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好きでもない男とした一年半越しのそれは、薬のように私を癒した

「長くねぇ〜〜〜!?」

深夜11時。上半身にカフスボタンの光るシャツ、首と腕には高級ブランドのネックレスとブレスレットをギラギラさせ、下半身はボクサーパンツ一丁でzoom会議をしている男が、一瞬パソコンをミュートにしてこっちを振り返った。

「だねぇ。早く終わらせてよー。」
と、私が返事をすると

「くそー、この会議の前にお客さんと飲んできたから更にしんどい」
と、男はさらに愚痴をこぼし、画面に戻った。



その日の朝、私は大変落ち込んでいた。

メンタルをやられやすい体質の上に、夫との離婚話があったり、好きな人からは塩対応をされ続け、やっとのことで帰ってきた日本でも心は全く落ち着かなかった。

朝から消えたくなるほどの寂しさと不安と格闘するべく、いつも行く公園に散歩に出ると、ちょうどそのタイミングでLINEが鳴った。

「もう自宅待機終わった?」

それは、一年半前に一度だけ寝た男だった。
そのあとに「好きな人ができた」とはっきり断っても、2、3ヶ月に一回ほどLINEを送ってきては、「黙って俺に抱かれろ!」と半分冗談半分本気にみたいなことを言ってくる調子のいいやつだった。

帰国の直前にも連絡してきたので、日本に帰ることは伝えていた。どうしてこういう人はいつもタイミングがいいんだろう。

「もう自宅待機終わったよ」
と、私が返すと
「よし、飲むか!!!」
といつもの調子で返してくる。
今までなら「襲われるとわかってて行くかよ、ばーか」と返していたところを

「いいよ、いつ行く?」

と返していた。

私の予想外の返事に動揺してか、そもそも返事を期待してなかったのか、

「ちょっと待って!」

と、慌てた返事が返ってきた。
私は待ちきれず、早く早く、と急かす。
待てよ、待てないよ、の押し問答に

「なんでだよ笑」
と男は言った。

「さみしい!」

すんなり口を突いて出た「さみしい」に自分でもびっくりした。
別にこの男に会えなくて寂しいなんて思ったこともないし、むしろ会えなくて寂しいと思っているのは別の人のことだし、でも、誰にも言えない「寂しい」の気持ちは出口を知らずにぐるぐる私の中に溜まっては膨らんで、それでも誰にも言えない一言だった。

「今日はお客さんとの飲みとzoom会議が終わった後ならウチ来てもいいけど、飲めるかなあ笑」
と男が言った。

「飲まなくてもいいです。なんなら寝ててもいいです」

「なんだと???」

「側にいてくれるだけでいいです」

「わかった、22時以降になるけど、しかも酔ってると思うけど笑、それでもいいなら」


なんでだろう。
好きな人には絶対に言えない「今日今すぐ会いたい」も「側にいてくれるだけでいい」も、どういうわけか、こんな好きでもなんでもない男にはすんなり言えてしまった。1年半連絡し続けてきたの男の根気に私が負けたのか、はたまた、たまたまタイミングが良かっただけか。


鍵のかかっていないドアを開けると、男はパンツ一丁でzoom会議をしていた。一年半前と基本的には何も変わっていない部屋で唯一前と違ったのは、巨大なクイーンサイズのベッドが窮屈そうに部屋に置いてあることだった。
私はそーっと部屋に入り、画面に映らない壁際で体育座りをした。しばらく待っていると

「長くね!?もう疲れた〜〜〜」

とミュートで男が振り返った。

「だね、早く終わらせてよ〜」

と、私が返した。

「先飲んでて」
と、机の下で男はワインをなみなみと注ぐ。
画面に映らない場所に顔だけ突き出して、男はぐいっととワインを飲んだ。そんなパンツ姿の男の横顔を眺めながら私もちびちびとワインを飲んだ。

待つこと1時間、ようやくzoomが終わった。
すっかり私は一人で出来上がってしまって、ギリギリ画面に映らない、なるべく男の近くで男のジャケットを抱えてウトウトしていた。

「やっと終わった〜〜!!ちょっとシャワーだけ浴びてくるわ!」

その後はよく覚えていない。久しぶりのワインに私はひどく酔っ払って、床で盛大に転んだことだけは覚えている。
ただ、一年半前より、気持ちの良い夜を過ごせたのは確かだった。


朝、昨晩使ったグラスを洗っていると、シンクの水切りに鍋と二人分の皿が並んでいることに気がついた。

「彼女でもできたん?」
と尋ねると、

「いやあ、俺、最近料理するんだよね、ナポリタン結構得意なんだよ?」
と、言う。

どうして男っていうのはこうも分かりきった誤魔化しをするのだろう。お前が料理なんて大嫌いなことはとっくに知ってるんだぞ。
だが、そんな小さなウソや誤魔化しで見栄を張りたがる根性も可愛らしく見えるくらいに、私たちは遠くずるい関係だった。

「ふぅん、それは今度ご馳走してもらいたいね」
私も適当な返事をした。


「あ゛〜〜〜二日酔いしんどい」

とぼやきながら、さっきまで裸で抱き合っていた男はパリッとアイロンがかけられたシャツに袖を通し、カフスボタンを締め、腕には高そうなブレスレットをつけて、ジャケットを羽織り、香水をかけた。

「この香水、めっちゃいい匂いなんだよな」

とワンプッシュ私の手首にもかけてくれた。甘い花のような匂いがした。どちらかというと女性物の香水に近い香りだった。

「あんたはあっち、俺はこっち。じゃ、また連絡するわ」
「うん、またね」

特に別れを惜しむこともなく家を出てすぐ左右に分かれる。
どうしてこんな日の朝日は青くキラキラと輝いて見えるんだろう。駅で食べた富士そばのカレーライスは猛烈に「生きてる」って味がした。

その日は一日中、足の先までポカポカと暖かく、ぼんやりと穏やかな気持ちだった。
数日、いや、もしかしたら数ヶ月ぶりに不安も寂しさも感じない日だった。人体ってすごい。好きでもない男と寝てもちゃんとオキシトシンとセロトニンは出るらしい。

2日後、自宅で作業していると、男の香水の香りがふわっと香った。おかしいな、もうとっくに服も洗濯して風呂にも入ったのになんで…?と自分をあちこち嗅ぎ回ると、元彼から貰った紐を編んだブレスレットに男の香水が染み込んでいることに気がついた。

「やっぱりいい匂いがする」

元彼のブレスレットを鼻に当てて嗅ぐ男の香りは、私から不安も寂しさも奪っていった。

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