近所のじいちゃん

近所のじいちゃん。
会っても、「どうも」という程度で、
人と話すこともなく、畑が居場所だった。
その畑、今は雑草に覆われている。

前は、自転車を乗って畑まで通っていた。
漕ぐ力が弱くなり、いつの間にか電動自転車になった。
やがて、電動自転車も思うように行かず、
倒れることも増え、自転車は手から離れた。

じいちゃんの日課は出かけること。
しかし、近かった畑もやがて遠くなった。
歩く距離も短くなった。
やがて、歩くこともままならなくなった。

家にいては生き甲斐が無い。
外に出て働くのが日課だ。
だが、出かけるにも思うように足が動かない。
今は、ゆっくり、ゆっくり、伝え歩きが精一杯。

ある日、垣根の枝が折れていた。
不思議だなと思っていると、
じいちゃんの仕事だった。
伝え歩きをしながら枝を折っていのだ。

伝え歩きのために垣根を使うのはいいが、
枝を折って歩かれたら困ってしまう。
かといって、話しても「おお」と返事をするだけで、
しばらくすると同じ事をくり返す。

「うちの垣根の枝を折っているけど・・・・」
と、じいちゃんの倅に話しても解決は難しい。
なぜなら、じいちゃんは働いているからだ。
働こうにも出来ることはそれしかない。

ある時に、地べたに座り込んで、
小さな木の枝をむしっていた。
草をむしっている時もある。
今、何とか自由に動くのは手だけ。
生きるためには、手を使って働くしかない。

今日は伝い歩きができないのか、
道路を這っているのを見かけた。
見ていると、這うのも思うように行かない。
やがて、U字溝に足を入れ道路に座って、
向かいの草をむしっている。

生きるというのは、
食べて働くこと。
目の前にあるものと向き合って、
身体を動かすことだ。
じいちゃんは、毎日なんかしら働いている。

出来ることをする。
それだけの事だが、田舎だからできること。
まちにいたら、クルマは来るし、
人に通報されるし、変な目で見られる。

周りの人は、
手を必要とするときには差し伸べるけど、
ただただ、黙って見ている。
じいちゃんの生き様も性格も知っているからだ。


そう考えると、
田舎だから出来る生き方なんだろう。
毎日、毎日、じいちゃんは大変だけど、
自由であることは確かだ。

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