拶をしたり、迷彩柄の衣装を着てパフォーマンスを行ったりする。可愛らしいアイドルが兵士たちと同じ迷彩服/迷彩柄を着ることで、ほんの一瞬でも互いの距離は縮まり、その近さが和気藹々とした慰問公演のムードを作り出す素地を築く。Kポップのアイドルと迷彩服/迷彩柄は、思いのほかかけ離れてはいない。しかし、日本のアイドルの少女たちが迷彩服を着ると、それはとても異様で異質なものとなる。AKB48は、デビュー時から女学生の制服をアレンジした可愛らしい衣装を着て歌って踊るグループであり、そのチェック柄のミニスカートはグループを象徴するヴィジュアル・イメージにもなっていた。だが、そんな彼女たちが基地や(模擬)戦場で着る迷彩の制服は、やはりそれが同じ制服であったとしてもイメージ的には少しばかりかけ離れているものがあった。
今は、アイドルだって本気で戦う時代である。アイドルの世界の頂点に立ち、天下を取るために(アイドル戦国時代)、彼女たちは日々戦っている。AKB48には、人気投票で一番の人気者を決定する、年に一度の総選挙がある。そこには、普段はともに戦う仲間の内部での想像を絶する厳しい真剣な争いがある。アイドルもまた結果がものをいうシヴィアな競争の世界で戦っているのならば、わたしたちも(それに負けずに)戦わなくてはならない(のではなかろうか)。平和な地位/場所とは戦いとるものである(積極的平和主義)。その世界の頂点に立つものだけが、勝者に有利なルールを作り出すことができる。だから、二位じゃ全然ダメなのである。真剣に戦いに挑み。そして、それに勝つことだけが、わたしたちにとっての(平和な未来の)全てとなる。
“RIVER”は、アイドルも迷彩服で戦う時代が到来したことを告げている。迷彩服は本気の戦い(戦争)のためのユニフォームである。それは、サッカー日本代表のユニフォームと同じである。レプリカユニフォームを着て、日本代表の試合を応援するように、揃いの迷彩服を着て、この国を本気で応援しよう。応援することは、ともに戦うことである。実際の戦いの場で眼前の敵と相見えることによって、この国を実践的に/実戦的に応援することができる。ならば、どこまでも熱く真剣なサポーターとなってともに戦おう。集団的自衛権とは、そうした応援の精神の原点にも通ずる崇高なる理念である。真剣に実際に本気で戦おう。あの“RIVER”のMVで戦っていたAKB48のメンバーのように。(14年)(15年改)

追記

2014年7月1日、安倍晋三内閣総理大臣がこれまでの憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認する歴史的な閣議決定を行ったこの日に、AKB48のメンバーの島崎遥香が出演する自衛官新規募集のCMが絶妙なタイミングで公開された。このCMの中で島崎遥香は、シンプルな白のワンピース姿で真っ直ぐに正面を見据えながら「自衛官という仕事。そこには大地や海や空のように果てしない夢が広がっています。」という台詞を語っている。
これは、ほんわかした雰囲気をもつ島崎遥香というメンバーが、本当にそこに夢が広がっているのかどうか何も分かってはいなさそうなところが、実にシュールで後味の悪いものを残してくれるCMなのである。憲法解釈の変更によって大きく夢が広がったのは、首相の安倍晋三を中心とする内閣の面々や政権与党である自民党の面々なのではなかろうか。それとも、これまで世界的な大舞台で華々しい活躍をしてこれずに忸怩たる思いをしてきた自衛隊という組織なのであろうか。集団的自衛権の行使が容認されることによって、これから自衛官に応募して制服を着ることになる若者たちの夢が遠い異国の陸や海や空へと果てしなく広がっているということなのであろうか。
いずれにしても国民的アイドル・グループのメンバーが、ここまで真っ直ぐに真剣に語っているだから、その言葉やフレーズ自体には、何とも言えない説得力が備わってもいる。その文言を書いて島崎遥香にカメラの前で言わせた周囲の大人たちの閣議決定のその先の世界にこの国の希望を見据えている強い意思が、わずか数十秒のCMの映像を通じてモヤモヤとにじみ出してきているようにも感じられる。
憲法解釈の変更とは、戦争を放棄し戦力を持たず交戦権を認めないとする平和憲法としての日本国憲法の根幹である前文と第九条の条文の解釈の幅を広げ、刻々と変化する国際情勢に合わせて集団的自衛権の行使に相当する事例のみにおいてはこれを容認するとするものである。集団的な自衛権が行使される状況においては、たとえ自衛隊が武力・戦力を行使したとしてもそれは憲法で大々的に放棄され否認されている交戦にも戦争にも該当しないということなのである。
この重大なる(かなり無理のあるこじつけめいた)閣議決定により、解釈変更前の自衛隊と解釈変更後の自衛隊は、その位置づけも意味も存在理由も全く違うものとなったといえる。7月1日という日を境に、この国はこれまでに賢くも敢えて渡ることをしなかった、平和憲法に則して「このはしわたるべからず」と書かれた立て札が立つ橋に初めて足を踏み入れて、橋の端をそそくさと駆け抜けるようにして大きな川を一気に渡りきってしまったのかも知れない。
希望の道は、眩しいくらいに明るい日が昇る場所へと続いている。川も谷も山も海も越えてどこまでも真っ直ぐに前へ進めば、その希望の光が見えるのだろうか。果てしなく大きく広がった夢のその先には、東の空に昇る朝日を象ったような大きな旗がはためいているだけではなかろうか。「Believe yourself」で禁断の一歩を踏み出して、大きな川を渡りきった先にあるのは、いかなる屁理屈めいた解釈を施そうとも紛うことなく戦場と認めざるをえない本物の戦場ではなかろうか。あの川を越えたわたしたちは燦然と輝く希望の光そのものである日の丸を胸に、どこまでも真っ直ぐに決して振り返らずに行進してゆこうとしている。しかし、今ならまだあの頃の此岸に引き返すことはできるのではなかろうか。はたして、この川はわたしたちが渡ってよい川だったのであろうか。(14年)(15年改)

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