バイ菌②
前回は、「バイ菌(黴菌)」という言葉が明治時代にはbacteriaの訳語として学術界で用いられていたという話、そしてその語がやがて学術界では使われなくなっていった経緯について話をした。
今回は、その続きとして「なぜそんな『バイ菌』が一般市民の語彙として定着したのか?」という疑問について見ていきたい。
ただし、ある語彙がなぜ人々の間で定着したのかという理由を示すのはなかなかに難しい。
例えば、ここ数年で一気に市民権を得た「エモい」という言葉がある。なぜこの言葉がこれほどまで定着したのかを理論的に説明しようとすると、かなり骨の折れる作業になるだろう。言語学的、文化的にさまざまな考察ができるだろうが、その考察が正しいのかという検証は難しい。ここ数年で「エモい」という言葉を使うようになったという人たち自身に訊ねてみても、自分がどうしてその語を使用するに至ったか明確に説明できる人はほとんどいないだろう。
そんなわけで「バイ菌」という言葉が定着した理由についても、明確な根拠をもった理論を提示できるというわけではなく、あくまで「おそらくこういう要因があったのだろうなあ」という推測・憶測になってしまうことをお断りしておきたい。「ゆる」医学用語学ということでご容赦いただければ幸いである。
1.濁音減価
さて、「バイ菌」が人々に受け入れられた理由の一つに「濁音減価」の影響が考えられる。
「濁音減価」についてはこちらの「ゆる言語学ラジオ」内で解説されている。
清音(濁点のない音)に比べ、濁音(濁点のある音)はイメージが悪くなる、という言語現象のことだ。
上記の動画では「しとしと→じとじと」や「さま→ざま」、「たま→だま」などの例が挙げられている。
ここで、「細菌」と「バイ菌」についても、同じことが言えるのではないだろうか。
この場合「さ」と「ば」なのでちゃんとした音の対応があるわけではないが、それでも言葉の響きが認識に与える影響という点では同じことが起きていると考えられる。
「バイ菌」とは汚いもの、不衛生なものであり、有害なものでもある。
そのようなイメージと、言葉の響きがうまく合っているため、多くの人にとって「バイ菌」という語は受け入れやすかったのではないだろうか。
また、近年では「雑菌」という言葉もよく用いられているが、これも多くは良くない微生物に対して使われている。ここにも、濁音の響きによるイメージへの影響が関わっているのかもしれない。
2.両唇破裂音
さて、「バイ菌」という言葉のもう一つ見逃せない特徴として「バ」の音がある。これは両唇破裂音、つまり唇を使って発音する音だ。このことも、「バイ菌」という語が市民権を得る上で有利に働いたのではないかと思っている。
そもそも「バイ菌」すなわちbacteriaは目に見えない。その存在が人類にようやく知られたのは17世紀(レーウェンフック)で、病気との関わりがわかったのは19世紀(コッホ)のことだ。存在を知覚できないため、人類が直感的にbacteriaという概念を理解することはできない。想像力を働かせて理解する必要がある。
つまり、「バイ菌」とは「理解しがたい」存在なのである。
そんな直感的に理解がしにくい「バイ菌」であるが、医学と公衆衛生学の進歩によって、普通の人々にとっても無視のできない存在になってくる。さまざまな感染症の原因にもなるので、衛生が極めて重要になってくるのだ。
特に子供はさまざまな感染症にかかりやすいため、子供のうちから正しい衛生感覚を身につける必要がある。目に見えない「バイ菌」について、子供にもわかってもらうことが求められたのだ。
そのために、「バイ菌」をわかりやすく絵にしたりキャラクターにしたり、さまざまな工夫がなされたのだが、「バイ菌」という単語が両唇破裂音から始まっていることは、子供の理解にとって有利にはたらいたと思われる。
こちらのゆる言語学ラジオでも、両唇音は「赤ちゃんフレンドリー」であるという話が出てくる。
唇を使って発音する音は、歯のそろっていない小さい子供にも発音しやすく、好まれるのだ。
「アンパンマン」といえば小さなお子様たちから圧倒的な支持を得ているわけだが、この「アンパンマン」という言葉は彼らにも発音しやすく、また発音して心地いい語となっている。アンパンマンの人気の一端には、両唇音が関わっているのだ。
そして「バイ菌」にも両唇音が出てくる。知覚ができず習得しにくい「バイ菌」という概念だが、小さな子供にも親しみやすい音から始まっているため、覚えてもらいやすくなっている。そのため、子供と話す場面では特に「バイ菌」という語は好まれるものとなっている。親が子供に歯磨きや手洗いを指導している場面を想像しても、「バイキンさんをやっつけよう!」はしっくりくるが、「サイキンさんをやっつけよう!」や「キンさんをやっつけよう!」では言葉のチョイスがあまりよくない気がしてしまう。
そして、もはや言うまでもないことかもしれないが、ここまでに述べたことの証左は「アンパンマン」の敵役が「ばいきんまん」であることにも表れていると言えるだろう。
3.まとめ -言葉を使う人と、そのニーズ-
以上が、先日の動画で割愛された部分となる。
あくまでも一つの考察にすぎないが、「バイ菌」という言葉の定着にはきっとこのような要因が関わっていたのだろうと思っている。
ここで「学者が捨てた黴菌という語」「一般人が拾ったバイ菌という語」を比べてみると、改めて言葉の面白さというものが感じられる気がする。
学者にとって、使う言葉に求めているのは正確さである。そのため、生物分類学にそぐわない「黴菌」という語は、しだいに姿を消していった。
一方で一般人にとって、学術的に正確であるかどうかは、言葉を使う上で大して重要ではない。それよりは、言葉の響きがイメージと合っているかどうかだったり、子供にものを教えるのに使いやすいかどうかだったり、そういったことの方がはるかに重要だ。
人によって言葉に何を求めるか、つまりニーズは異なっている。だから同じ言葉でも、あるところでは廃れた言葉が、別のところでは広まっていくようなことがあるのだ。「バイ菌(黴菌)」という言葉の変遷は、そのことを示す一つの例となっている。
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