映画『音楽』レビュー

【絵も上手ければ動きも上手いし間合いも上手くて音楽も凄い】

 まずは誤解を詫びよう。

 スチルだけをみてアニメーション映画『音楽』をヘタな絵を何千枚何万枚も重ねて動かしてみせた、個人による自主制作アニメーションの延長のように捉えていた。ビジュアルは奇妙でもそこにかけた情熱、そして物語から溢れるパワーに引き込まれて感動するタイプのアニメーション映画だと見なしていた。

 大間違いだった。

 2020年1月20日に新宿武蔵野館で観た岩井澤健治監督のアニメーション映画『音楽』の絵は上手かった。フォルムも上手くてモーションも上手くて背景も上手くてそして見せ方もとてつもなく上手かった。

 大橋裕之の原作こそあふれ出る情熱で読む人をねじ伏せるタイプの漫画だが、それをそのままアニメーションにしたところで”画ニメ”にしかならない。岩井澤健治監督は描線をすっきりとさせつつも原作の味を絶妙に残し、それをロトスコープという実際に人が動いてみせたモーションを撮影なりして描線に写し取る手法によって描いて全編を作り上げた。

 だから観ていてしっかりと動くし、立体的に見えるしサイズ感も整っている。映像としての違和感はまるでなく、写真から写し取ったような街並みの中にキャラクターたちがしっかりと存在し、ひとつの世界を形作っている。なおかつカメラワークも時に横移動のみで捉え、ずっと止めっぱなしで間を作り、激しく回して迫力を出して単調に見えた映画をだんだんと盛り上げ、ラストへと引っ張り、そしてライブシーンで引きずり込む。

 そこでは平面だった絵に影が入って厚みが生まれて奥行きも出る。ロトスコープだからといって写せばそのままアニメーションになるものではない。どう塗るか。何を残すか。そして加えるかといった操作をしっかりと行った上で描き出したアニメーション映画『音楽』の世界は、完璧なまでに優れたアニメーションになっていた。

 たいしたものだ。

 そんな絵によって描かれるストーリーは、これは原作に依るところが大きいにしても、最強の不良と黙されながらもその存在だけで周囲を威圧、あるいは納得させてしまう研二を中心に、太田と朝倉という良き理解者、良き友人たちが突然に唐突にバンドを始める展開からは、誰にでもある衝動を逡巡せずに形にしてしまう強さを感じる。考えたって迷ったって意味がない。だいいち面白くない。やってみたいならやってみる。その意気に引かれた。

 演奏される音楽を上手いと言ってはいけないのだろう。ひたすら叩かれるドラムに合わせて調弦もされていない、コードも押さえられていないベースの弦を鳴らすだけの演奏に、どうして「古美術」のメンバーが感動するかは、マンガだからというのがひとつは正しいのだろう。とはいえここも、考えず迷わず衝動によって生み出される音のパワー、あるいは波動に惹かれたという理解も成り立つ。だからこそ惹かれてフォークソングを奏で歌っていた森田は”ああ”なった。

 ぎりぎりまで引っ張って、そして良いところをすべて持っていく研二のそれを秘められていた才能と見しまうと、異世界に転生なり転移して”俺TUEEEE”を演じる昨今の物語と同類のものと思われてしまう。自分には縁遠いからこそ憧れるタイプの作品になってしまうけれど、そこに上手さや凄さを見て感嘆したというよりは、わき出る衝動めいたものだと感じて引っ張られたと思いたいし、その程度のものだからこそ周囲は臆さず併走し得た。結果として組み上がった集団のパワーがステージ前の観客を、そして大場ら不良達をねじ伏せた。そう思いたい。

 重ねて言うがアニメーション映画『音楽』はヘタウマではなく極上の、優れた、素晴らしく上手いアニメーションだ。間合いも効いて音楽も響く極上のアニメーションだ。まだ見ていない人はかけつけよう。そして見て思おう。

 亜矢ちゃんの家のネコは可愛いと。(タニグチリウイチ)

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