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疲れて日本に帰ってきた

無理やり仕事を作って、必死に獲得した帰国のチャンス。
こうやっていつも頑張って頑張って言い訳を作って日本に帰ってきていた。

今回もそうだった。
一つ決定的に違うのは、夫と距離を置くことを話し合ってから帰ってきたことだった。

話を切り出したのも、話し合ったのは飛行機に乗るその日だった。

日本までの飛行機の出る首都の街まで車で送ってくれるというので、朝早くに家を出ることにし、カフェで朝ごはんを食べてから向かうことにした。

カフェで、夫に手紙を渡した。
言語が不自由な私は、外国人の夫に対して言い出しにくいことや複雑な感情を伝えたい時は、手紙を書いて翻訳してから渡す。

手紙には「私はもうこの国に住み続けることはできません。二カ国を行き来して暮らすストレスは凄まじい。少し休みたい。あなたと距離を置きたい」との旨を書いていた。

渡す前に「これを渡したらこの人を深く傷つける。それに私も傷つく。本当に渡していいの?」と何度も自問自答した。
でも、勇気を出して渡した。
夫はご機嫌に「アリガトウ〜」と言って手紙を受け取った。

最初はご機嫌な顔だった夫も、手紙を読んでいるうちに神妙な顔つきになり、深刻な面持ちになった。
手紙を読み終えて夫は「わかった」と言った。

「君が元気でいてくれることが何よりだ。年に半年だろうが、3ヶ月だろうが、1ヶ月だろうが帰ってきてくれれば…あるいはもう帰って来なくても、君が元気でいてくれれば、それでいい。僕はどこに住もうが関係ないし、日本でだって仕事は見つかると信じているし、時間はかかると思うけど日本語だっていずれできるようになると思っている。だから、一緒に日本に住めるならそうしたい」
と言った。
そして付け加えた。
「だけど、今すぐに日本に住むことはできないし、僕のせいで君が不安になってしまうのは本意ではない。それが君にストレスを与えてしまうなら、今は距離を置こう。君は日本でとにかくゆっくり休むんだ」


私は、胸がいっぱいで、涙が止まらなくて、何も言えなかった。
なんでこの人はこんなに優しいんだ。完璧なんだ。なんでこんなに私を思いやってくれる人を私は裏切ってしまうんだ。
普段は隠して隠して蓋をしている本音を白状すると、涙が止まらなくなって何も話せなくなる。だから、私は手紙で言いたいことを伝える。

夫はもう少し何か語りたそうだったが、私はうつむき、涙を流しながら黙ってしまったため、黙々と二人でオムレツを食べ、店を出た。

ついさっきまで手を繋いで歩いていた歩道を、距離を置いて歩く。
この一瞬で、私達はもう他人になってしまった。

車に戻ると
「一度家に帰ろう。今はとても長距離運転できる状態じゃない」
と夫は言った。

私たちは、早めに首都に行くことを諦め、家で話し合うことにした。

「戻ってきてしまった」
と思った。
もうしばらくこの家に戻ることはないだろうと思って出た家。
南東の角にある家は日当たりが良く、今日も朝日が差し込んでいる。
去年、日本人もほとんど住んでいない街の西向きの暗い家で「日本人が住んでいる街に引っ越したい」と涙ながらに訴えて、夫は駐在員が多い隣町に引っ越してくれた。日当たりのいい家がいい、という私のわがままに付き合って、夫は20軒近くの内覧に付き合ってくれた。

この家で過ごした時間。笑顔で帰ってくる夫。「タダイマ〜」と両手を広げてハグ待ちしている夫。そんな夫にまず飛びつく愛犬。それからハグする私。小さな庭でしたバーベキュー。私が日本語で見られるようにと選んで一緒に見たアニメ。犬と散歩した時間。夫のために用意した食事。

確かに、そこに幸せな時間はあった。
なのに、私はそれを手放そうとしている。
夫の笑顔を思い出すほど、必ず手を繋いで歩いた手の温もりを思い出すほど、この人のことが大好きだと実感する。

