見出し画像

長編アニメーション『永遠の831』レビュー

【折れ曲がったキュウリだからといって捨てられてたまるか】

 この世界は温度も湿度も日照さえもギチギチに管理されていて、そこで人間は監視されながら世界にとって都合の良いように育成された野菜(831)に過ぎず、標準に合致したサイズや色や形や味に育ったものだけが出荷され、社会という名の食卓に受け入れられる。逆らってねじ曲がったり膨らんだり傷がついたりしたものは、選り分けたれ取り除かれて野菜として捨てられる。

 そんな雁字搦めの世界に対して反旗を翻し、権力に阿る人々を銃で撃って破裂したトマトみたいに真っ赤な血で染めたり、権力者たちの居城を爆破して16連射の指先で突かれたスイカみたいに粉々に粉砕していく者どもの物語。それが神山健治監督によるWOWOW開局30周年記念長編アニメーション『永遠の831』のストーリーだ。

 嘘だ。

 でもだいたい本当だ。理由は見れば分かるが、ザッというなら“未曾有の大災厄”なるものが発生して混迷を極める中という割に、街は人々で賑わっている。そんな世界で浅野スズシロウという少年は、帝応大学に進んで未だ始まらない講義の再開を待ちながら、新聞奨学生として販売店で朝夕に新聞配達の仕事をして日々を送っている。

 新聞の発行というある種の社会インフラは未だ機能し、それを自宅まで届ける宅配のシステムも健在。一方で、ネットを使って情報を得る人も増えている状況は、2022年の現在と大きな違いはない。新型コロナウイルス感染症という人流を妨げネットワークを分断する事態が、社会構造を激変させるには至っておらず、新聞はロシアのウクライナ侵略を書き立て、11年前に起こった東日本大震災からの復興の遅れを指摘していても、街には活気が戻りつつあるように。

 それでも、30年と少し前には確実にあった、誰もが上を見上げていつかそこに届くと信じられた気持ちはとっくの昔に失せていて、今を懸命に生きながら見えない明日へとおそるおそる足を踏み出し進んでいきながら、遠からず足元が崩れて断崖絶壁へと落下するか、あるいはゆるやかな傾斜を下って地の底へと沈んでいく可能性に怯えつつ諦めの感情を抱いている。

 夏休みの残り香を感じながら終わっていない宿題を抱えて、明日から始まろうとしている新学期に震えている8月31日の子供たちのように。

 だから『永遠の831』。物語は、現実の人たちと同じように、そんな停滞して閉塞した状況を生きている若者のスズシロウが、橋本なずなという1人の少女と出会うことで動き出す。スズシロウに備わっていたある能力が少女にもあって、2人のその能力を使って社会を永遠の8月31日に縛り付けている状況を、ぶち壊そうとする者たちが「831戦線」を名乗って暴れ始めた。

 政商のごとく政権に寄生して搾取し続けている企業家を誘拐し、時の政権の中枢にある者も掠って身代金を要求し、その金を社会の隅々にまで行き渡らせようとした。したはずだった。けれども社会は変わらない。

 動かしがたいシステムは搾取の行き先を変えるだけで8月31日からカレンダーの日付は止まったまま。現実の世界でも政権交代が過去にあっても、劇的な変化は起こらないまま大震災によって停滞した経済が安定した政権へと舳先を向けさせた。そして強大な権力を持った長期政権が生まれ、高い支持率を集めても、変化が起こるどころか奪われて縛られている気分だけが増大した。

 「831戦線」も騒動だけを起こして闇に消えていく。あるいはシステムに組み込まれていく。停滞感と閉塞感を改めて感じさせられて僕たちは思う。どうすればいいんだと。

 『東のエデン』を手がけた神山健治監督らしい社会の矛盾をえぐるような内容の『永遠の831』は、神山健治監督ではあっても『ULTRAMAN』や『攻殻機動隊SAC_2045』で見せた3DCGアニメーションとは違ったセルルックの3DCGアニメーションに挑戦。谷口悟朗監督が白組で手がけた『rivisions リヴィジョンズ』に近いルックとモーションを持ったキャラクターたちが、高田の場場や渋谷の街を動き回る映像を見せてくれる。

 モーションはアクターの動きをキャプチャーしたものだと思われるが、手描きのシャープさとはややズレた鈍重さが感じられなくもない。背景も3DCGというより実写を水彩画に変換したかのようで、リアルではあるもののソフトフォーカスのようなところがある。こうした特徴が現実から少し乖離したふわふわとした非日常の中にあるように思わせる。それを狙っての作為なのか技術面からの結果なのかは分からないが。

 圧倒的なカタルシスが得られる訳でもなく、変わらない日常がまだしばらく続いていきそうな結末を見終わって浮かんでくるのは、スズシロウとなずなが共に手を取って挑んでくれないかといった感情だ。もっとも、現実の世界にそんな都合の良いヒーローはいないし、異能の力も転がっていない。

 だから立ち上がるしかないのかというと、先走る正義感は誰かの事情に寄り添う気持ちをスポイルして不幸を生み出しかねない可能性を持つことを、スズシロウに関わるエピソードが指し示す。容易には動かせない壁に阻まれて今一度思う。どうすればいいんだと。

 答えは与えてもらえないけれど、このままでは整った野菜としてすら収穫されないまま、社会に送られずうち捨てられて腐っていくだけの人々が増えるばかり。学校という仕組みに守られてこそ意味を持つ夏休みの終わりのモラトリアムから、否応なく放り出される日が来る前に立ち上がるのだ。

 キュウリは曲がっていたって美味しいのだと声高に叫びながら。(タニグチリウイチ)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?