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ガチャガチャが息づく時

「行きたいところある?」

休みの日いつものようにリビングで所在なげにぼーっとテレビを観ていた私に夫は言った。

「どこかってまだどこも開いてないよ」

このご時世、休みに夫と行く所と言えば食料を買いにスーパー、日用品を買いにホームセンターくらいしかない。今お店が空いてそうでやりたいことは...とあいかわらずぼーっとした頭で考えた。

ガチャガチャ。
そうだ、ガチャガチャがしたい!

子供の発言ではない。一応大人の発言だ。
ガチャガチャって子供の遊びだと思う人も多いだろう。昔はキャラクターもののグッズが多かったと思う。
でも今は日常の何気ないものがおもちゃになって入っている。しかもクオリティが高くてこれがなかなか大人でも心をくすぐられる。

学生時代もガチャガチャは好きでリアルなエリンギを携帯にぶら下げていたし、エジプトの遺跡や仏像の置物を部屋に飾っていた、昔から変わったものが好きだった私。その気持ちは今でも健在で変わったガチャガチャを見ると「こんなのあるんだ!」と私の気持ちを高ぶらせる。これを作る仕事なんてできたらどんなに楽しいだろうかとまで考えてしまうほどだ。

そんなわけで夫とガチャガチャができる場所を探した。しかし、いつも行くところはやはり休業だった。1カ所だけ営業しているガチャガチャのお店を見つけた。高速に乗り40分かけて県内のお店へ向かった。
店内には子供はもちろん、若いカップル、おばあちゃんとその息子といったような年齢も性別もバラバラな人で溢れていた。

1000台はあるというこのお店はガチャガチャの機械が縦に4つも並んでいて1番上は用意された脚立に登らないとできないほどだ。私たちはゆっくり隅から隅までどんなものがあるのか見て回った。

結果的に言うと片道1000円以上の高速代をかけておきながらガチャガチャだけして帰った。

家に帰り机の上にばら撒かれたカプセルたち。これでも子供の頃には考えられない数だ。

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私のお気に入りをご紹介しようと思う。

たまごかけご飯ライト

見るからにTKG卵かけご飯。
これだけでもたまらなく可愛いのに、白身は触るとぷにぷにしていて黄身の部分を押すと優しく光るのだ。
卵かけご飯を食べる時にそばに置いておきたい。
いっそ、真っ暗闇の中でこの黄身の小さな光を頼りにTKGを頂きたい。

学校のチャイム

学生の頃、黒板の上にあった懐かしのチャイムだ。
真ん中のボタンを押すと、「キーンコーンカーンコーン」とこれまた懐かしの哀愁ある音が流れる。
こういう鳴り物は結構好きだ。
いつ使うんだと言われたらわからないけれど、それでいい。それがガチャガチャの醍醐味だ。

ルーレット式おみくじ器

「懐かしい」このガチャガチャをネットで見た時に思わず声に出した。そして絶対欲しいと思った。なんでかわからない。でも、これを見ていてある人を思い出した。

20年以上前に亡くなった私のおじいちゃんだ。

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おじいちゃんが亡くなったのは私が小学生になったかならないかくらいの時だった。
だからおじいちゃんとこの世で生きた時間はごく僅かで私の記憶はほとんどない。
親からはおじいちゃんにすごく可愛がってもらってたんだよとよく言われるけれど、残念ながらやっぱりそんなに記憶はない。でも、大好きだったって事は覚えている。

おじいちゃんの家に遊びに行く事が度々あったのだけれど、そこでよく寄っていたレストランに置いてあったのが、このレトロなおみくじ器だった。その頃でももう見なくなっていて、私はここでしか見た事がなかった。

私はこれをやりたいとよくねだった。たぶんおみくじの内容なんて興味はなかったと思う。自分の星座のところにお金を入れて、レバーを押す。これがやりたかったんだと思う。

幼い私の記憶の中で自然におじいちゃんに会う事とこのおみくじ器はセットで記憶されていたようだった。
僅かなおじいちゃんとの記憶が一瞬にして思い出された。普段なかなか思い出す機会なんて無かったけれど、このガチャガチャのおみくじ器を見ておじいちゃんを、おじいちゃんの優しい笑顔を思い出した。

このガチャガチャのおみくじ器は一瞬にして私のおじいちゃんとの大切な記憶を思い出させるスイッチとなった。

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もう一つ私には大切なガチャガチャがある。

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私は2年前くらいに夫と結婚した。
元々一緒に住んでいたこともあって、夫からは車を運転しながら「そろそろ結婚しようか」と言われ私も「そうだね」といった感じで結婚を決め入籍までの日々を送ることとなった。

夫は婚約指輪の事を考えていたみたいだけれど、私は断固として婚約指輪は要らないと言った。これからいろんなことにお金もかかるし、私には必要のないものだと思った。

婚約指輪は要らないと言ったもののやっぱりちゃんとしたプロポーズには少し憧れがあった。けれど、車の中でのあの言葉がきっとプロポーズだったし、そう言う事を改めて言うような夫でない事もわかっていたので私は諦めていた。

ある日、2人で出かけた際に見つけたのが、おにぎりん具だ。
おにぎりが指輪のケースになっていて中には指輪が入っている。

おにぎりの具である、梅干しや鮭、たらこにこんぶにいくら。
発想が面白くて「考えた人天才だよ!やろうやろう」と夫に300円入れてもらった。

おにぎりの具はたらこといくらが好きなので「どっちか来い来い!」と念を送りながらレバーを捻った。
ガチャガチャという音ともに出てきたおにぎり。
早速開けるとその中身は梅干しだった。


「梅干しかぁ」とは言ったもののやっぱり可愛い。
それを指にはめて子供のようにワクワクした私は夫に言った。

「これを婚約指輪にしよう」

夫は「え、これを?」といった感じだったけれど、私がそうしようと決めたのでそういうことになった。そういう事にしてみると、一気にこのガチャガチャを愛おしく思った。

私は家に帰って徐に夫におにぎりを手渡した。

夫は少し照れながらひざまづいて「結婚してください」と言ってパカッとおにぎりを開けた。

側から見たらお金のない貧乏人の戯れのようだけれど、私は心の底から嬉しかった。

「はい」と返事をして私の左の薬指に梅干しをはめてもらった。

たぶん、夫も普通の指輪だったら照れ臭くてやってくれなかったかもしれない。こんなおかしなおもちゃだったから、ふざけながらできて私はその言葉を聞けたのかもしれない。

給料3ヶ月分のキラキラした指輪よりも、この100円玉3枚分のおにぎりに入った梅干しの指輪の方が私にとっては価値のあるものになったのだ。

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ガチャガチャは単なるおもちゃだ。
役に立つ道具でもなければ意味すら無いものもある。実際、クッキーの空き缶に仕舞われるおもちゃだってたくさんある。

けれど、人の心を揺さぶる何かがあるものでもある。デスクに置いたおみくじ器を見ておじいちゃんの笑顔を思い出したり、リビングのチェストに置いたおにぎりのリングを見て私たち夫婦のスタート地点を思い出すように。この数百円のおもちゃに私たちの思い出や経験を注ぐ事によって大切な宝物となる。そうしてそのガチャガチャに、物としての命が吹き込まれる。

またたくさんのガチャガチャに出会うだろう。
いや、きっと出会いに行くだろう。

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