こんなに私を想ってくれる人はいない。こんなに私を愛して私の幸せを優先してくれる人はいない。

それは、何度かの婚外恋愛を重ねても、強く思った。
この人と別れても、この人以上に私を大切にしてくれる人は多分現れない。

それでも、この夫と距離を置かなくてはならないほど、私のメンタルはやられていた。
おそらく、こればかりは経験したことのある人にしか分からないと思う。
海外で暮らす孤独や、大好きな人と言語でコミュニケーションが取れないという寂しさ。孤独感。無力感。駐在員の多い街に引っ越してきても、結局友達はできなかった。
出張の多い夫は週に半分しか家におらず、残りの半分も私たちにはほとんど会話がなかった。関係が冷えていたからではない。ちょっとした日常のことを伝えられるほどの言語能力すら、私になかったからだ。

海外で暮らす孤独感。
バックパッカーをしていたくらいだから、海外の暮らしも受け入れられると思っていた。実際、夫と付き合っている時は毎日が楽しくて新鮮で、海外暮らしも何も問題なかった。そして、なんの躊躇いもなく移住して結婚した。でも、その後、私は仕事を失い、仲良くしていた日本人の友達も次々と日本に帰り、新しい日本人の友達も現地人の友達もできず、まともにコミュニケーションも取れず、なんと自分がつまらない人間なのかと思うようになり、無価値な人間だと思うようになった。自分はもう少し価値のある人間だと思っていたのに、現実は全く違った。夫にぶら下がっている人形みたいな存在だった。

でも日本に帰ると、いつもフラストレーションだったちょっとしたことを伝えられない言語の壁もなく、どこへでも自分の行きたいところに行くことができ、何をするにも自分ででき、仕事でも多少は認めてもらえて、会いたい時に会いたい人にも会え、全てが自分の思うようにできて、少しは自信を取り戻せた。少しは自分が価値のある人間のように思えた。

でも、夫の国に戻るとまたゴミのような自分に戻って、自信を失って、どこにも行けなくて何もできなくて。

そして、日本が恋しくてなんとか理由を作って日本に帰って、日本と行き来する暮らしを結婚以来3年続けている。みんなに「自由でいいね」と言われるこの暮らしも、私にとっては大きな負担だった。何も安定していない生活。数ヶ月単位で作っては壊しを繰り返す人間関係と仕事の繋がり。何もかもが安定しなかったし続かなかった。まるで、少し根を張ろうとし始めたところで植え替えを繰り返される苗のように、じわじわとこの移動生活も私を弱らせていた。

そんな私の心を支えてくれていたのは婚外さん達だったわけだが、それすらやはり対処療法にしか過ぎず、彼らは楽しい時間で気晴らしをさせてくれても、辛い時間を支えてくれるほどの愛はなかったし、私もそんなものを求めることはできなかった。

最後の婚外恋愛を終わらせ、裏野ウラを終わらせたものの、しばらくは、すがるように最後の婚外さんにメッセージや電話をして(ただし、気丈に振舞っていた)、それでなんとか海外暮らしの孤独を誤魔化したりはしていたりした。けど、ここにきてようやく「この人は私に気はない」ということをはっきり実感している。この人はもう私に興味なんかない。ただ、私が連絡したから返しているだけだ。


ずっと先延ばしにしていた夫との関係をようやくはっきりさせないといけない時が来た。もう誤魔化していられない。

夫を思い出して…ここで別れたらもう一生あの笑顔も見られないし、手も握ってもらえないんだな…なんて思うとやっぱり涙が出てくるし、きっと私は夫のことが大好きだ。それでも、私はもうあの国に住むことも、日本と行き来して暮らすこともできない。夫や、現地の家族や夫の友達ともコミュニケーションがまともに取れないことも私の我慢を増やし、孤独にし、大きなストレスになっている。

