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マイナー・スキゾ

原題:オタクと未成熟

第二次世界大戦の終了後、連合国最高司令官として占領地である日本の地に降り立ったダグラス・マッカーサーは、後に「日本人は12歳の少年のようなもの」だと語った。これは、19世紀の終わりから急速に近代化への道を歩んできたものの、日本国民というのはいまだ民主主義国家の市民としては成人にはほど遠い中学生程度の子どもにしか過ぎないということを述べた言葉である。その少年らしい未熟さゆえに、帝国主義的な風潮が蔓延する時代の勢いに押されて、最終的には多大なる代償を支払うことになる愚かな戦争に手を染めてしまったのだし、これからの正しい教育によっては立派に更生し、いつかは成熟した民主主義国家としてやってゆけるようにもなるであろう、ということをマッカーサーはこの実直なる喩えによって言わんとしていたのだと思われる。
だが、はたしてマッカーサー元帥や占領軍からの日本国民への民主主義的な(再)教育のプレゼントを受け取って、日本人は大人な近代市民として無事に成熟することができたのであろうか。今もまだ日本人は、どこか未成熟な12歳の少年のようであり、その未成熟であることを日本人らしさとしてよしとしているようなところさえあるのではなかろうか。そして、その未成熟な日本人らしい日本人を象徴するようなひとつの存在が、オタクというものであるのかもしれない。オタクは、まるで年齢を重ねることを忘れてしまったかのように、いつまでも12歳の少年のまま、マンガやアニメやアイドルにマニアックに熱中し続ける。大好きなアニメやマンガやアイドルの前では、いつでもオタクは12歳の少年のようにキラキラと瞳を輝かせるのである。その姿を未成熟だと指摘するのであれば、オタクたちは誇り高きオタク精神を胸に、いつまでも12歳の少年のまま未成熟な奴だといわれても全く構わないと言い返すだけであろう。
しかし、未成熟なままキラキラと目を輝かせているのは日本人だけなのだろうか。今や日本人だけがオタクということはないのではなかろうか。グローバリズムは、地球上のいたるところにオタクな文化を蔓延させ、多くのグローカルなオタクを発生させている。大人の視点からは未成熟に見えてしまう、いつまでも12歳の少年のような子どものままのオタクな人間は、日本だけでなく今や世界中のどこにでもいるのである。ただし、世界で一番早くオタクでいられる時間を格段に長引かせることを社会的に許容できてしまったのが、アニメやマンガの文化とそこから派生するオタクというものを生み出した、日本の爛熟した消費社会と極めて売れ筋に敏感な経済活動そのものであったというだけのことだったのであろう。遅かれ早かれ、世界は人間的な成熟や未熟が問われることのない場所となってゆく。そこに向かって、日本はぶっちぎりで先頭をひた走っているだけだ。しかし、まだまだいつまでも(自らを偽ることなく)未成熟なオタクのままでいることは、決して生易しいことではない。そのことを、北村昌士は「孤独の餓鬼道」(85年)という一文に記していた。
「孤独の餓鬼道」とは、北村昌士によって書かれたパブリック・イメージ・リミテッドのジョン・ライドンについての小論考である。76年にパンク・バンド、セックス・ピストルズのヴォーカリスト、ジョニー・ロットンとしてセンセーショナルにデビューした彼が、身をもって体現し世界に向けて見せつけようとしているものが、永遠の子供として、この地上で誰の助けも借りずに(インディペンデントかつオートノミーに)、たったひとりで遊びの中を生き抜いてゆくことは可能であるかという命題であると、北村は鋭く突いてみせる。そうした、この地上の現実の世界への大それた挑戦こそが、子供っぽさのひとつの表れとしてのパンクなのだと鮮やかに結びつけるのである。しかし、いつまでも子供のように遊び続けることは決して簡単なことではなく、労働と生産こそが人間の生の根幹であるとする社会の大人たちにとっては、そうした振る舞いは極めて許し難いことでもあった。そして、大人たちが形作る社会では、パンクは「決まりを守らずに度を越すとひどいめにあうというような、警告ともおどしともつかないメッセージを終始耳元でささやきつづけ」られるようになることが宿命づけられているのである。さらには、度を越して遊び続けることとは、「本質的に何よりも、いっそう自分を孤独にすること」でもあった。小学校のとき、よく友達と遊んでいて、だんだんと空が暗くなるにつれて友達の数がひとり減りふたり減り、最後にひとりだけ遊び場に取り残されてしまったときのさびしさを、北村はそんな挑戦的に遊びの中を生きてゆくことの孤独感になぞらえる。ジョン・ライドンがやろうとしているのは、まさにそうした理不尽な警告と脅しによって無闇に権力を振りかざす社会の制度の中に、敢て社会化・構造化されることのない生き方の可能性を探ることなのだ。そのために彼が実践しているのが、ものごとを語る方法の全く新しいスタイルの発見と創出であった(路上や遊び場に紛れ込んでいる労働する子供や子供のレプリカント/全く新しいスタイルの精巧な複製でしかない資本主義のプログラムに沿った二次的な生産と消費にだけ関わる装置としてのスタイリスティックな商品の類いには注意が必要である)。ジョン・ライドン/ジョニー・ロットンは、その新しいスタイルを彼の遊び場において更新し研ぎすませてゆくことで、常に子供っぽく反知性主義的に振る舞い、歌い、語り、社会的な文脈を無関連化させてしまう無敵なオタクと同様の手口で社会や世界に対抗してみせたのだ。そこでは、意味と無意味を超越した遊び場で、たったひとりになっても永遠の子供として駄々をこねて喚き続けられる道が(敢て)選択された。その孤独な餓鬼道の行き先に見えてくるのは、世界の全てはガラクタであるというような冗談めいた実体だけであったとしても、ジョン・ライドンはそこでいつまでもいつまでも遊び続けなくてはならなかった。そのさびしさの中に取り残されることこそが、度を越してしまったがためにこうむるひどいことそのものであり、神サマによって下される罰なのだと北村は些かのアイロニーを込めてニヒリスティックに書いている。そして、論述の最終盤では北村当人もまた、その孤独の餓鬼道において懲りずに遊びに出てしまう永遠の子供であることが告白される。この一文は、北村昌士が神サマの罰をも畏れずに12歳の少年のように社会に挑み続ける真性のオタク性の持ち主であったことを包み隠さずに表明した論考としても読むことができるだろう。

