元和元年

筒井康隆の「腹立半分日記」に、77年7月に行われた「ジャックの豆の木」閉店記念バス・ツアーに関する記述がある。この水上温泉への一泊旅行の際、行きも帰りもバスの中では延々とタモリの独演会が繰り広げられていたようである。そこで車内のマイクを独占するバスガイドに扮したタモリが延々と連発していたギャグが、「元和元年、一夜にしてできた〜」というフレーズだ。インチキバスガイドは、車窓から見える何もかもを元和元年にできたものであるといい加減に説明してゆく。一同はこれを聞いて腹を抱えて笑い続けたという。

「あの岩は元和元年、一夜にしてできた岩。偉いねー。それ以来ずーっと岩やっている。微動だにしない。見あげたもんだ。たまにゃ歩きたいだろうし、酒も飲みに行きたいだろうに」

いかにもカニのいそうな河原を見ると「あのカニは元和元年一夜にしてできたカニ。それ以来ずーっとカニやっている。微動だにしない」

タモリが言いそうな口調を想像しながら読んでみると、なんとなくだが、そのおもしろおかしさはありありと伝わってくる。おそらく、バスの中という一種の密室で次々と移り変わる車窓の景色と連動して、まさに畳み掛けるように「元和元年、一夜にしてできた〜」というフレーズを連発されると、それはそれなりに強烈な破壊力をもったに違いない。

元和元年とは、西暦1615年のことであり、この年にはあの大坂夏の陣が起きている。5月7日の夜、徳川幕府軍に取り囲まれた大阪城において最後の一戦が繰り広げられ、炎に包まれた本丸は深夜に焼け落ちた。この元和元年の5月7日の一夜にして、豊臣家とともに栄華を誇った大阪城は落城し、豊臣一族も滅亡することとなる。

「元和元年、一夜にしてできた〜」というフレーズは、おそらく大坂夏の陣に関する浪曲か何かのフレーズを元ネタにしているのであろう。しかし、その元ネタが何なのかは不勉強なためサッパリ分からない。だが、元々は一夜にして落城したり滅亡したはずのものを、なぜか「一夜にしてできた〜」と逆向きに完全にひっくり返してしまっているので、この元ネタが何かを特定したところで特に意味はないようにも思えてくる。

また、「一夜にしてできた〜」というと、織田信長の美濃攻めに際して木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が一夜にして築いた(と伝えられている)墨俣城のことにも思い当たる。こちらも不思議なことに豊臣秀吉にまつわるエピソードなのである。もしかすると、これは狙ってやっていることなのではなかろうか。

タモリは、なぜか豊臣秀吉に関係するふたつの事柄を意図的に混ぜ合わせて「元和元年、一夜にしてできた〜」という実に珍妙なギャグ(?)を生み出していたのかも知れない。一夜にして大阪城が落城し豊臣家が滅んだ「元和元年」と、木下藤吉郎によって「一夜にしてできた」墨俣城の築城を、まるで切り貼りでもするようにダイレクトに貼付け(カット・アップ/マッシュ・アップ)て「元和元年、一夜にしてできた〜」というフレーズを作り出し、それをジャズマン的感性で即興的にアレンジメントしまくっていたのである。そう考えると、非常にアヴァンギャルドでうさん臭い、いかにもタモリらしいフレーズだと思えてくる。バスに乗り合わせていた(鋭いセンスをもつ)面々も、そうしたこのフレーズが土台の部分より醸し出している知的なナンセンスの香りを動物的感覚で嗅ぎ取って腹を抱えて爆笑していたのであろう。

「この五円玉は元和元年、一夜にしてできた五円玉。それ以来ずーっと五円玉やっている。微動だにしない。偉いねー。見あげたもんだ。たまにゃ五十円玉や五百円玉になってみたいだろうし、腹一杯になるまで食ってみたいだろうに」

「そのカレーパンは元和元年、一夜にしてできたカレーパン。それ以来ずーっとカレーパンやっている。微動だにしない」

「あれは元和元年、一夜にしてできたタモリ。偉いねー。それ以来ずーっと笑っていいともやっている。微動だにしない。見あげたもんだ」


2014年3月31日、『森田一義アワー 笑っていいとも!』は三十一年六ヶ月にも及んだお昼の生放送の歴史に幕を降ろした。

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