映画『薄暮』レビュー

【どこにでもある風景を聖地に、それも行かずとも感じて心で応援する場所にする映画】

 そこは聖地になり得るけれど、別に聖地として奉って訪ねて行き、その身で体感しなければならないものではない。そこにあるかもしれない風景と、そこで繰り広げられるかもしれない出会いを思ってにっこりと微笑み、そこでかつて起こった出来事への思いを浮かべて寂しさや悲しさを感じつつ、それでも続いている日々の営みに対して遠くから、応援の気持を送り続ける。

 そんな心での“聖地巡礼”というものがあっても良いのではないかと、山本寛監督によるアニメーション映画『薄暮』は思わせる。

 福島県いわき市が舞台となっている映画。小山佐智というひとりの女子が高校に進学して子供の頃から嗜んでいるバイオリンの弾くために音楽部に入って弦楽四重奏に挑戦している。メンバーは先輩が1人と同級生が2人。そんな2人と一緒に帰らず立ち寄りもしないで佐智はひとり、バス停へと歩いて行って、そこで山があり田んぼが広がって林が茂る風景をながめ、そんな地平から上へと向かう空に夕方の太陽が淡く輝いて色を付ける光景を眺めてしばらく時間を過ごしている。

 都会暮らしではなかなか気がつかないけれど、ちょっと外へと出ればどこにでもありそうな田舎の風景の中で佐智はしばらく時間を過ごした後、来たバスに乗って家へと戻るその途中で、違うバス停から乗ってくる違う高校の制服を着てスケッチブックを持った男子生徒の存在に気付く。

 誰だろう。何をしているのだろう。バスが終点に着いてそこで見失う男子生徒がある日、いつものように待っていたバス停の側に現れたことから、佐智の日常が動き始める。まさしくボーイ・ミーツ・ガール。というよりはむしろガール・ミーツ・ボーイ。雉子波祐介という名だった男子高校生と仲良くなりつつ、一線を越えるにはひっかかる部分があってもやもやとした日々が綴られていく。

 そんな先に来た展開に、ガツンと脳天をやられてしまってこれはもうどうしようもないくらい、感動の感涙にむせんでしまった。溜めてきたもの、引っ張ってきたものが一気に開放されるその瞬間を味わいに、また映画を見に行きたくなっている。

 出会いが生まれる場所。心が癒される場所。そんな思いから映画の風景に自分を置きたくなる気持ちがないでもない。聖地巡礼と呼ばれる映画の舞台に行ってみたくない訳じゃない。けれども、それはどこにでもあるバス停で、どこにでもある山の端から伸びる平地に田んぼがひろがり稲穂が実る風景であって、そもそもが正しい舞台があるのかどうかすら判然としない。

 あっても確かバス停は存在しなかったかもしれない。そういう場所をわざわざ訪ね歩かずとも、千葉でも茨城でも埼玉でも群馬でも神奈川でも、ちょっと歩けばそこにある田舎の風景を眺め日本という国のある意味での原風景をひとつ味わいつつ、いう場所で起こりえる出会いを想像する方が、作品から放たれるメッセージに従順な気がする。

 どこにでもある風景の中で、誰にでも起こりえる出会いを喜ぼう。そんなメッセージ。そしてもうひとつ、どこにでもある風景だったはずのものが、触れることのできない風景に変わってしまった瞬間があり、そんな場所が今もあるという現実について考えようというメッセージ。そこまで社会的で政治的かというと、言葉で語られることはなくこれでもかと描写に盛り込まれることはない。

 夢の中、空から見える海岸線の白くて四角い建物から、そういう場所があって今も燻っていることを思い起こさせられるくらいだろう。そこからあの日、あの出来事が今もより濃く残っている場所があることへの思考を惹起させつつ、この国の、この世界のどこかで今も繰り広げられている薄暮の下ので出会いと告白に喜びの喝采を贈ろう。

 圧倒的な画力で紡がれているというよりは、どこか自主制作アニメーションかもしれないとすら思わせる拙さも残って、名のある監督であってもインディペンデントな環境で作品を作ることの難しさを感じさせる。音は鳴っているのに止まっている校内の絵が映し出されたり、演奏が続いているのに指も体も止まっている絵が続いたりとアニメーションとしてのメリハリというか取捨選択もある。

 それでも、要不要を切り分けで見せる場面は見せ、表情もしっかりとつけてあるからチープさは感じない。美術もしっかりとどこにでもありそうな田舎の様子を描き出している。演出家としての力量にたぶん衰えはない。

 なによりあの場面、あの瞬間にぐわっと来る感慨へと向けて積み上げられていく日々であり関係性にただただ感嘆。同じ山本寛監督による実写映画『私の優しくない先輩』のエンディングで見せた長回しによるダンスにも驚かされたけれど、『薄暮』ではアニメーションでも歴史に残る名場面のひとつを作り出したと断言したい。

 『薄暮』はだから傑作だ。そして、日本中のあらゆる場所で起こる出来事への想像をかき立て、日本中のあらゆる場所を聖地にしてしまう力を持った問題作だ。(タニグチリウイチ)

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