「そして、社会全体がやがてパラノ・サーキットからはずれ、スキゾ的な逃走を始めるのだとしたら?そのような徴候は、大人の文化の中でもいたるところで目につくようになってきた。そして言うまでもなく、未来は常に子どもたちの手の中にあるのだ。ふと気が付いたらひとり取り残されていたというような羽目に陥らないためには、《追いつき追いこせ》のパラノ的競争過程にしがみつくだけではなく、そこから少しズレた方向に迷走してみることも必要なのではないだろうか。」(浅田彰『逃走論』「スキゾ・カルチャーの到来」30頁、筑摩書房、84年)

浅田の言葉(「どうです。あなたもひとつ賭けてみませんか?」)にそそのかされるように子供っぽいスキゾ的な逃走に賭けてみて、結局はひとり取り残されてしまう羽目になってしまったものも少なくはないだろう。そして、浅田が見たスキゾ的な逃走を始める時代の徴候のなかには北村のこともまた含まれていたであろうか。孤独な餓鬼道として北村が見据えていたロックの可能性というものは、そのオルタナティヴなスキゾ性ゆえにその後のハウス・ミュージックのダンスフロアにみられたものとも重なってくる。遊び場にあるロックもまた、子供たちにとっての遊び道具となったように、そこにダンスフロアというものがあったことで、その遊び道具が永遠の子供たちや12歳の少年のままのオタクたちのための遊び場を現出させることになったのではなかろうか。ロックとは、インディペンデントな(孤独な)オタクの遊びによって可能性を広げてゆくものであるということを、北村の慧眼は見抜いていたのであろう。浅田も「未来は常に子どもたちの手の中にあるのだ」といっていた。文化のダイナミズムとは、孤独の餓鬼道においてこそ生み出されるものだといっても過言ではない。新しい(語り方の)スタイルを発見するのは、ジョン・ライドンのような気合いの入った筋金入りの延々と遊び続けるオタクな子供にしかできない芸当であるのだから。しかしながら、大変不幸なことに北村は少しばかり知性派でありすぎたのかもしれない。北村が目論んだ高度な脱構築は、80年代当時の遊び呆けて12歳の少年のままであり続けたオタクたちには、あまりにも難解で晦渋すぎたようである。

