自己紹介note
占いに30万円も注ぎ込み、人生のどん底みたいに6kgも痩せて、ごはんも食べられず、辛い・・みたいな状況から(しかも転職9回もしている)
独立し、現在では会社も経営するようになった私。
我ながら、奇想天外な人生を歩んでいると思います。
小学校から女子校で、幼稚園で塾にいきお勉強。
多くの人は、高校卒業まで同じメンバーで学ぶ環境でした。
でもどうしても嫌で、小4の時に公立中学に行きたいと親に直談判するもNG→高校で一定レベル以上に行けるなら、出てもokと言われて勉強頑張る→無事高校は外部へ
「悩む」は小学校の時からずっと大人になるまで続きます。
大学はまた私立女子大に行き、全然楽しくない日々を過ごし、インカレのサークルで楽しむ→大学卒業後は金融関係にて事務職と、全然変わらぬループを過ごすという・・
フリーランスとか、独立なんて夢にも思わぬくらい、興味なかったです。というか範疇外でした。
正社員が正義だと思っていたし、25歳くらいで結婚するのが一般常識だとも思っていた。
そりゃ実家からも出ないのがデフォ。
そんな時に訪れた大失恋・・
28歳の時に大失恋を経験する
転職を繰り返していた時、とある出会いがあり、彼氏ができました。
でも誕生日にドタキャンされ、そのまま電話占い依存に。
当然そんな状態では、復縁できるはずもなく、ズバッと振られて、その時に「何やってたんだろ?」「気づけば30万円も使ってる」と後悔の念に襲われ、私も占いやってみようとアクションしてみました。
そんなスタートなので、当然起業願望も副業で稼ぐことも別に望んでおらず、ただただ勿体無い精神で始めたのが、占いのお仕事。です。
でも占いのサービスを出してみたら、みるみる売れたんですよ。
と、この2つを、毎日朝、昼休み、夜の時間にコツコツ積み上げたら、月8万円程度になりました。
お話し聞いて、タロットしてるだけなのに?
え?そんな気持ちで毎日副業に携わっていたのでした。
この頃には、好きだった彼のことはすっかり忘れていました。
その後次の彼氏のおかげで上京する
そしてすぐに次の彼氏ができ、東京の人でした。
1年後には東京に戻るとのことで、「東京なんか行ってみたいかも」と思い、就活。
その間に別れてしまうのですが(笑)
まあ東京の会社に受かったし、行くか!と東京へ。
そんなきっかけから、東京で人材会社の営業に携わりました。
フリーランスになるきっかけは「社長やらない?」の一声
その後、人材営業は8ヶ月ほどで退社し、不動産事務のお仕事につきました(これが最後の転職となります)
この会社はベンチャー企業で、お仕事の仕方もFacebookを使ったり、yentaというビジネスマッチングアプリを使うなど、当時の私としては画期的すぎる会社。
今までお堅めの会社にいた私は、必死にくらいつこうとしていて、いろんなつながりを作っていたら「うちの会社で子会社作るんだけど、そこの社長やんない?」のお声。
当時の私にはこんなキラキラワードは大好物すぎて、即食いつき、不動産会社を退職するも、「副業禁止」の文言が契約書にあり、お仕事せぬまま辞めました。
せっかく不動産会社辞めたのに・・と悩みに悩んで、フリーランスになることを選びました。
そしたら取材とかもされるように。
勿体無い精神でフリーランスに
会社員に戻ることも考えたけど、会社員に戻ることはいつでもできるから、やってみるか!と、半ば追いやられた感じでフリーランスになってみました。
不安というよりも、「まあ占いの稼ぎがあるし、しばらくはいけるだろ」そんな感じです。
勿体無い。ただそれだけで進めてみたら、案外合うのかもしれない・・
とスタートした今の働き方。
「夢」はない。目の前に来たことを打ち返すだけ
私に、夢はございません。
特に、たくさん稼ぎたいわけでも、叶えたい夢があるわけでもないです。
でも目の前の人が困ってたら助けるし、一緒にお仕事をしたい人が、後少しで頑張れそうなら支援したいと思います。
多分私の原動力はそこなので、今後の仕事にしていきたい!と、そう思っています。
2024年3月のお仕事状況
2024年の1月から、業務委託でお願いするメンバーが10倍くらい増えて、自分が動かないお仕事が増えました。
こんな急に会社っぽくなるなんて・・世の中不思議なものです。
会社員時代は、事務職がメインで6年半も捧げました。
そして会社員が向いてると思っていたけれど、どうやら向いていないようなので、今後もフリーランスや、会社を経営していこうと思います。
難しいことは、よくわからないので、人に聞きながら、周りと協力して進めていきたいと思います。
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本日から開催のイベントでお話しします。
明日登壇予定なので、ぜひお越しください。参加無料です!
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その前の自己紹介noteはこちら
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