お互いに好きだし、喧嘩もしないし、DVもモラハラもない。一緒に暮らしていく上での価値観もそこそこ合う。

なのに、一緒に住めない。

孤独感とストレスから私は浮気までしてしまった。

やっぱり、もうダメなんだろうか。

別れたからって幸せになれるとも、次にいい人が現れるとも全く限らない。


「ここにいると私は寂しい。孤独だ。私には日本の友達や家族が必要なの」
と私が言うと

「じゃあ、僕は必要ないのか」
と夫が言った。

私は何も言い返すことができなかった。実際、日本にいる間は夫のことなんてすっかり忘れて、仕事や友達や婚外なんかまで楽しんじゃったりして、充実した毎日を過ごしていた。


それから、夫はこうも言った。
「君は、会社を信頼できずに辞めた。僕はその会社を今も信頼して大きくしている。君は、僕のことも信頼してないんだね…」

私が会社を信頼できずに辞めた、と言うのは心外だったけど(どちらかというと会社にボロ雑巾みたいに使い捨てられたので)、でも、夫のことを信頼できていないのは確かで、何も言えなかった。辛い気持ちも、寂しい気持ちも、自分の無力感も無価値感も、何も伝えられなかった。頼れなかった。
あなたが外国人で、私があなたの母国に住んでいるから苦しい、なんて、大好きな人に言えるわけがなかった。

結局、私は誰のことも信じて頼ることなんてできないのかもしれない。


感情のリミットが外れて
「外国語を話すことも聞くことも私にとってはストレスになる」
と私が言うと

「じゃあ僕と話していることもストレスなのか」
と夫は言った。

「実際、今こうして話している内容も半分くらいしか分からない。一生懸命あなたが話している内容が、私は、理解することができない…」
そう私がこぼすと、夫はそれ以上話さなくなった。

長い沈黙のあと
「じゃあ…距離を置こうか」
と夫は言い、私は黙って頷いた。


3時間ほど別々の部屋で休憩を取り、私は泣き疲れてソファで2時間ほど意識を失い、目を覚まして家の掃除をして夫が起きるのを待った。

私の両親が結婚祝いに買ってくれた一枚板のダイニングテーブルにシロアリが付いていたので、それを駆除していると夫が目覚めてきた。
シロアリの駆除が終わると
「じゃあ行こうか」
と私達は家を後にした。

首都の空港に着くまでの6時間、運転席と助手席に隣同士に座ってずって無言だった。
いつもだったら、途中で大あくびをして「ねむ〜い」と甘えた声で言って、必ず私の手を握ってくる夫も、今日ばかりはずっと真面目な顔をして道路の先を見つめていて、こちらを見ることも、少しも触れようとすらしなかった。もうこの人の笑顔を見ることもできないということを実感して、寂しくて、もう他人になってしまったんだって、一人で涙をボロボロとこぼした。

空港に着いて、チェクインを済ませたが、飛行機の出発までまだ少し時間があった。いつもなら「ボーディングタイムまでお茶でもしようか」と誘ってくるところを、夫は何も言わなかった。
代わりに私が
「今日は疲れてるだろうから、早めに帰って休むといいよ」
と言った。
夫は
「うん、そうするよ」
と言った。

「じゃあ…行くね」と手荷物検査場の前で言った。
「イミグレーションだけ通過できたら連絡して。何かあるといけないから、それまでは空港にいる」と夫は言った。
「わかった、ありがとう」
と私は言って、手荷物検査場へ入った。
いつもなら長いこと離してくれないハグも、キスもしなかった。少しも触れなかった。
いつも手荷物検査場を抜けてもしばらくこっちに向かって大きく手を振っている夫は、今日はもういなかった。

無事にイミグレーションも通過して、夫に
「イミグレーション通過したよ」
と連絡すると
「わかった、じゃあ行くね。気をつけて」
と返信があった。


そうして、私は泣きながら成田行きの飛行機に乗った。


そして今、このどうしようもない気持ちを実家のベッドの上で書き連ねている。

一体私はどこにいるんだろう。一体何がしたいんだろう。誰のことも信頼できない私は、一体誰を幸せにできて、私は幸せになれるんだろうか。

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