オタクが未成熟なままであるのは、そのオルタナティヴな世界においては、もはや成熟する必要がなくなってしまっているからなのではなかろうか。いつまでも12歳の少年のままの日本人の特性は、中世の江戸時代にその当時の町人社会的な世間を「いき」に生きる社会主体の形態としてほぼ完成されていたともいえる。そして、それは人間的に未成熟な主体だとはいっても、それぞれの未成熟というのは、それぞれの成熟した将来の姿を前提として未成熟であるとされているものでしかないのである。つまり、成熟することの可能なものだけが、未成熟であることも可能なのである。では、成熟とは、いったいどこにあるのであろうか。どこかに誰かが決めた成熟のステージのようなものがあるのであろうか。未成熟においても、それぞれの未成熟があるように、人間的な成熟にも、それぞれ多様な成熟があるのではなかろうか。そこには、幼児性とともにある成熟もあり、ヘテロノーマティヴ(異性愛規範)やファリック(男根崇拝)な方向へと向かわない成熟もあるだろう。中世の江戸時代という世界的にみても歴史的にも非常に特殊な時代を経ているからこその多様な形をもつ日本的な成熟(と未成熟)があるのだと考えることはできないだろうか。
いったい、どうして日本/日本人は皆が皆「大人」にならなくてはいけないのであろうか。なぜ大人ではなくてはいけないかというと、十分に大人になっていないと自分から喧嘩を仕掛けて戦争を戦うことができないから(国際社会においては)困ったことになるのだという意見がある。それゆえに(喧嘩ができない)日本は「ノーマルな国家ではない」ということになり、それが12歳の少年のままいつまでも未成熟であり続けているということに原因があるということになるようなのだ。ノーマルな一人前の国家になれていない日本は、(占領軍に踏みにじられ)死んだような静止状態の中にとらわれ続けているという見立てなのであろう。ただし、死んだような静止状態が続いていた江戸時代にも元禄文化などの(オタクな)町人文化は大きく花開いていた。ノーマルな国家ではないのは今に始まったことではないし、死んだような静止状態というのも大人や成熟と何らかの関係があるとは思えない。急速な近代化の過程においても高度経済成長の時代にも、歴史も文化も大きく動いていた。それを動かしていたのは、いつだって子供っぽいオタクたちであったのではなかろうか。そして、90年代後半に(新人類的な/オタクらしい)オタクの時代が終焉し、死んだような静止状態の中のオタク(ポスト・オタク時代のオタク)が出現することになる。これまでの日本のどこに大人がいたのだろうか。大人になることを抛棄したノーマルな国家ではない日本が、どうして今さら成熟した大人になどならなくてはいけないのだろうか。
ダグラス・マッカーサーが西洋的な規範に則した民主主義教育を施そうとした戦後の日本は、占領軍に全ての行動・活動の動静を押さえつけられていた死に等しい静止状態にあったのであろうか。そして、戦後の日本は、ずっとそのまま静止したままであったのだろうか。戦争に二度と関わらないということは、静止してしまっているということなのか。未来に戦争する見込みがないということは、戦後という死に等しい静止状態からの脱出がありえないということなのであろうか。戦争によって静止状態は終わるのか。未来の戦争の見込みをもたらすのが、日本国憲法第九条の改変や廃止であるのか。憲法改正こそが日本の未来なのか。静止状態のままでは未来はないのか。憲法九条とともには未来へと動いてはゆけないのか。本当にその静止状態は止まったままなのか。オタク文化とは、死に等しい静止状態によって生み出されたものなのか。オタク文化とは、未成熟な幼児性の表れであるのか。オタクとは、静止状態そのものなのか。
憲法九条というものが存在していたことでノーマルな国家ではないとされる日本の70年間の戦後の期間においても、歴史や文化は大きく激しく動いていた。戦争があろうとなかろうと動くものは動く。だが、その社会が未成熟なオタクやオタク文化を許容しなくなるとき、そこには死に等しい静止状態が訪れることになるのだろう。憲法九条にオタクについて触れていた箇所があったという記憶はない。それは静止状態とは何の関係もないものなのだ。そこに関係があるとすれば、社会がオタクを容認しなくなり、憲法九条を覆すことで戦争状態と国家的な暴力を民草が希求し、(オタク的な文化とは正反対にあるもので)もっと全てが熱く動いているように感じられる時代を欲望するようになるときに、少しばかり(観念的に憲法九条とオタクが)交錯するというだけのことなのであろう。
日本人は未成熟であり、未成熟であるからこそオタクに(も)なれるのである。未成熟であることは、もはやノーマルなことではなくなってしまったのであろうか。ノーマルな大人であることだけが人間らしさの表れではないことに(もう一度)気が付かなくてはいけない。社会といわれているもののあちらこちらで未成熟なオタクが遊び続けているからこそ、ものごとは多様性をもってダイナミックに動いてゆけるようになるのではなかろうか。

(10年代半ばごろに書いたもの。仕上げ未終了の「文化と歴史、そしてオタク」(仮)の一部。20年、加筆・修正)

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