見出し画像

ノンストレスを目指そう~《奪人不奪境》

臨済録からの一文を、4回にわたりお届け。
あくまでも、私なりの見解ですので、ご了承ください。

初日の禅語。

【奪人不奪境】
(だつにんふだつきょう)

「人」は自己や自分の思い、「境」は他者や他人の思い。
自分を無くして他に委ねる。

大川沿いの夕陽

自分を無くして他に委ねる。
って、実はかなりのストレスなのだと思います。

従順に装っていても、自分の思いは必ずある。

禅ですので、そんなに表面的な見方ではないのでしょうが(笑)
私たちはなかなかそのようにはなれません。

「自分を無くして従おう」

と決めたとしても、それが自分の思いになってしまいますものね。
屁理屈はさておき。

人間関係の悩みは尽きる事がありません。

それは自己があり他者があるから。

自分と他人が同じでない限り、悩みとなるのでしょう。

家族でも同じ。
自分以外の人間は、全員が他者です。

ならばいっそ、自分を無くしてしまえば悩みは無くなるのだろうか?
言われるままに動いていると悩みはなくなる?
自分の思いを押し殺していたら悩まないかな?

それも何となく違う気がします。

じゃ、自分を無くすってどういう事なのか。

自分を押し殺すのではなく。
自分の制限や境界を緩和する。

そんな感じなのではないかと思いました。

私たちのような凡人には、難しいですよ。
でも、きっと素晴らしい人たちは自然にできている事なのでしょう。

自分の境界を無くす。
自我の無い状態。

無関心とか、無気力とかじゃなくて。
自分が他者と一体化できている状態。

他者に安心して委ねられる心境のようなもの。

肉体という制限を超えて、意識が交わりあっている状態と似てるのかな。
自我を無くして神に委ねている状態とか。

そんな感じなのではないかと、個人的に思います。

花の籠

じゃ、簡単にできる事って、どんなことかな?
と考えてみました。

自我を無くすのは、よほどの人でない限り無理でしょうから。
私たち凡人でもできる事。

自分が他者と一体化するという事に少し近づく手段としては、
「相手の気持ちを想像する」
とか、
「自分に当てはめて考えてみる」
とかかな。

簡単にできる事ってそこくらいしかない。

自分をなくす。

という事は、
「私だったらこうするのに」
という気持ちを脇に置く。

という事に近いのではないかと。

たとえば嫌な先輩に嫌な態度を取られたら、
「私だったらもっと優しく教えるのに」
とか、
「何言ってるかわからんわ」
とかは自我です。

自我を脇に置き、相手の気持ちを少し想像してみると、

「こういう態度を取ってしまうくらい余裕が無いのかも?」
とか、
「今日は疲れているのかな」
という感じです。

ものすごく一般的な言葉にすると、

「テキトーに流す」

という事になる。

自分だって。
もしかしたら不機嫌なやり取りをしてしまう事もあるでしょう。
悩みが多ければ睡眠もとれなくなるし。
いつもニコニコなんて、できない。

肉体的に体調が悪くて、
精神的に拠り所も無いとしたら、
他者に優しくする余裕も減っていきます。

森のヨガ

少しだけテキトーに流すだけで、人間関係の悩みが減る。

要するに
「気にしない」
ってことが一番のポイントです♪

そういった事を全部ひっくるめて考えてみると。

草木などは、まさにその通り。

意志を持って春に芽吹くわけではありません。
暖かくなるのに委ねて。
タイミングが来たら自然とつぼみが膨らんでいく。
花が開ききったら実がなる。
寒くなったら葉が落ちる。

意志を持っていなくても、季節が廻るに任せて活き活きと育っている。

無我の状態って、こんな感じなのでしょう。

人間として生まれてきたからには、そこまではなれません(笑)。
が、自分なりに近づくことは可能です。

霞を食べて生きていくとかじゃなくて(笑)
気持ちの問題。

新生活がノンストレスなものになりますように。

毎日を楽しみたい人は、個人セッションいろいろどうぞ♪


タロットレスタロット?・魂からのメッセージはこちら。
禅タロットを習得したい人はこちらをご参考に♪
先を考えている人はタロット鑑定もオススメ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?