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映画『劇場版 美少女戦士セーラームーンEternal 前編』レビュー

【懐かしくもあり足りなくもあり】

 キャラクターデザインが只野和子なら監督は佐藤順一で、時々コミカルになる表現が混じって水滴型の汗が浮かんだりするのが『美少女戦士セーラームーン』のアニメーションだという頭から見ると、キャラクターデザインが『美少女戦士セーラームーンCrystal』の1期と2期の佐光幸恵でもなければ、『美少女戦士セーラームーンcrystal Season3』の高橋晃でもない『劇場版 美少女戦士セーラームーンEternal 前編』は、只野和子のキャラクターに加えて、今千秋さんならではの少女たちによるわちゃわちゃとした描写もあって、『美少女戦士セーラームーン』や『美少女戦士セーラームーンR』を彷彿とはさせるものの、思い切ってのデフォルメからのコミカルな描写がないところに、片肺とまではいかないけれどもどこか欠けて、足りていない部分もあったような気がした。

 これが、武内直子による原作コミックの雰囲気をそのまま反映させた佐光幸恵のキャラクターデザインのままだったら、あるいはせめて今千秋が監督として参加し、少しだけ『美少女戦士セーラームーン』に寄せつつもシリーズの雰囲気は守ろうとした高橋晃のキャラクターだったら、セーラー戦士たちがそれぞれに自分の夢を考え、今のままで良いんだろうかと悩みながらも自分ができることを思い出し、やらなくてはいけないことに気づいて戻って来て戦う青春のナイーブさにあふれたストーリー、そして身を痛める地場衛に対してうさぎが果たしてすがっていいのか迷う心情を、シリアス寄りのキャラクターを通して感じ取れたような気がしないでもない。

 30分をスピード感のある展開やコミカルな表情の変化で連ねて、今日も楽しかったなあと思わせるテレビシリーズとは違って映画は、1時間を超える時間の中に人を引きずり込んではキャラクターたちの身に寄せさせていっしょに迷い、悩み、考えてそして決断する喜びを与えて、そして雑踏へと返すようなところがあったりする。そこはだから原作的な『Crystal』のキャラクターが合っていたような気がするのだけれど、一方で『美少女戦士セーラームーン』といえばやっぱり只野和子による愛らしい造形という頭もあって、それをずっと見られた、それも大きなスクリーンで見上げるような感じで堪能できた嬉しさはあった。

 迷うところだ。

 ストーリーは、『デッド・ムーン編』で前のシリーズで言うなら『美少女戦士セーラームーンSuperS』に当たると思うけれど、その頃は見ていたけれどもストーリーまではっきりとは覚えてないので、出て来たタイガーズ・アイ、ホークス・アイ 、フィッシュ・アイが次々に退けられてしまう雑魚に近いキャラだったはもったいない感じがした。男性だけれど口調は女性といった造形だったのは、当時は差異化で通ったけれど今だと何か理由付けがいるかもしれないとも思った。日常に溶け込んでいると言えば言えるけれど、3人が3人ともそうだと逆にどうしてって“おネエ”にしたのかが気にもなってしまうから。

 しかしやはり、只野和子によるキャラクターはすらりと伸びつつしっかりとした所もある太ももとか、なかなかに目に麗しい。そして丸い顔立ちはどこまでも可愛らしい。それがデフォルメされないでずっと出ずっぱりなんだから嬉しいといえばとても嬉しい。大きくなるちびうさとか逆にちいさくなるうさぎとか、心をくすぐりヤバくさせるけれど、それが過去を知る身だから浮かぶ感情なのか、『Crystal』から今に至る若い世代にもやっぱり只野和子にセーラームーンらしさを感じるのか、ちょっと気になった。

 ストーリーは途中で終わって以下は後編。今千秋さんどう締めてくる? 見守りたい。(タニグチリウイチ)

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