見出し画像

スティサート師の説法~修行とは、生じてきたことから学ぶこと(1)私も最初は、サティが何なのかわからなかった


このnoteでは
タイ仏教、特に
東北タイにある森の寺
スカトー寺に縁あるお坊さまたちの説法を
翻訳して毎日お届けしています。

今日からまた新しい説法を
訳します。

スカトー寺副住職で
ウィリヤダンマアシュラムのリーダー僧である
スティサート・パンヤーパティポー師。

毎月1回バンコクの
タムディールンロート会館で行われている
1日瞑想会。

そこでの先月(8月)の説法を
お届けいたします。

説法のテーマは

「修行とは、生じてきたことから学ぶこと」

です。

今日の部分のタイトルを

「私も最初は
 サティが何なのかわからなかった」

としました。

8月は
スカトー寺前住職の
カムキエン師の誕生月でもあり
ご命日のある月でもあります。

そのため
カムキエン師の遺徳を偲ぶイベントが
開かれていました。

そんなお話から
スタートされます。

この記事は、継続有料マガジン
「月刊:浦崎雅代のタイの空(Faa)に見守られて」内の記事で、
継続購読すると月500円で読めます。
 (購読申込の初月は無料。翌月から課金されます)

記事は単品で100円でも読めますが、毎日アップしていきますので
これからも続けて読みたいなと思われる方は、継続購読の方がお得です。

(ただし購読を始めた月以前の記事は単品購入となります。
バックナンバー記事をまとめたマガジンを除く)

もしよかったら、継続マガジンをご購読よろしくお願いします。

ここから先は

2,263字

¥ 100

応援やサポートをいただくたびに、これからも翻訳や執筆を続けていこう!と励まされています。