自分が自分を大好きだと思えること
何度も何度も思う。
「あの時、私があんなことしなければ…もっと冷静になれてれば…」
「別れ話してた時、もっとすがればよかった。それでもいいから、まだ私と一緒にいて欲しいって言えば良かったのかな…」
そんな後悔が私を何度も何度も襲ってくる。
その度に
「そんなことない、これで良かった。あのまま続けてても良い結果にはならなかった。」
ってもう一人の自分が言う。
「問題の解決になってないんだよ。寂しさは自分の中から来てるんだから。原因は自分の中にあるんだから。彼は何とかしてくれないよ。」
そうやって何度も自問自答を繰り返して、
自分と相手の心が知りたくて心理学の本を読み、Twitterに考えたことを吐き出し、長い文章が書きたくなったらnoteやメモに吐き出して。
ひとつ確実なのは、Twitterに本当に救われてるということ。
こんなに「大丈夫だよ」「そのままのウラちゃんが好きだよ」「応援してる」って言葉に力をもらえるなんて。
本当に嬉しくて、安心して泣いてる。
私は弱くて、ネガティブで、何も自信なんてなくて、これからが全部不安で、怖くて。
裏垢だって、所詮フィクションの世界だと思っている一方で、こんなに自分を支えてくれる場所になってる。本当は声を大にして世界中に叫びたい。
「私は、裏垢で本当の私を生きてる!!!」
でも、この本音すら、世の中の尺度では間違っていて。
しかも、そのへんの裏垢とは違って、ここはひっそりと、絶対にリアルの人に知られてはいけない場所に存在してる。
「ああ、私は本当にここに救われているけど、ずっとここにいてはいけない。」
だけど、今はまだ、もう少しだけここにいさせてほしい。
もう婚外恋愛しないって決めたけど、今まで婚外で埋めてた穴が自分で塞げるようになるまで。
どうやって穴を塞げばいいのか、一生懸命考えてるから。
すごくしんどくて向き合いたくもないようなこともがんばるから。
だって強い私になりたいもの。
数年前まで、こんな私じゃなかった。
ある時期から、私は何かの支えなしでは倒れちゃうほど弱くなった。いや、無理して立ってたのが、無理が効かなくなったんだ。
でも、昔の私の方が楽しかった。昔の私の方が好きだった。
あの頃の私に戻れるとは思わないけど。
あの頃は明らかに頑張りすぎていたし、それに、今はもうこんなにいろんなことを知ってしまったんだもの。あの頃と同じ私には戻れない。
それでも、やっぱり昔みたいに明るくて、楽しくて、自分が好きな自分になりたい。
誰かに「好き」を証明してもらわなくても、自分が自分を「好き」だから何も心配いらないって思ってた、あの頃の私の感覚を取り戻したい。
婚外では簡単にその安心が手に入った。
きっと私の婚外さん達がいい人たちだったからっていうのもあるけど。
婚外さんと付き合うと、私は私のことが好きになった。
誰かに好きでいてもらうことで、自分の存在が必要とされてるみたいで安心できたんだ。
でもそれって、一時的なものだった。
少し相手の連絡が減ったり、素っ気なくなったりしたらすぐに不安になって。
「こんな私、一緒にいても楽しくないよね」
って思って。
そんなふうにちょっとしたことで一喜一憂して、自己嫌悪と自己満足を繰り返して。
大好きな誰かだって他人なんだから、自分の思った通りに動くわけなんてないのにね。
相手から何かを与えて満たしてもらうのを待つんじゃなくて、何か違うやり方で自分自身で自分を満たさないといつまでも堂々巡りだ。
満たされたい、必要とされたい、認められたい…婚外はそんな欲求を簡単に満たしてくれるけれど、それって私にとっては問題の根本的な解決になってなかった。
だから、自分で自分を満足させなきゃいけないんだ。
自分が大好きな自分が、いつでもそばにいてくれれば、最強だって思えるくらいに。
そんな自分になれた時、本当の意味で婚外卒業できるし、今までもらった分の優しさを、みんなに返せるんじゃないかなって思う。
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